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芦川は「ごはん」でしか話せない|『おいしいごはんが食べられますように』感想

『おいしいごはんが食べられますように』を読んで、
最後までよく分からなかった人物がいた。

芦川である。

体調を崩しやすく、仕事も得意ではない。

それでも、料理をする。

お菓子を作る。

手作りの良さを語る。

周囲から見ると、少し押し付けがましくも見える。
なぜ彼女は、あんなにも食べ物にこだわるのだろう。

読み終えてから考えていて、一つの答えにたどり着いた。

芦川は、「ごはん」でしか話せない人だったのではないかと思う。

二谷は、自分の気持ちにも向き合えていない

一方の二谷は、冷徹で客観的な人間だ。

職場の同僚を、いつもどこか冷ややかに見ている。

幼い頃、祖母から優先的にお菓子をもらった思い出さえ、「長男だったから」と説明してしまう。

文学部に進まなかったことへの未練も、「好きなことより大事なことがある」と押し込める。

そんな二谷を見て、押尾は「この人の気持ちはどこに置かれているのだろう」と思う。

そんな二谷が恋をしたのは、頼りなく、弱い感じの芦川だった。

彼はいつも、自己主張が少なく、気持ちを確かめようとしない女性を好きになる。

だから、押尾ではなく、芦川を選んだ。

芦川は「ごはん」で気持ちを伝える

しかし、二谷には一つ問題があった。
彼は、手作りの料理が苦手だった。

芦川は自己主張しない。

二谷の気持ちも読もうとしない。

そのかわり、自分の気持ちを「ごはん」で伝えてくる。

ちゃんとした食事を取るように説教する。

二谷の家に来て、料理を作る。

職場にお菓子を持ってくる。

それらは、二谷が受け取れないものばかりだ。

好きなのに苦しい。
かわいいのに嫌悪する。
本能と拒絶が同時に存在する。

二谷の限界は、少しずつ近づいていく。

彼は最初から、人の気持ちを受け取ること自体が苦手だった。

だから、手作りの料理が気持ち悪い。

衛生面の問題や、味の問題も、確かにある。

でもたぶん、一番の理由は、そこに「誰かの気持ち」が入っているからだと思う。

既製品なら平気なのは、誰の気持ちも感じなくて済むからなのかもしれない。

やがて、芦川は職場にお菓子を持ってくる頻度を増やしていく。

彼女のお菓子は、ただのお菓子ではない。

「みんなに喜んでほしい」

そんな彼女の気持ちそのものだった。

しかし、その気持ちは相手の反応を見ていない。

押尾と二谷は、その気持ちを受け取り続けることに疲れていく。

二人は、受け取りきれなかった気持ちを踏みにじった

押尾は最初から芦川が嫌いだった。

そして、ついに我慢の限界を超える。
お菓子をゴミ箱に捨てるといういじわるに出てしまう。

一方の二谷は、もっと深刻だった。

彼は、押尾のように悪口やいじわるという形で、自分の気持ちを表現することもできない。

彼は、誰も見ていないところで、革靴でお菓子を踏み潰した。

押尾が捨てたお菓子。

二谷が踏み潰したお菓子。

それらは単なる意地悪ではなく、二人が受け取りきれなかった芦川の気持ちを踏みにじる行為だった。

他の社員たちは、

「かわいそう」

「悪気はないんだから」

と思うことで、そのお菓子を飲み込めた。

二谷と押尾には、それができなかった。

やがて押尾は職場を去る。
二谷も異動する。

結局、二人は芦川の気持ちを飲み込むことができなかった。

共感できたのに、二谷は押尾を守れなかった

そして、最後の押尾の言葉につながる。

「わたしたちは助け合う能力をなくしていってる。その方が生きやすいから」

この「助け合う能力」とは、
もっと具体的に言えば、

「誰かの気持ちを受け取る能力」

なのかもしれない。

しかも、それは他人だけではない。

自分自身も含めて。

だから二谷は胸を衝かれる。

彼はずっと、

他人の気持ちを受け取らず、
自分の気持ちも無視して、

その方が生きやすいと思ってきた。

でも押尾は、

「それで生きやすくなる。でも、何かを失っていく」

と言う。

その言葉によって、初めて二谷は、自分が失ってきたものの大きさに触れてしまった。

押尾は、「ごはん」の話をして二谷との共通点を探そうとした。

芦川の悪口を言って、本音を引き出そうとした。

そうやって、二谷と繋がろうとしていた。

でも、それを重く感じる二谷は、押尾を選べなかった。

いじわるを提案した彼女を守ることもできなかった。

二人は共感できたのに、二谷は彼女を守れなかった。

最後に、二谷は少しだけ問いかける

最後に、二谷は少しだけ変わる。

送別会で芦川がケーキを出した時、いつものように「すごい」「うまい」と言う。

芦川は嬉しそうに笑う。

すると二谷は、

「ほんまうれしいんかそれ」

と言う。

普段の彼なら、そんなことは言わない。

確かめることもしない。
自分の気持ちを出さない。

でもあの場面では、

「本当はどう思ってるんだろう」

という問いを、芦川に投げている。

そして続けて、

「俺たち結婚すんのかな?」

と聞く。

それに対する芦川の返事は、

「わたし、毎日、おいしいごはん作りますね」

だった。

少しずれた返事のようにも見える。

でも、それが芦川の答えだったのだと思う。

「嬉しい」
「ありがとう」
「一緒にいたい」
「大切にしたい」

そんな言葉の代わりに、芦川はごはんを差し出す。

彼女は、「ごはん」でしか話せない人だった。

自分の不器用さの中で、二谷は初めて、少しだけ芦川に問いかけようとした。

しかし、返ってきたのは「ごはん」だった。

だから、すれ違う。

生活のこと。
価値観のこと。

二人が結婚したら、話し合わなければならないことは、きっとたくさん出てくる。

その度に、芦川は「ごはん」で気持ちを表現するのだろう。

嬉しい時は、とびきりのご馳走。

うまくいかなかった時は、お詫びのお菓子。

二谷は、自分の気持ちをどう返すのだろうか。

『おいしいごはんが食べられますように』というタイトルは、ただ、おいしいものを食べられますように、という願いではない。

相手の差し出した気持ちを。

自分自身の気持ちを。

ちゃんと「おいしい」と感じられますように。

そんな祈りのようなタイトルだったのかもしれない。

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