「私の思い」 中学生の作文に大人が学ばされること
3年前。
娘の同級生が
この「私の思い」で守山市代表に選ばれた。
私はその時
会場で発表を聞いたわけではない。
広報誌だったか
学校のホームページだったか
何かの記事でその作文を読んだ。
そこで初めて
「私の思い」という取り組みの存在を知った。
そして
かなり感動した。
「中学生って、こんなに深く考えているのか。」
そう衝撃を受けたのを
今でも覚えている。
ただの作文じゃなかった。
そこには
大人が忘れかけている
本気の言葉
があった。
まっすぐで
不器用で
でも本質を突いていた。
私は
その文章を読みながら
「守山、すごいな」
と思った。
そして同時に
「こういう場って
今の時代にめちゃくちゃ大事なんじゃないか」
とも思った。
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「私の思い」というのは
中学生たちが
日常で感じていること
社会への疑問
家族への思い
将来の夢
そして
自分はどう生きたいか
を
自分の言葉で語る場だ。
ただの作文コンクールではない。
地域の大人たちに向かって
自分の考えを
本気で届ける場所。
しかも
そこに書かれている内容が
本当に深い。
社会問題
戦争
農業
家族
地域
人間関係
情報社会
命
生き方
中学生が
ここまで考えているのかと驚かされる。
いや
むしろ大人より考えていることもある。
SNSでは
大人たちが感情的に誰かを叩き
白黒だけで物事を語る場面が増えた。
でも
中学生たちの作文には
迷いがある。
悩みがある。
だからこそ
本物だと思った。
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そして昨年。
PTAをやっている関係で
ご縁をいただき
私は「私の思い」の審査員を務めさせてもらうことになった。
めちゃくちゃうれしかった。
3年前
一人の中学生の作文に感動し
「こういう場って
本当に大事だな」
と思っていた。
だから今度は
その場に関わる側として参加できることが
純粋にうれしかった。
だから
喜んで会場へ向かった。
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すると昨年は
また特別な出来事があった。
娘の違う同級生。
しかも小学校時代
リレーで競い合っていた男の子が選ばれたのだ。
その内容が
また本当に素晴らしかった。
熱があった。
まっすぐだった。
ちゃんと
自分の言葉
だった。
しかも
その子のお父さんもよく知っている。
会場で
一緒に喜び合った。
なんだか
守山っていい街だなと思った。
地域の中で
子どもたちが育ち
その成長を
周りの大人たちも見守っている。
こういう関係性って
実はすごく大事なんじゃないかと思う。
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そして今年も
ありがたいことに審査員を務めさせていただくことになった。
正直
今年もかなり楽しみにしている。
どんな中学生が
どんな「私の思い」を語るのか。
今の子どもたちが
何を見て
何を感じて
どう生きようとしているのか。
それを聞けるのが楽しみだ。
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でも
ふと思った。
ずっと人の「私の思い」を聞いてきたけれど
じゃあ
自分自身の「私の思い」は何なんだろう。
私は
何を考えて
何を目指して
どう生きたいと思っているのだろう。
だから今回
私も書いてみようと思う。
「私の思い」を。
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私は
スポーツを文化にしたい。
これが
今の私の一番大きな思いだ。
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「スポーツって
何のためにやるんですか?」
もしそう聞かれたら
昔の私は
健康のため
勝つため
努力を学ぶため
そう答えていたかもしれない。
もちろん
それも間違いじゃない。
でも今の私は
もっと違うことを思っている。
スポーツは
人を熱狂させ
人をつなぎ
人生を変え
文化になるもの
だと思っている。
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私は整形外科医として
これまで多くのスポーツ現場に関わってきた。
トップアスリート
日本代表選手
プロ選手
学生スポーツ
そして
スポーツを楽しむ普通の人たち。
勝負の世界を
すぐ近くで見てきた。
でも
私が本当に心を動かされてきたのは
トップ選手だけではない。
仕事終わりに走る人。
健康のためにジムへ通う人。
子育ての合間に運動する人。
「昨日の自分より少し前へ」
と挑戦している普通の人たちだ。
そこにも
一般の人が想像する以上の努力がある。
毎日の積み重ね。
見えない努力。
怪我との戦い。
不安。
プレッシャー。
そして
それでも挑戦する姿がある。
私は
その姿に何度も心を動かされてきた。
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でも同時に
ずっと感じていたこともある。
それは
スポーツの価値が
「勝った負けた」
だけで終わってはいけない
ということだ。
勝った人だけが価値があるのではない。
速い人だけが偉いのではない。
レギュラーだけが主役なのでもない。
最後尾で必死に走っている人にも
ベンチで声を出し続ける人にも
怪我から復帰しようとしている人にも
それぞれの物語がある。
私は
その全部に価値があると思っている。
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私は50歳を前に
自分自身でもマラソンやトライアスロンに挑戦するようになった。
最初は94kg近くあった。
「忙しいから仕方ない」
と言い訳していた。
でも
本当は違った。
挑戦することから
少し逃げていたんだと思う。
根性なんか、出したことない。
そんな自分を
「ハイキュー!!」が変えてくれた。
だから走り始めた。
最初は本当にしんどかった。
数kmで息が切れた。
膝も痛い。
フォームもめちゃくちゃ。
フルマラソンでは
30kmを過ぎたあたりで
「もうやめたい」
と何度も思った。
でも
沿道の声援や
一緒に苦しんでいるランナーたちを見ながら
なんとか前へ進んだ。
ゴールした時
タイム以上に
「まだ挑戦できるんだ」
と思えたことが
うれしかった。
でも
少しずつ変わっていった。
体だけじゃない。
考え方も変わった。
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マラソンには
30kmの壁がある。
トライアスロンには
「もうやめたい」
と思う瞬間が何度もある。
でも
その時に最後に必要になるのは
才能ではなく
根性
だった。
ただし
根性だけではダメだ。
ちゃんと積み上げた人だけが
最後に根性を使える。
私は
それをスポーツから学んだ。
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そして今
私は思っている。
この経験は
スポーツだけじゃない。
人生そのものだと。
勉強も
仕事も
子育ても
地域活動も同じ。
楽なことなんてない。
思い通りにならないことだらけだ。
でも
だからこそ面白い。
挑戦して
失敗して
また立ち上がる。
その積み重ねが
人生を豊かにしていく。
ちゃんと積み上げた人だけが
最後に 根性 を発動できる。
私は
根性とは
「アドレナリンの塊」であり
「幸せの発火装置」
だと思っている。
苦しい時に
もう一歩前へ出る。
誰かを応援する。
挑戦を続ける。
その瞬間
人生に火がつく。
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今の時代
SNSではすぐに誰かを叩き
失敗を笑い
挑戦する人を冷やかす空気がある。
でも私は
そんな社会はつまらないと思う。
挑戦する人を増やしたい。
応援できる社会にしたい。
子どもたちが
「やってみたい」
と言える空気を作りたい。
そのためには
大人が挑戦する姿を見せないといけない。
だから私は
今も挑戦を続けている。
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私は
守山という街が好きだ。
琵琶湖がある。
自然がある。
歴史がある。
人との距離が近い。
そして
子どもたちがいる。
この街には
可能性がある。
スポーツも
教育も
地域も
全部つながる可能性がある。
スポーツを通して
地域に人が集まり
子どもたちが夢を持ち
世代を超えて熱狂できる。
そんな文化を
この街で作りたい。
私は
「スポーツを文化に」
したい。
ただ競技を強くするだけではない。
勝つだけでもない。
スポーツを通して
人がつながり
地域が盛り上がり
子どもたちが夢を持ち
挑戦する人が増える。
そんな文化を作りたい。
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そのために必要なのは
完璧な人間じゃない。
少し不器用でもいい。
失敗してもいい。
でも
「自分で考えて
自分で挑戦する」
その気持ちだけは
忘れてはいけないと思う。
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人生は
ゲームみたいなものだ。
でも
一つだけ違う。
このゲームには
セーブも
リセットもない。
だからこそ
面白い。
私はこれからも
挑戦し続けたい。
そして
子どもたちにも伝えたい。
「挑戦する人生は
面白い。」
と。
