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日本で私はどう生きていくのか?             エチオピア行って帰って100の疑問!?   No.097

子どもの頃から少数派だった。

学校は好きじゃない。
休めるものなら休みたい。
集団で何かをする時にとりあえず表面は合わせるができたらやりたくない。

本や漫画が好きでアイドルには興味がない。
勉強はできるし、校則を破ったりもしないが、
いわゆる優等生ではない。
人付き合いができないわけでもないが、
そんなに人気者でもない。

学校に勤めているとますます少数派だ。
基本的に学校の教員になる人は学校というものが
好きでその中でうまくやってきた人が多い。

学校を滅多に休まないのが当たり前だ。
皆勤だったという人もよくいる。
積極的に部活動と勉強に励んだ優等生が多い。
上の言うことを良く聞き、生徒は従順であるべきだと思っている。学校に長くいるのは苦にならない。そういう人が多い。

だけど私は空気を読んでとか人に合わせてとかがどうも好きになれない。何か納得のいかないことが
あった時にまあまあと流すことができない。
バカで損な性分だとは思うが、自分の性根を変えることはどうしてもできないのだ。

残念ながらしばしば世の中と合わない。
特に自分が間違っているとも思わないが、
世の中の大勢とは異なる意見を持つことが多い。

現在日本に住んでいる人の多くは発展途上国に行きたいとか暮らしたいとか思わない。
遠い外国で何か紛争があったとしても自分には関係がないとしか思わない。
みんな自分の生活やスマホから流れてくる情報で頭がいっばいなのだ。

日本の暮らしは便利だけど人の気配がない。

私も日常の大半はそうやって暮らしている。
日本で電車に乗っていると、かなりの人がスマホの画面だけを見つめていて一人ひとり透明な殻にこもっているように見える。

その殻の外に他の人など存在していないようだ。
それぞれが自分の思い込みの殻の中で暮らしていて他の人にも感情や尊厳があるということを忘れた
振る舞いをしがちだ。

ただ人が人であるということを常に思い続けるのは難しい。世界中で争いがあり事件があり災害がありそれらがなかったとしても老化や病気や事故で人は死に続ける。

その度に心を痛めているときりがない。
だから私たちは自分に関係のない人の死は見ないふりをする。特に遠い国の話など。

実際見ないふりをする方が気は楽だ。
見てしまうけれども自分にできることなど何もないというのをかみしめて暮らす方が辛い。

募金などできることはまったくないわけではない。だけど戦地に暮らす人たちからすれば 、医療支援はありがたいけどそれよりミサイルを止めてくれませんか、と言いたいところだろう。

申し訳ないが私にミサイルを止める力はないのだ。それどころか国連であっても他国の代表であっても戦争を止められない。

そんな中でどう生きるか。見ないふりを続けるか、見て心を痛め何もできないことを申し訳なく思い続けるか。

私は見なかったとは言えないので心を痛め続けるしかない。バカで損な性分を変えることはできない。

私はこれからも少数派として生きる。
おかしい、納得がいかないと思ったら
言葉にして話したり書いたりする。
納得がいかないのに無理に納得したふりはしない。体制に都合のいい従順な人間には
どうやっても一生ならないだろう。

多数派ではない、楽ではない方の道を歩いていく。

アビィヤディの岩山
今も変わってないのだろうか。

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