さしずめ、現代版“鳥獣戯画”アニメーションともいえる、スペイン人監督による『ロボット・ドリームズ』
昨晩、『ロボット・ドリームズ』を、吉祥寺UPLINKにて、20:30開演の夜上映で観ることができました。
やはり、かなりの評判を獲得しているようで、客席はほぼ満席でしたね♥
スペイン人の監督による作品で、西仏合作の映画だそうですが、マーケットを意識してか、そして、欧州の人たちの憧れの地でもあるためか、物語の主な舞台は、米国ニューヨークのマンハッタン。
と思ったら、原作者が米国女性であり、設定と結末は変えないことでアニメ化を承諾されたのだそうです。
原作者のサラ・ヴァロンについて
パブロ・ベルヘル監督へのスペシャル・インタビュー
「プロダクション・ノート」的な動画による詳細資料は、以下をご参照ください。
登場“人物”たちは、人間ではなくて、全員が動物たちであり、そこに、愛玩する“商品”として、ロボットを購入するというシチュエーション。
主人公には名前が無くて、ただ“Dog”という動物の種類しか示されず、他に登場するのも、動物の種類しか示されず、ロボットについても、特に名前が付けられてはいません。
性別も、敢えて明確には示されませんが、何となく、外見から、男女の区別が付く程度の描き方がされています。
そして、愛玩する存在としてのロボットの性別も明示されておらず、いわゆる“バディ”という表現が相応しいと思いますね。
まさに、LGBTQを意識した作品であるといえましょう。
したがって、ロボットとしても、あくまでも、購入者に対して、精一杯、愛情または友情を示すように予めプログラミングされていて、そのように活動するという展開がなされます。
ところが、ロボットの使用法を間違ったり、或いは経年劣化的な現象が発生すると、トラブルが生じてしまい、いろんな“事件”が起きます。
そこから、主人公たる“Dog”が、自身の“バディ”をどのように探し求めて行くか、ということが主なテーマになっていくのだと思います。
その際に、社会のルールにより、主人公は、必ずしも自身の希望どおりの行動を取ることができなくなり、その状況下で、いかに自己実現を図るか=愛情や友情を育むかの“悪戦苦闘”が描かれて行きます。
また、この物語における結論=エンディングが、いわゆるハリウッド的な、いかにも観客が単純に喜びそうなハッピーエンディングとならないところが、ある意味、スペイン人監督による、欧州的な考え方が盛り込まれた作品であるともいえますね。
そして、監督の妻が日本人であり、この映画の製作にもおおいに関わっているので、実は、日本人的な視点も盛り込まれているのではないかと思いました。
物語の舞台は、ニューヨークであるとともに、リゾート地にも出掛けるために、四季折々の風景によって、様々なストーリーが展開されていきます。
特に、主人公のDogとロボットが、夏真っ盛りのリゾート地での“海の家”や浜辺でレクリエーションを満喫していくロケーションが、何となく日本の江ノ島海岸辺りの様子を彷彿とさせており、
さらに、シーズンオフとなり閉鎖されて、秋冬を経て、再び春から夏に戻っていく風景が、本来は米国の常夏のリゾート地とはならずに、いったんは、完全に寒々とした冬になってしまうのが、通常のリゾート地とはかなり異なるように感じられました。
そして、台詞が一切登場せずに、状況を説明するのに最低限の字幕が表示されていきます。
後は、アース・ウインド&ファイアーの名曲“セプテンバー”をはじめとする音楽が、シチュエーションの描写と登場する動物たちとロボットの“感情”を代弁するために使われているのが面白かったですね。
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敢えていえば、日本人にとっては、さしずめ、現代版“鳥獣戯画”的なアニメーション映画であったという感想を抱きました。
※※※
全くの余談ですが、
かつて、1970年代頃に観た、イタリアの短編映画『ぼくのチャーリー』を彷彿とさせた長編映画でした。
NHKのスポーツ中継などで、予定よりも番組が早く終わってしまうと、まるで埋草のように挿入される短編映画の1つだったのですが、
10分足らずの実写映画で、イタリア映画であり、タイトルしか示されずに物語が始まります。
5歳程度の少年に犬が飼い与えられて、その犬をたいそう気に入り、いつでもそばに寄り添いながら楽しい日々が描かれますが、
ある日、その犬が、唐突に彼の元を離れ、どこかに駆け出して行ってしまいます。
落胆した彼は、それでも、自分のできる範囲で街を探し回り、その犬の足跡を探そうとします。
ある時には、若い女性の二人連れに出逢い、一生懸命事情を話そうとするのですが、
それを聴いていた女性が、やおら、彼の頬にキスをするのです。
あなたに神様の祝福がありますように、と。
そのシーンのシルエットが今でも脳裏に刻み込まれています。
そして、その甲斐があったのか、遂に、彼は、犬との再会を果たすことができたのですが…。
これらのシチュエーションが、全て台詞無しで、今回の『ロボット・ドリームズ』で効果的に使われた「セプテンバー」のような、オリジナルのBGMが全編に流れていました。
そのメロディーを、その短編映画が放映された1回限りしか聴いていないのですが、今でも、私は、その音楽をソラで再演することができるほど、やはり脳裏に深く刻み込まれているのです。
その犬が、何故、突然彼の元を離れ、新たな“犬生”を歩もうとしたのか。
その理由を示すシーンを、たった1つの短いシーンで、その短編映画の作者は表し、少年も、そのことを瞬時に理解して、その犬=チャーリーを抱きしめ、その場をそっと離れて行きました。
それが、果たして何であったのかを述べるのは、ある意味野暮でもありますので、皆さんのご想像に任せるとして、友情を越えた愛情であれば、何でも当てはまるのではないかと思います。
カメラは、まるで神の視点であるかのように、そこからクレーン撮影により空に向かって行き、印象的なBGMが流れながらエンディングを迎えます。
主題は、今回の『ロボット・ドリームズ』(英語のタイトルまたは邦題としては、『ロボットの夢想たち(複数形)』とも、『ロボットは夢想する(一人称単数)』とも両方に解釈できるように思います)の、“バディ”とは何か、であり、ロボット=犬に置き換えれば、やはり同様な結論となります。
私にとっては、たぶん、もう二度と観ることができない、イタリアの短編映画だと思いますが、私の脳内メモリーには、その映像と音楽とストーリーテリングがいつまでも刻み込まれていくのだと思います。
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