天才も最初はアホやったはず
賢くなりたいシーズンです。
小川哲さんのエッセイ『斜め45度の処世術』が、とても面白かったので、他の作品も読んでみたいなぁと思って本屋に行ったら、『こうやって作家は言葉を紡ぐ』なるゴッツイ本が売っていた。ゴツさに若干気圧されそうになったけど、いろんな作家さんとの対談形式ってことなので、それなら気軽に読めるかもとお買い上げ。サイン本やったし!わーい!
冒頭からしばらく読み進めていて、本はめっちゃおもろいんだが、何より小川さんの賢さのガチっぷりに慄いている。エッセイを読んだ時からうっすら感じてたけど、あらためてプロフィールを見て確信。小川さんは東大ご出身とのことで、はっは〜ん、さては頭ヨシヲやな?
賢さというものは、学歴だけじゃ計れない説を唱えている私ではあるが、長いこと生きていると、学歴と、人生的な頭の良さが見事に合致している人にたまに出くわす。
前職で、東大出身のマーケターの方とお仕事したことがあるんだけど、若くてイケメンで仕事できすぎで人柄も良くて、おまけに演劇やってるとか言われて、全部において上位互換されるもんやから、ちゃぶ台ひっくり返したろかなと思ったことがある。なんで勉強できてんのに芸術まで手を出すんや。勉強できひんからこその芸術ちゃうんか。ちゃうんか、そうか。
話が逸れたけど、小川さんもまさに、勉強ができすぎる上で、文学やっちゃってる人やった。そして、この本では、その頭脳が作品づくりにどう接続されてるのかが垣間見えて、めちゃくちゃ面白くて、絶望。
東大の頭脳を、有益に活用できすぎている…。
かないまへんて、ベースが違いすぎ。
まーもう、かなわんのはしゃあないとして、気を取り直して読んでいると、絶望の淵で私の中の知的欲求がむくむくと高まっていくのを感じている。
私、なんの根拠もなく感覚一本勝負でこれまで芸術というものに対峙してきたけども。一切の学問というものを深く探究せずに生きてきたけども。
学問×芸術は、なんかおもろそうやな?!
作品を生み出すアプローチとか、思考の深め方とか、知的好奇心の置き方とか、知らない世界すぎて非常に刺激を受けています。端的にいうと、やってみたい。私も、賢くなりたい。
なにぶん影響を受けやすいので、とりあえず哲学を勉強しよう!と夫をけしかけたら、夫は素直にホイホイと乗っかってきて、今ふたりでYouTube寝ながら学習にハマっている。
一旦レベルゼロなので、
「『我思う、ゆえに我あり』やって」
「は?」
「なんか〜、世界をどんだけ疑っても、疑ってる自分だけはホンマもんやーんって意味やねんて」
「は?そらそうやろ」
という、途方もなくアホなラリーしかしていないが、天才も最初はアホやったはず。知らないことを知ることはカシコの始まりって、誰かも言ってた。多分。
私が今よりほんの少し賢くなったら、
私の書くものは、面白くなるのでしょうか。
ならなかったらどうしよ。
ちゃぶ台をもっぺん、ひっくり返すしかない。
