見出し画像

体裁の練習

少し前のレッスンで、発表会の曲を二曲通して弾いた。
会で披露することを想定してのことだったのだけど、結果的には躓いたところもあったし、弾き直したりもして、少し緊張感が足りなかった。

弾き終わってみて、通して弾いたのはそのときが初めてだったことにも気づいた。
ミスしやすいところ、気になるところがたくさんあるので、そこばかり繰り返して練習していて、通して弾く、ということがすっぽり抜け落ちていた。

そのときは先生にも「通して弾く練習をしないといけませんね」と言ったのだけど、正直に言うといまだにそんな練習はしていない。

以前先生に言われた「音楽の本質」という言葉をずっと考えている。
誰かが聴いてくれることで音楽が完成する、ともいえるので、それを念頭に置いた練習ももちろん大事なことだ。
でも、通して弾けるようになるために通して弾く練習をする、というのは、本質的ではないような気がする。

そんなふうに語義をこねくり回している場合ではない。
そもそも音楽を届けるためには、音楽の体裁が整っている必要があるし、そのために練習するのだ。
そう自分に言い聞かせてみても、体裁を整えるという言葉が、どこか他人事のように思える。
音そのものと誠実に向き合うことと、聞かせるための形を整えることは、本来別の軸のはずなのに、披露を意識した途端、練習の重心が後者に寄っていく。

「披露」することに全然熱が入らないので、ややもすると、いま一体何の練習をしているのか、と考え込んでしまう。
なにか、「仕上げる」という方向性が、嘘をついているみたいで居心地が悪い。
発表のことなど考えない探求は面白いのに。