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きっと自由のために傷付く者こそが、本物のニュータイプなのだから


自由を忘れた時、民主主義は弱体化する

 タイトルは「機動戦士ガンダム GQuuuuuuXジークアクス」の終盤にシャリア・ブルが放ったセリフだが、年明けのベネズエラ情勢を見ていると、自由こそが民主主義の根幹であることは、フロムの「自由からの逃走」も相まって想像に難くない。

 過日、「どうせ暇なら」的な文脈で親から選挙の応援要請が来た際に、イデオロギーの不一致を理由に断ったところ「誰がやっても変わらない(だから手伝え)」と火に油を注いで来たことを記した。

 両親共々高卒で、所得水準や教育水準など推して知るべしな家庭で育った身としては、自分よりも長く生きている周囲の大人たちが「政党は関係ない、候補者の品格で当選が決まる」などと、言葉の節々からカリスマ的ポピュリズムになびいては、自分の頭で考えず簡単に流されるであろう愚民だと察してしまう。

 イデオロギーの違いすら理解しておらず、理解する気もない愚行さを、ベネズエラ情勢を引き合いにしても「ちょっと何言ってるか分からない」と返される体たらくに、私が生まれ育った失われた30年の責任の過半は、愚かな当時の民衆にもあると思わざるを得ない。

 2025年のノーベル平和賞を受賞したマチャド氏のスピーチ(娘さんが代理)では、自由と民主主義が当たり前ではないこと。それらを自分たち一人ひとりが守るために闘う必要があることを述べており、その一部を以下に引用させていただいた。

We built a democracy that became the most stable in Latin America, and freedom unfolded as a creative force.
──私たち(ベネズエラ)は中南米で最も安定した民主主義を築き、自由は創造的な力として花開きました。
But even the strongest democracy weakens when its citizens forget that freedom is not something we wait for, but something we become.
──しかし、どれほど強固な民主主義であっても、市民が「自由とは待つものではなく、自らが自由そのものになることだ」ということを忘れた時、それは弱体化します。 
It is a deliberate, personal choice, and the sum of those choices forms the civic ethos that must be renewed every day.
──自由とは、意識的で個人的な選択であり、その選択の積み重ねが、毎日更新されるべき市民的倫理を形成するのです。

Nobel Prize lecture: Maria Corina Machado, Nobel Peace Prize 2025

権利ばかり主張し、義務を果たさない愚者

My generation was born in a vibrant democracy, and we took it for granted. We assumed freedom was as permanent as the air we breathed. We cherished our rights, but we forgot our duties.
──私の世代は活気に満ちた民主主義の中に生まれ、それを当たり前だと思っていました。 自由は吸う空気のように永続的なものだと決めつけ、権利を大切にしながらも、義務を忘れてしまったのです。

Nobel Prize lecture: Maria Corina Machado, Nobel Peace Prize 2025

 耳が痛い。私は高卒で社会に出たが、アイデンティティ形成をする上で重要となる一社目が鉄道業界という2010年代当時、まだ労働組合が幅を利かせていた(相鉄は2014年にストライキを決行している)業界内で、労働者の権利の名の下に、反権力/反組織側とも言える左派的な活動経験がある意味で、令和時代の今となっては生きた化石に等しい。

 平成生まれにも関わらず、毎年のように昭和時代を彷彿とさせるスト権投票をしては、春闘の労使交渉で、会社側の言い分と、御用組合側の要求を、できる限り中立で理解しようと努めていたからこそ、「権利」と「義務」が表裏一体である重さを理解し、参政権や株式の議決権は、曲がりなりにも自分の頭で理解できるよう咀嚼したうえで、できる限り行使するよう心がけている。

 それが権利を与えられている者の義務というものであり、権利ばかり主張して、義務を果たさない愚者に憤りを感じるのは必然だろう。

自由のために闘う意志

 n=1の経験則ではあるが、テレビという偏向報道受信装置から情報を受動的に受け取るオールドタイプが、1995年から微動だにしなかった103万円の壁を30年ぶりに動かしたり、ガソリンの暫定税率を廃止の立役者となった某政党を「スキャンダルを起こした党首を降ろせない情けない政党」と批判していて絶句した。

 不倫なんて関係する三者を除けば、本来的にはクソどうでもいいことで、完全にマスメディアの偏向報道に踊らされている。

 どう考えても、日頃「野党第一党としての責任」を謳う党首が、先の首班指名でその“情けない政党”の党首に一本化する案を出したことの方が、支持者に対して責任なんて取る気がないと受け取られても致し方ない対応であり、よほど情けないのではないか。と、酒の力で食って掛かったところ、笑って誤魔化されたが、この体たらくで、意識的で個人的な選択という、民主主義の根幹でもある「自由」を守れるのか。

 ベネズエラがものの四半世紀で三権分立を破壊して権力を集中させ、腐敗した代償とも言えるハイパーインフレにより、経済弱者の生活が窮地に追い込まれては、イデオロギー、人種、出自によって社会が分断している現状を鑑みると、我が国も他人事ではないと恐怖する。

 成熟した民主主義を築き、将来世代に引き継ぐ責任を果たすには、自由のために闘い、自由のために傷付く応酬が、今後も繰り広げられるのだろうと諦観する今日この頃である。

we must be willing to fight for freedom.
──民主主義を手にするためには、自由のために闘う意志がなければならない

Nobel Prize lecture: Maria Corina Machado, Nobel Peace Prize 2025


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