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ヨーヨーの芯と、子供が引いた見えない線

小学生二年生くらいの頃、空前のヨーヨーブームがあった。
コカ・コーラやスプライトのロゴが入った、赤や緑のヨーヨー。
テレビでは名人が次々と技を披露していて、「犬の散歩」だの「エレベーター」だの、今思えばずいぶん洒落た名前だった。

ただ、当時の自分にはどうしても分からなかった。
なぜ、あんなふうにヨーヨーが止まり、戻り、また回るのか。

気になって仕方がなくて、分解した。
芯に紐を固く結んでいるわけじゃない。
中心で“動くように”巻いてある。
それだけで世界が一気に解像度を上げた。

構造が分かると、不思議なことに急回転くらいは普通に出来るようになった。
犬の散歩も、ぎこちないながら形にはなった。
仕組みを知るというのは、子供にとって一つの魔法だ。

同じ頃、コロコロコミックで「轟け一番」という漫画が流行っていた。
主人公がヨーヨーの両脇に鉛筆を取り付け、そのままマークシートの答案を塗り潰す。
今思えば完全に漫画の嘘だが、当時の自分には妙に現実味があった。

セロテープで短い鉛筆を貼り付け、同じことを試した。
もちろん、うまくいくはずもない。
ただ、やる前から「無理だ」とは思えなかった。

子供の頃というのは、
馬鹿馬鹿しいことを真面目にやるのがロマンだった。
衝動を抑えきれない。
それが、子供の特権でもある。

もちろん親には怒られた。

一方で、少年誌にはもっと無茶な描写も溢れていた。
バク転しながらとか、ムーンサルトしながらとか。
さすがにそれは無理だ、と子供心にも分かっていた。

つまり、線引きはあったのだ。
全部を信じていたわけじゃない。
「これはやれそう」「これはやったら危ない」
その境界線を、感覚で引いていた。

ただ、その線がぶれることもある。
実際、バク転を真似して頭から落ち、救急車で運ばれた子もいた。
あれは不注意というより、境界線の誤作動だったのだと思う。

この頃から、少しずつ判断力が育っていったのだろう。
やって確かめる時代から、
想像して止まれる時代へ。

ヨーヨーの芯を理解したあの日の感覚は、
今思えば、世界の仕組みを一つ知った最初の記憶かもしれない。

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