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哲学教室 『ハックルベリー・フィンの冒険』 編 第1章〜第6章

ナラナラ・スクール事務局の矢口ゆりです。
1月18日より、哲学教室『ハックルベリー・フィンの冒険』(マーク・トウェイン 作、千葉茂樹 訳)編が始まりました。

https://narranarra-school.myportfolio.com/

哲学教室は、世界で読まれている名作児童文学を読みながら、作者のメッセージを汲みとり、「生きること」の意味について考え、自由に語り合う教室です。
第1章から第6章までの実施内容について、スクール主宰の中村がレポートを作成しましたので、ご参照ください。


第7期哲学教室・『ハックルベリー・フィンの冒険』編
第1章〜第6章(2026年1月18日〜2月22日)レポート

 2026年からは「哲学教室」7冊目となる『ハックルベリー・フィンの冒険』を、小・中・高校生合計13名と読みながらさまざまに語り合っていきます。以下、簡略的に1月〜2月の議論の要約です。


1.作者マーク・トウェインからの「警告」

まずは、この書の冒頭に以下の「警告」があることに注目しました。

______________________

NOTICE.
(警告)
Persons attempting to find a motive in this narrative will be prosecuted;
(この物語の真意をさぐろうとする者は告訴される。)
Persons attempting to find a moral in it will be banished; 
(教訓を見つけようとする者は追放される。)
Persons attempting to find a plot in it will be shot.
(構想を知ろうとする者は射殺される。)

BY ORDER OF THE AUTHOR                 
PER G. G., CHIEF OF ORDNANCE.       
(著者の命令を受け  兵器部長G.G.より発令)

____________________

ユーモアと風刺に満ちた作風の作家マーク・トウェインがこの本を読むに際して注意すべきことが書かれています。一言で言えば「学校の国語の授業で習った方法で読んではならない」です。作者は、読者一人ひとりが自由気ままにこの本を読んでくれることを求めています。ですので、この「哲学教室」でも自由に読んでいけたらと思います。もちろん、G.G.に射殺されかねない領域に踏み込むかもしれませんが、それもスリリングですね。


2.アメリカ文学の源流としての『ハックルベリー・フィンの冒険』

ヘミングウェイ、大江健三郎という二人のノーベル賞作家が多大な影響を受けたこの作品は、なぜ「アメリカ文学の源流」とまで言われるのでしょうか。
もっとも大きい要因は南北戦争以前の奴隷制があった時代を背景にしている物語であることです。黒人差別問題は、南北戦争後の奴隷解放宣言以降も20世紀半ばの公民権運動を経て、21世紀のBLM運動にまでつながる、現在の「アメリカ」を引き裂きつづけている問題です。またトランプ政権誕生によく表れているアメリカの分断は、黒人差別問題に限らず、貧富の差など南北戦争以前からアメリカという国が元来抱えている諸問題を浮き彫りにさせており、いま本書を読むことの意義の深さを確認しています。

ちなみに南北戦争については、「高校生の部」の方は学校でよく学習していましたが、なかなか日本人にとっては理解が難しいところでしたので、ミッチェル原作の映画『風と共に去りぬ』などを引きながら概略的に説明しました。

Gone With The Wind | 75th Anniversary Trailer | Warner Bros. Entertainment


3.「アメリカ」と「自然」

『ハックルベリー・フィンの冒険』の冒頭に、舞台となるミシシッピ川周辺の地図が描かれていますが、実際にGoogleマップで行ってみました。

Mark Twain Birthplace State Historic Site


この壮大な自然のなかで生まれ育ったマーク・トウェインが描く世界は、私たち日本人の想像力を遥かに超えた「自然」への畏怖を抱かせるものです。特に「哲学教室」に参加している方たちは、中村を含め比較的都市部に生まれ育っているため、この「自然」が支配する世界は、まるで旅行に出かけているような感覚かもしれない。ましてや19世紀アメリカ南部の、平気で銃弾が飛び交う西部劇さながらの、ポリコレも何もあったものじゃない荒くれ者たちの世界へのタイムトリップです。第6期の19世紀北米カナダの孤島を舞台にした『赤毛のアン』の揺れ動く「ロマンチック」な女性性の物語とはまた違った、アメリカ大陸の「ワイルド」な男性性の物語を見ていきます。そのキーワードとして、哲学者エマーソンとソローの『森の生活』を紹介しました。


4.黒人=「悪魔」のイメージ

『ハックルベリー・フィンの冒険』でハックと逃亡の旅に出る黒人奴隷ジムは、魔女や悪魔と会話ができたり占いを信じていたりと、ナンセンスな非理性的人物として描かれています。
これについて、参加者からは当時の黒人奴隷が教育を受けていなかったから、といった意見が出ました。確かにその面は20世紀以降、現在まで続く人種間の教育格差問題です。

米国における人種間の教育格差の実態 | 世界経済フォーラム


しかしながら、ジムが述べる「悪魔」との対話は、単に非理性的思考を示しているのではなく、白人支配に基づく「White(白)」=「Good(善)」、「Black(黒)」=「Evil(悪)」といった支配-被支配の構造の内面化と捉えることもできます。この内面化を端的に歌ったのが黒人音楽のルーツ、ブルースと紹介しました。

Robert Johnson - Me And The Devil Blues With Lyrics


この曲の歌詞は自分と悪魔が一つになって黒人として生まれたことを示しています。
この点は、今回参加者には伝えていませんが、ポストコロニアル批評の基本文献であるフランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面 植民地主義と黒人の心理分析』を参照すると、当時の黒人が内面化した心理をたどる上で欠かせないので、今後引用していきたい。
さらにブルースからジャズへと発展するわけですが、アメリカ南部の悲惨な黒人差別を歌ったのがビリー・ホリデイです。

Billie Holiday - Strange Fruit 1954 対訳 奇妙な果実


この「Strange Fruit(奇妙な果実)」に喩えられた黒人奴隷の姿を世界がようやく直視したのが20世紀半ばと言えるかもしれません。19世紀から20世紀初頭の「悪魔的」とされた黒人音楽であるブルース、ジャズ、そこからロックが生まれ、それを模倣したエルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ビートルズといった白人の音楽家による黒人音楽の普及は、公民権運動やベトナム反戦運動などのカウンターカルチャーと連動していきます。
今、小中高生たちが何気なく聞いている米津玄師等のJ-POPも、元を辿ればブルースやロックに行きつきますが、企業の営利目的のために商品化された音楽には、20世紀にまだ残っていた反抗精神はもはや失われているのかどうか、もしくは現代の若者たちが抱く社会への抵抗感といった形で引き継がれているのか話しあいました。
なお、当時の黒人奴隷の問題を扱った名作映画を紹介しました。

映画『それでも夜は明ける』予告編


5.アルコール依存症とDVと貧困家庭

ハックの父親は読み書きができないために、アメリカ社会の最底辺にいる労働者であり、アルコール依存症による生活破綻から抜け出すことができないでいます。ハックはその父親に監禁され、日々暴力にさらされますが、なんとか自らの偽装死によって脱出に成功します。
参加者たちには、こうしたハックの限界状況を自らの周辺に引き寄せて考えてもらいました。友人にハックのような友達がいたらどうするか、ハックの父親にはどのような対応すべきか問うてみたところ、参加者の中にはハックの父親は死刑にすべきという意見も出ましたが、ある程度の罰もあっていいが、治療と再教育が必要だなどさまざまな意見が出ました。

依存症の根源は「孤独」です。ハックの父親が自らのような白人至上主義者で南部気質の人間を尊重しない当時のアメリカ政府を罵倒する箇所(白人であるにも関わらず社会に見捨てられた自身への怒りや悲しみの表出で、現在のトランプ支持層の感情に通じる)や、ハックが自らを死者として葬り、ミシシッピ川(西洋における生と死の境界〈レーテー:忘却の河〉の象徴)に浮かぶ箇所は、まるで良質なアメリカン・ニューシネマのワンシーンのように印象的です。現代のアメリカ社会に限らず、この部分は国家とは何か、資本主義とは何か、人間の尊厳とは何かを「孤独」を鍵語として考えるうえで重要であることを皆と共有した。

1960年代後半のカウンターカルチャーが生み出した“アメリカン・ニュー・シネマ" (前編) – 世界の映画史 (5) – 『卒業』『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』『ワイルドバンチ』 | CINEMA & THEATRE #058 – DIG TOKYO


6.近代国家の原型としてのホッブズ『リヴァイアサン』と、政府統治を否定するゴドウィンの無政府主義(アナキズム)

 衆議院選挙もあり、近代における「国家」の形成過程について、両極端の思想を紹介しました。高市自民圧勝のなか、ホッブズ的統治かゴドウィン的無政府主義かを考えると、このようなイデオロギーの二元論に囚われることなく、台湾の初代デジタル発展相オードリー・タンのような多数決によらないデジタル民主主義といったアナキズムの新たな展開もあることを主に「高校生の部」では紹介しました。

【人類に残る選択肢は2つ】台湾のオードリー・タンが語る次世代AI/民主主義のバグはプルラリティで解消/合意形成と速度の適切なバランス/言論の自由を守る仕組み/日本と台湾は明るい【FUTURECARD】

 
 1月、2月の要点は以上となります。 


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