ワークショップに、いつもとは違う視点を加える方法_「役を借りる」ファシリテーションの三つの働き
役を借りて、別の景色を見る
テーブルの中央に、四つのカードを置きました。
「できれば、いつもの自分とは少し違う場所のカードを選んでみてください」
参加者は、それぞれカードを手に取りました。
いつもの立場を選ぶ人もいます。けれど多くの人が、ふだんなら立たない場所へ移っていきました。
学級担任。体育主任。支援学級担任。保護者。
このあと何が始まるのか、まだ誰にもはっきりとは分かりません。ただ、一人ひとりが選んだカードには、その人が大切にしている願いが書かれています。
「今日は、この人の願いを預かってください。」
誰かを上手に演じる必要はありません。その人を正確に理解する必要もありません。ただ、その人が何を大切にし、何を心配し、何を願っているのかを、自分の言葉で少し考えてみます。
「私は……」から話し始めると、場の空気がゆっくり変わりました。
さっきまで自分として語っていた人たちが、別の誰かの願いを、自分の声で探り始めます。
少しよそ行きで、けれど真剣な時間が始まりました。
役を借りるとは何か
awenのファシリテーションでは、参加者がいつもの自分だけでは入りにくい問いに出会ったとき、「役を借りて、別の景色を見る」という方法を用いることがあります。
これは、演技の上手さを競うロールプレイではありません。また、他者を理解したつもりになるための体験でもありません。
いったん自分の立場から少し離れ、誰かの視点、感情、願いを借りることで、問いの中にある景色を増やしていくための設計です。
役を借りるとは、他人になりきることではありません。いつもの自分だけでは入れない問いへ入るために、別の人の視点、感情、願いを一時的に借りることです。
ここでは、実際の研修実践を手がかりに、この方法が何を生み、どのように設計できるのかを考えてみます。
実践そのものを紹介するのではなく、そこから見えてきた理論を手渡すためです。
第一の働き 借りた声が、言葉の入口になる
最初の出発点は、管理職候補者が集まる論文研修でした。
まだ管理職を経験していない参加者に、「あなたが教頭なら、どう対応しますか」と問いかけても、すぐに言葉が出るとは限りません。正しさを求められているように感じるほど、考えは固まりやすくなります。
そこで、参加者は自分が出会ってきた管理職の姿を思い浮かべ、その人ならどう考えるかという視点を借りて、課題について語りました。
自分の答えとして断言しなくてよい。借りた声として話せるからこそ、まだ曖昧な考えも場に置きやすくなります。
ここで起きているのは、責任を放棄することではありません。発言への過剰な責任を少しだけ外し、考え始めるための余白をつくることです。
自分ではない誰かの言葉として始めた対話が、いつの間にか自分の考えを育てていきます。
自分から離れるために役を借ります。けれど、その道のりで、自分の言葉が内側から出てきます。
第二の働き 正答の前に、問いの中の人に触れる
同じ論文研修では、次にもう一歩進んだ形を試しました。
管理職としての対応を考える前に、課題の中にいる生徒と、最初に思いを受け取る担任の役を、短く演じてもらいました。
学校の課題には、組織として必要な対応があります。
意向を確かめる。
情報を共有する。
関係機関と連携する。
どれも大切なことです。ただ、その言葉だけを並べると、対話は早く終わってしまうことがあります。
役を借りる時間は、その前に置く助走です。
生徒の不安、担任の迷い、保護者の願いなどに、自分の言葉と感情で少し触れてから、あらためて管理職として考えます。
すると、対応策は単なる手順ではなく、誰のために必要なのかという問いと結び直されます。
ここで大切なのは、短い演技によって当事者の経験を理解できた、と考えないことです。
むしろ、自分にはまだ見えていない感情や事情があることを知り、簡単には正答を出せなくなります。そのための入口として、役を借ります。
第三の働き 願いを預かり、静かな影響を残す
特別支援教育研修では、この方法を「願いを預かる」形で用いました。
参加者は、学級担任、体育主任、支援学級担任、保護者のカードから、できれば普段とは異なる役を自分で選びます。
カードには、その役割だけでなく、その人が大切にしたい願いが書かれています。
参加者は「私は……」から願いを語り、他の三人は反論や解決策ではなく、「なぜそれを大切にしたいのですか」「何が心配ですか」と質問します。答える人は、カードに書かれた短い文章の奥にある願いを、自分なりの言葉で探ることになります。
この時間に生まれるのは、共感だけではありません。違和感や、もやもやも生まれます。
けれど、その感情をその場で「学び」としてきれいに回収する必要はありません。
役を降り、自分へ戻り、別の問いについて考える時間を置きます。すると、借りた役の感情や願いは、後の思考や言葉の背景に静かに混ざっていきます。
役を借りることの効果は、すぐに「気づき」として現れなくてもよいのです。
別の景色を通った経験が、その後の自分の言葉に静かに影響すればよいのです。
三つの働きは、別々の技法ではない
借りた声で考え始めること。
問いの中にいる人の景色に触れること。
役を降りたあとも、その経験を静かに残すこと。
これらは別々の技法ではなく、「役を借りて、別の景色を見る」という一つの方法の、異なる深さです。
役を借りることは、参加者の現在の見方を否定しません。むしろ、今見えている景色を大切にしたまま、そこに別の景色を加えます。
だから、対立する意見を一つにそろえるためではなく、異なる願いを抱えたまま共に考えるための場に向いています。
この方法を使うときの設計条件
役を借りる時間は、カードを配れば自然に成立するものではありません。
次の点を整えておきたいです。
役割だけでなく、その人が大切にしている願いを具体的に渡します。
できれば普段とは異なる役を選べるようにします。ただし、選択を強制しません。
「私は……」から話すことを促します。ただし、物まねや正確な再現は求めません。
聞く側には、反論よりも願いを知るための質問を依頼します。
答えを一つにまとめることを急ぎません。
最後に、役を降りて自分へ戻る合図と時間をつくります。
特に最後の「役を降りる」時間は省かない方がよいです。
役の言葉と自分の言葉を混同しないためでもあり、借りた景色を自分自身の対話へ持ち帰るためでもあります。
景色を増やすために
研修で必要なのは、参加者の見方を正しい方向へ変えることではないのだと思います。
自分がどこから見ていたかに気づき、まだ見えていなかった景色を、自分の中に少し増やすこと。その景色を持ったまま、もう一度自分として考え始めることです。
役を借りるとは、誰かになるための方法ではありません。自分の景色を、少し広げるための方法です。
次に誰かと考える場面で、すぐに結論を出さずに、いったん別の役を借りてみる。その小さな遠回りが、これまで見えなかった景色を場にもたらすかもしれません。
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