情熱vs平常心。私が書き続けるために必要なのは、どっちだ。
興奮興奮!ふんがふんが!
最近の私の中でのテーマ。note生活を快適で持続可能なライフワークにしていくための、楽しいお悩み諸々。
「初期の情熱が静まって凪になったんだが?」
「新しい挑戦が必要な気がするんだが?」
「されど苦労したくないんだが?」
「そうはいっても、苦労すべきなんだが?」
夜な夜なこういうことをぐーるぐると考えては、せっせとnoteに書き綴ってきた。私にとってのベストプラクティスを探しながら、近しいテーマについて書かれている記事にぴっかーんと目をつけてコメントさせてもらったりもしてました。そしたら、めっちゃおもろいアンサーもらった!
くすみさーん!めっちゃおもろいー!
感情に左右されずに理性で自分のやる気(熱)をコントロールしたい、という私の問いかけに対して、そもそも創作に必要なのは「熱さ」なのか、「平穏」なのか?という問いをぶち上げてくださった。くすみさんのぐるぐる思考、私まじで面白いと思うんですよね。私ばかりが、ふんがーしていてはアレなので、ぜひくすみさんの記事をご覧ください。
『情熱VS平常心』!
このおもろーな問いを、今日は考えてみる!
まず、ベースになるタイプが人によって違うだろうなという予想をしてる。生まれ持った気質として、私は完全に「情熱」の人。こと創作において、これまで私を動かしてきたもののほとんどは「やりたい!」という熱でしかないと言えるかも。火がつけばものすごい勢いで動く、火がつかないものはやりたくない。スタートダッシュに必ず「情熱」という燃料が必要で、「やり続けるうちに楽しくなった」みたいな経験があんまりない。「コツコツ」とは、まー仲良くできない創作人生でした。
一方で、スタートダッシュに「情熱」を必要としない人がいることも最近知った。そもそもスタートでダッシュする必要すらないのかも。まずやってみる。小さく走り始めて、ずーっと走り続ける。走り続けた先で、ポッと情熱を芽生えさせる。静かにその情熱を育てていく。ボーボーと燃え盛るような情熱ではなくて、フツフツと消えない冷静な炎。平常心がベースの人の創作は、継続とすこぶる相性がいいはず。
情熱的に没頭している自分は、大好き。情熱を注げる対象をいつも探してしまう。だけど、長い目で見た時に持続可能じゃない走り方をしているもんだから、燃え尽きるのも当然で。熱も夢も衝動も一旦置いといて、つべこべ言わずに決めたコトをやる。そういう静かな強さを持つ平常心を、私は後天的に身につけたいと思う。気質が情熱であっても、平常心をスキルとして得ることはきっと可能でしょ?
くすみさんの記事に登場する、平常心を誓うアスリートや、ルーティンから作品を生み出し続ける作家さんも、もしかしたら後天的平常心の可能性あるよね。元来は情熱で突っ走っていたけど、どこかのタイミングで必要に駆られ平常心を身につけた。情熱と平常心のハイブリッド!これができたら強いんじゃないかなー。
…と、そうはいっても、これまで情熱一本でやってきましたもんで。火がないとこからどうやってやる気だせばええんか…と、途方に暮れる私。だーかーら〜、やる気はそもそもいらん、とにかくやれ。それが正解ではあるんだけど、それだとあまりにも苦痛すぎる。
平常心を楽しめる人って、火種の育て方を知ってるんじゃないかと思うのよ。
なんか気になるなー、でも別に面白いとまでは思ってないけどな〜。こういうトピックスが目の前にあったとして。情熱モードの私は、燃えないからムリ〜と切り捨ててしまってたんだけど、平常心の人は、ツンツンしたり、ちょっとずらしてみたり、自分が面白がれそうになるまで「いじくる」。そうこうしているうちに、モワッと煙が立ち始めて、やがて火がつく。
この、好奇心を育てるという作業を、今試し始めています。私の創作人生に、初めてふく新しい風!
それもさあ、最初はめちゃくちゃ面倒に感じてたのよ。これまでは、ボッと火がつく着火剤つきのネタばっかり選んでたからさあ。でも、この「面倒」っていう感覚も、もしかしたら罠かもしれなくて。
情熱ベースの人間にとって、「情熱を注ぐことができる物事」って、楽勝やと勘違いしてまうんですよ。それなりに苦労しているはずなのに、アドレナリン出ちゃってるもんだから苦痛をまるで感じない。毎日投稿?ひゃっはー!書きたい!イエーィ!って感じで、しんどいをしんどいと処理していないというか。無意識レベルでやれてしまう。
だもんで逆に、「情熱がまだ芽生えていない物事」への拒否反応がすごいわけ。めちゃくちゃ億劫に感じるし、途方もなく高いハードルのようにも感じてしまう。情熱があれば富士山もひょいと登れるのに、情熱がないと小高い丘すら吐きそう。しんどい…向いてない…そんな弱音ばっかり頭をよぎって。はたから見たら、もっとしんどくて、もっと面倒なことやってたで?っていう不思議な話で。
情熱という大きな火に、感覚が麻痺してたとしたら。
私にとっての平常心は、小さな火種を信じる力。
情熱にほだされている時、私のハートの9割が燃えているとするなら、平常心はその割合が2割ぐらいにまで下がっている状態だと思うの。だけど、燃えていないわけじゃない。面倒が勝っているだけで。そしてその面倒は、エベレストばりに高い山に見えてるけど、意外と大したコトないんかもしれん。脳みそのクセが見せている、ただの幻。
ツンツン、いじいじ。
ツンツン、いじいじ。
気がついた頃に、私のハートにはきっとまた火がつく。
そしたらまた、思いっきり走るんだ。
平常心の情熱を、これから育てるよ。
