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嫌いはやっぱり嫌いなまま

九月に「十二国記」の新刊が出るので、またゼロから読み直している。
読む順番に関しては、スターウォーズよろしくいつも話題になるけれど、私は「魔性の子」が刊行されたときからのファンなので、読み直しも必ず「魔性の子」から刊行順と決めている。
異論も当然認めない。

もう数えきれないくらいに読み返した「十二国記」だけれど、「図南の翼」だけは、一度読んだ切りでこれまで読み返したことはなかった。
全体の流れからすると独立しているとも言えるので、読み飛ばしたところで何の問題もない。

私は、女の子が強い意志と信念をもって、苦難にめげず、周囲を巻き込み味方を増やしながら未来を切り開いていく、という話が嫌いだ。
たぶん、自分の何かを刺激するのだと思うけど、自分の中を掘ってみても、それが何なのかは今もって掴めない。

図南の翼は、十二国記の中では一二を争う人気作だ。
話は分かりやすいし、ちょっとカタルシスがあるし、気分も明るくなる。
私が好きじゃない要素ばかりだ。
でも今回はなぜか、図南の翼も読んでみようか、という気になった。
三十年ぶりのことだ。

読後感は、前に読んだ印象とはかなり違っていた。
こまっしゃくれた娘の成功譚、と思っていたけれど、そんなに簡単な話でもなかった。

珠晶が子どもであるが故の世界の見えなさ、その見えなさ故の世界への信頼と勇気、一途で純真であることと、それ故の失敗といった要素は記憶から抜け落ちていた。
金持ちの娘であるが故の苦悩、それがすべて剥がれ落ちた故の苦労も、いま改めて読むと深いと思う。
記憶の中では、よくある貴種流離譚の一種くらいに単純化されていた。

いろいろ発見の多い再読だったけれど、私はやはり、珠晶のような主人公は好きじゃない。
「大人は皆だらしない、仕方ないから私が王になるわ」という小生意気な宣言は、決して口先だけのものではなかったのだけど、たぶんそれ自体が眩しすぎるのかもしれない。
よくわからない。

そして、やっぱりこういうお話はしばらくいらないな、と思った。
図南の翼を次に読み返すのはきっと三十年後だろう。
三十年後なら、私はたぶんもういない。