-仮面舞踏会-
この社会は仮面舞踏会みたいだ。
それぞれが仮面をつけて
がむしゃらに舞い踊る。
社会から振り落とされないように
社会から見放されないように
最適な仮面を探し、
仮面を付け替えながら
社会という名の舞踏場で踊り狂う。
仕事先で見せる仮面
家族の前で見せる仮面
友人の前で見せる仮面
交流の場で見せる仮面
果たして仮面をいくつ持っているのだろう…。
シチュエーションの中でも、
ころころと仮面を付け替える。
仕事中なら、
上司に見せる仮面、
部下に見せる仮面、
同僚・同期に見せる仮面。
お客さんや利用者に見せる仮面。
家族の前でも、
旦那さん・奥さんへ見せる仮面と
子どもに見せる仮面は付け替えて、
場合によっては、
兄弟・姉妹で付け替えることだってある。
友人の前でも、
親しい仲の友人に見せる仮面と
まだお互い探り合いの仲で見せる仮面では
与える印象も受け取る印象も
まったく変わってしまう。
お世辞、社交辞令、
空気や世間体への同調で生まれる
愛想笑いや歪んだ表情。
もしかしたら、
仮面を持ち過ぎているのかもしれない。
いつから仮面を持ち始めたのだろう。
仮面を外した素顔の自分はどこにいる?
仮面を持ちすぎてしまうと、
本当の素顔がどれなのか
分からなくなることがある。
仮面はどうやって生まれるのだろう…。
勝手に生まれるわけではない気がする。
仮面は周囲の声や行動を通して、
その時々での最適解を探して作り出す。
けれど、
それが本当の最適解なのかは定かじゃない。
シチュエーションが変われば、
その仮面は使い物にならない代物に
成り変わることだってある。
その時の自分にとって、
最善策で最適解だと思う仮面で
その“時と場”を乗り切ってゆく。
仮面を外して、
粗や弱さが露わになった
素顔の自分を見つめる人は少ない。
素顔の自分は
静寂と孤独と共に、
静かに顔を出す。
素顔は、朧気にぼやけて
はっきり見えなくて怖ろしい。
喧騒や誰かといる時には、
知らず知らずのうちに
仮面を装着して、素顔は隠れる。
仮面は悪いものではない。
仮面は、その“時と場”を
乗り切って生き抜くための術として
作り出したものだと思うから。
時が変わり、場面も変われば
使い古した仮面を手放して、
仮面の断捨離をしても良い。
自分を守ってきた仮面を選別して
断捨離をしていくと
少しずつ素顔の輪郭が見えてくる。
仮面に隠れていた素顔は
脆くて醜いかもしれない。
素顔の輪郭を丁寧になぞりながら
脆さや醜さを少しずつ見つめていくと
ぼやけて見えなかった
本来の素顔が見え始める。
見え始めた本来の素顔は
質素で地味かもしれない。
けれど、
無理して装い着飾った自分よりも
等身大の自分で居られることが
何よりも美しい気がした。
ずっと素顔で過ごすのは
無防備すぎるからこそ、
必要最低限の仮面だけを携えて
身軽に舞い踊る。
これまでは舞い踊る余裕はなかった。
競い争い、緊張の中で
正しさと優劣に揉まれて
躓き転んで、踊れていなかった。
踊るどころか、理想を演じながら
見えない何かと闘っていたのかもしれない。
“舞踏会”ではなく、
“武闘会”にいるようだった。
仮面の下で
誰かは、哀しく涙を流し、
誰かは、したたかにほくそ笑む。
余計な仮面で着飾るのはもうやめた。
役割だけに縛られすぎなくても良い。
等身大のままで、ぎこちなくても
自分らしく舞えれば
それだけで上出来なのだ。
目立たず派手じゃなくても良い。
軽やかじゃなくても大丈夫。
十人十色のダンスを舞いながら
素顔を好きになっていければ、
それだけで素晴らしいのだから…。
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