自己実現控除〈短編小説 約4000字〉
給料が下がったのは、僕の仕事ぶりが認められたからだった。
六月の給与明細には、見慣れない項目が増えていた。
自己実現控除 28,000円
経理に持っていくと、佐藤さんは画面を見ながら笑った。
「おめでとうございます。評価、かなり上がってますよ」
うちの会社では年に二回、仕事愛調査というものがある。百二十の質問に五段階で答え、その結果によって「仕事愛指数」が算出される。仕事への誇り、休日に仕事のことを考える頻度、生まれ変わっても同じ職業を選びたいか、給与が八割になっても続けたいか。
僕の仕事愛指数は九・二だった。全社平均は七・一らしい。
「それで給料が二万八千円減るんですか」
「減る、という表現はしないですね。非金銭報酬への転換です」
佐藤さんは説明資料を見せてくれた。仕事そのものから得られる満足も報酬の一種であり、内的報酬を多く得ている社員に同額の金銭報酬を与えると、社員間の総報酬に格差が生じる。その格差を調整する制度だという。
「でも家賃は内的報酬で払えないですよ」
「そこは皆さん工夫されています」
佐藤さんは笑った。
午後、僕は一台のロードバイクを組んだ。ワイヤーを通し、変速機を合わせ、ブレーキの当たりを見てから店の外へ出した。納車は翌日だった。
その店では、組み上がった自転車を担当者が実際に走らせる習慣があった。駐車場を一周する程度ではない。近くの峠の入口まで行き、登りでは重いギアを踏んでフレームや駆動系に負荷をかけ、変速を何度も試す。帰りの下りではブレーキの感触を見る。
客には最初に説明していた。
「僕が一度乗りますけど、いいですか」
嫌がる人はほとんどいなかった。むしろ喜ばれた。
「そこまで見てくれるんですね」
その日も峠まで走った。登りで一度だけ変速が鈍ったので、店へ戻ってから調整し直した。
二万八千円くらい、仕方ないのかもしれないと思った。
*
翌年、副店長になった。基本給は二万円上がったが、自己実現控除は四万三千円増えた。
妻は給与明細をしばらく眺めたあと、
「昇進したんだよね」
と聞いた。
「うん」
「じゃあ、どうして前より少ないの」
「責任のある仕事を任されること自体が報酬になるから」
「誰が言ったの、それ」
「会社」
妻は笑った。
「すごい会社だね」
「僕もそう思う」
「辞めたい?」
僕は少し考えた。
「それは思わない」
「じゃあ困ったね」
「困った」
その月から、妻が家賃を一万円多く払った。
僕は相変わらず毎日自転車を触っていた。納車前の自転車に乗ることも増えた。カーボンもクロモリもチタンもあった。百万円を超えるものもあった。
値段は知っていたが、乗っている間はあまり関係なかった。よく進むか、踏んだときに気持ちいいか、ブレーキが素直か。それだけだった。
*
二度目の仕事愛調査では九・七になった。
佐藤さんから電話が来た。
「全社三位ですよ」
「給料、下がります?」
「少しだけ」
「いくらですか」
「来月から六万二千円です」
「少しじゃないですよ」
「でも好きじゃないですか、自転車」
僕は笑った。
「まあ、好きですね」
*
その年の冬、妻が出ていった。
喧嘩はしなかった。荷物を段ボールに詰めながら、妻は何度も謝った。
「あなたが悪いわけじゃないんだよ」
「うん」
「仕事を辞めろとも思ってない」
「うん」
「好きなんでしょ」
「好きだね」
「だったら続けたほうがいいと思う」
最後の箱を玄関まで運んだ。
妻は靴を履いてから、少し困った顔で笑った。
「でも私は、ちょっと無理だった」
「分かる」
「嫌いになったわけじゃないからね」
「僕も」
駅まで送った。帰りにコンビニで弁当を買った。七百四十八円だった。
高いと思った。
*
翌年、僕は「最も仕事を愛した社員」に選ばれた。
全社員が集まる表彰式で名前を呼ばれ、壇上で金色の封筒を渡された。中には一枚の紙が入っていた。
来年度自己実現控除率 100%
会場が沸いた。
社長は僕の肩を抱いて言った。
「君ほど仕事を愛している人に、金銭という尺度で報いるのは失礼だと思ってね」
拍手が起きた。
僕は笑った。なぜだか少し泣きそうになった。
「一言お願いします」
マイクを渡されて、
「ありがとうございます。来年度も頑張ります」
と言った。
拍手はさらに大きくなった。
*
無給社員のために会社は寮を持っていた。
会社から歩いて五分のところにあり、六畳の個室と大きな風呂があった。食堂では朝と夜に温かい食事が出て、米は好きなだけ食べられた。作業着も靴も支給され、休日に遠くへ行きたければ社用車も使えた。
会社は社員に給料を払うことには消極的だったが、社員を粗末に扱うつもりはないらしかった。金の使い方が少し変わっているだけだった。
僕は朝早く店へ行き、閉店後も残った。休日にも顔を出した。誰にも命令されなかったし、帰れとも言われなかった。
納車前のテストライドも好きなだけできた。
ある客は、注文した自転車を引き取りに来たとき、
「昨日、峠まで乗ってくれたんですよね」
と嬉しそうに言った。
「はい。登りで少し変速が渋かったので、もう一回調整してあります」
「いやあ、そこまでしてもらえるなら安心だな」
客は満足そうに自転車を車へ積んだ。
僕も嬉しかった。
*
別の日、老人が三十年以上前の自転車を持ってきた。
ネジは錆び、ワイヤーは固着し、ホイールも大きく振れていた。
「これ、直りますか」
「直りますよ」
朝から始めて、夕方になった。途中で店長が覗きに来て、
「まだやってんの?」
と言った。
「はい」
「新しいの売ったほうが早いよ」
「そうですね」
店長は笑った。
「まあ、好きにしな」
僕の給料はゼロだった。僕が一時間使おうが、一日使おうが、人件費は増えなかった。
日が暮れるころ、自転車は走れるようになった。
老人は店の前を一周して戻ってくると、子どもみたいな顔をしていた。
「これ、女房と結婚した年に買ったんですよ」
何度も頭を下げられた。
「ありがとう。本当にありがとう」
その日はよく眠れた。
*
三年目、会社が新聞に出た。
社員を無給で働かせている。若者の夢につけ込んだ搾取。労働基準法違反の疑い。
テレビ局も来た。
「無給で働かされていたことについて、どう感じていますか」
店の前で記者に聞かれた。
「別に」
と答えたら、その部分は放送されなかった。
会社は行政指導を受けた。社長は記者会見で頭を下げ、自己実現控除制度は廃止された。
全社員に給与が支払われるようになった。残業代も出た。勤務時間は九時から十八時、休憩一時間、週休二日、有給休暇あり。
それまで休日は月に二日だった。週休二日になったので、休みはだいたい四倍になった。
会社はまともになった。
*
僕の月給は二十六万円になった。
給与明細を写真に撮って妻に送ると、すぐに、
――すごいじゃん。
と返ってきた。
それから時々食事をするようになり、半年後にはまた一緒に暮らしていた。
十八時になると店長は仕事を止めた。
「続きは明日」
「これだけ見てから」
「残業になるから」
そう言われれば、その通りだった。
納車前のテストライドも禁止された。
会社の説明はもっともだった。納車前の商品を従業員が公道で何十キロも走らせる必要はない。事故や転倒の危険もあるし、タイヤも減る。
以後、確認は店の駐車場で行った。ブレーキを握り、変速機を一通り動かし、低速で一周する。それで納車前点検は完了した。
*
以前から来ていた客が、新しい自転車を注文した。
完成した車体を見ながら、
「今回も峠まで乗るんですか」
と聞かれた。
「今はもう、やらないんです」
「そうなんですか」
「会社の方針が変わって」
客は少し考えてから言った。
「まあ、そうですよね」
「そうですね」
「よく考えたら、オーナーより先に店員が新車で峠走ってるって、なんだったんでしょうね」
客は笑った。
僕も笑った。
翌日、その自転車を駐車場で一周してから納車した。
*
あの老人もまた来た。
同じ古い自転車だった。
「またお願いできますか」
「できますよ」
見積もりを出すと、三万八千五百円になった。
老人は紙を見て顔をしかめた。
「こんなにするの?」
「かなり時間がかかるので」
「前はタダでやってくれたじゃない」
「前とは会社の仕組みが変わったんです」
老人は少し黙った。
「でも、あんた自転車好きなんだろ」
「好きですよ」
「じゃあ、いいじゃないか」
老人は結局、修理を頼まずに帰った。
*
その年、社員の平均年収は過去最高になった。
売上も伸びた。
ただ、離職率も少し上がった。
社長は業界誌の取材で、
「社員が安心して働ける会社になりました」
と話していた。
僕もそう思った。
*
給料をもらうようになって一年目の冬、僕は自転車を買った。
ずっと欲しかったフルオーダーのフレームだった。色は深い青にして、トップチューブには小さく自分の名前を入れてもらった。
出来上がった自転車を妻と一緒に見に行った。
「いいじゃん」
妻が言った。
「うん」
「名前まで入ってる」
「入れた」
世界に一台だけの、自分の自転車だった。
支払いはローンにした。昔なら会社が給与から少しずつ引いてくれたらしいが、今はそういう曖昧な仕組みもなくなっていた。
信販会社の申込書に、勤務先、勤続年数、年収、家賃、他社借入を書いた。
数日後、審査が通った。
月々二万三千八百円、三十六回払いだった。
自転車を家へ持ち帰り、玄関に置いた。
妻と二人でしばらく眺めた。
「高かったね」
「うん」
僕はトップチューブに入った自分の名前を指でなぞった。
自分のものだった。それが、思っていたより嬉しかった。
翌日は休みだった。
