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物書きにハマって坐骨神経痛になった

投稿休んで4週間が経ったらしい。noteからのお知らせで気づかされた。

休んだ理由は、タイトル通りだ。実は、note始めて1ヶ月も経たないうちに、持病の首ヘルニアに加えて、坐骨神経痛まで発症した。

それでも懲りずに、毎日10時間以上はパソコンの前に座って、物書きをし続けていた。何よりも楽しかったのだ。キーボードを打つ手は止まらなかったし、風呂も食事も2〜3時間の睡眠ですら惜しかった。実際、眠ったところで、夢の中でも文章を綴っていたから、寝る必要すら感じない日々だった。

ただ、想像してみてほしい。

「趣味の物書きにハマって、首ヘルニアと坐骨神経痛になったので、下手クソな踊りしか踊れません」

などと言い出すフラダンスの先生がいたとしたら……

私は、いさぎよく、物書きを休んだ。

休んでいる間は、小説を読んでいた。見出し画像の本がその一部だ。47年間、一度も小説を読まず、一年に一冊も読み切ることができないほどの大の活字嫌いの私が、この1ヶ月にこれだけの本を読んだのだ。本当にどうかしていると思う。

物書きを休んだとはいえ、有料記事の「めちゃくちゃ更新日記」だけは、ちょくちょく更新していた。教室運営の実態や生徒の成長について思うこと、臨床心理士研修会でのことなどを、思うまま綴っていた。あらかじめ、書き殴り投稿であることをうたっていたから、気軽に投稿できたのかもしれない。

振り返ると、書き始めた頃は、文章を書くことがとにかく楽しかった。今ももちろん楽しい。楽しいのだが、どう言ったらよいのだろう、今は正直、書く快楽にストッパーが装備されたような感じで、書く時はいつも、独特の苦しさが付きまとっている。

そのストッパーの1つが「推敲」だ。論文の推敲はそれなりに経験があるが、エッセイにまで推敲があるなんて考えたこともなかった。エッセイは、書きたいことを書いていいんだ、とてっきり思っていたのだ。

推敲を知って以来、「これまでの物書きはなんだったのだろう?」と一気に恥ずかしくなった。全部の投稿を消したかったが、とりあえず、半分近くの投稿を消した。そして、新たな記事をどんどん書くことよりも、すでに書いた記事をもう一度読み直し、書き直す作業に取り組んだ。

「本当に言いたいことはこれか?」
「自分が言いたいことを書いてしまっているんじゃないか?」
小川哲さん流に言えば「自分のために書かれていないか」などを、1文ごとに自分に問い続けた。

が、どこまでいっても、自分の中に初めて宿った推敲の目がOKを出すことはなかった。

世界の中心で「私が伝えたいことはこれだー!」と叫んでいいのなら、そんな気持ちのいいことはないのだが……

出したいのに出させてもらえないあの苦しみは、はっきり言って地獄だ。この推敲地獄が祟って、私は具合が悪いのではないかとすら思う(笑)

冗談はさておき、私は、この推敲地獄のおかげで、腹の底から深い気づきを得た。ここにきて、新しく物書きなんぞに挑戦してみて、それも結構本気でやってみて、本当によかったと思っている。

確かに、坐骨神経痛になったし、首ヘルニアも再燃してしまった。けれど、フラダンサーを引退してからというもの、寝食そっちのけで、ここまで夢中になって取り組んだことはなかったように思う。

皮肉な話ではあるが、フラを踊る許可を失ったと同時に失った「踊るこころ」を、物書きで取り戻した瞬間だったように思う。

さて、こうして恐る恐るキーボードを打つ手も、スマホを持つ腕も、座っているお尻も足も、首も目も頭も?まだまだ本調子ではない。嫌い嫌いも好きのうちの推敲地獄にまたハマって、あの独特の痺れや痛みが戻ってきては困る。何よりも「下手クソな踊り」を何とか直さなくては、生徒に顔向けできない。

だから今日は、このまま推敲なしで、4週間ぶりのウォーミングアップとして投稿しようと思う。

あえて推敲をしないのは、物書き中毒のスイッチが入らないようにするためでもある。こうして物書きを再開したことが、誰よりもこの自分にバレないように、そーっと書き始めたいのだ。

それなのに……

書き始めた途端にもう、次に書きたいことが中待合で待機している?ような気がする。

ということで、「書いてくれ書いてくれ」という内側からの声が聴こえるので、また近々に投稿するような気がする(笑)


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