🎹【中1ピティナD級予選編第10話】「ハロー」と「ボンジュール」が、ホールに響いた日。ピアノ歴4年、D級予選1回戦。
やってきました、運命の予選本番当日。
もうここまで来たら、ジタバタしても始まりません。こういう時こそ、徹底的に「いつも通り」を貫くのがプロ(のサポート役)というものです。
というわけで、我が家の鉄板ルーティンを全力でこなしていきます。
まずは腹が減っては戦はできぬ、ということでランチ。
本番当日の勝負飯は、我が家は、サイゼリアの「たらこパスタ」一択です。
炭水化物とたらこの塩分が、緊張で縮こまりそうな脳細胞にほどよく染み渡るのです。

(ちなみに、我が家の詳細な「本番当日ルーティン」の全貌は、長くなるのでまた別の記事にまとめてあります。気になる方はぜひこちらへ)
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🎹鋭気を養う、いつものルーティン
お腹を満たしていざホールへ。
独特の緊張感が漂う空間で、まずはホールの響き(残響)のチェック。
そして鍵盤に触れない「エアピアノ」での暗譜確認です。
指先を虚空に走らせる娘の表情は、完全にゾーンに入っています。
仕上げに、お守り代わりのキットカットをパキッと割り、お水で流し込む。
糖分よし、水分よし、鋭気よし。さあ、いつでもいける。
はずでした。


💧強気な娘がこぼした、本当の気持ち
本番を待つ静かなロビーで、娘がぽつりと言いました。
「……今年は曲も難しいし、教室のまわりのお姉さんたちみんな、上手だしさ。何回もくじけそうになったんだよね」
いつもは強気な娘の口から出た、本音。
ピアノという楽器は、突き詰めれば突き詰めるほど、自分の未熟さと向き合うことになる孤独な相棒です。
「でもね、お父さんとお母さんがいつも支えてくれたから、なんとか今日までこれた」
一瞬、耳を疑いました。
生意気盛りの娘が、そんな泣かせることを言うなんて。
「本番、本当に怖い。もし自分がダントツで一番下手だったらどうしようって思うと、本当に怖い。……だけど、がんばるよ」
細い肩が、かすかに震えていました。
怖いと言いながら、それでも前へ進む。その背中は、私には誰よりも勇敢に見えました。

🎹託すハグ、見守ることしかできない後ろ姿
「出演者の方は、待機席へ集合してください」
非情にも、その時はやってきます。
「がんばって、いっておいで!」
私は娘を力いっぱいハグしました。
少し前までは、私の胸にすっぽり収まっていた小さな体が、いつの間にか少しだけ大きく、頼もしく感じられます。
腕をほどく、娘は振り返らずに待機席へと歩き出しました。
ここから先は、もう誰も助けてあげられない、彼女だけのステージ。
私はただ、その細い、ふるえる後ろ姿を見守ることしかできませんでした。

🎹張り詰めた空気、ついに上がった幕
ついに、本番の幕が上がりました。
客席に腰を下ろしたものの、自分の心臓の音がうるさくて周囲の音が耳に入らない……
なんてことはなく、周りの出演者たちの演奏が、嫌というほど鮮明に聴こえてきます。
「……みんな、上手すぎる」
容赦なく突きつけられるハイレベルな演奏の数々。客席の空気がどんどん張り詰めていくのが分かります。
そして、いよいよ娘の番。
ステージに現れた娘は、静かに、でも堂々と一礼をして、ピアノの前に座りました。
鍵盤に手が置かれ、静寂を破る最初の音が響きます。
🎹18世紀の宮廷舞踏会と、魔性の世界
1曲目は、バロック課題曲、バッハの『フランス組曲 第4番』より「ジーグ」。
軽やかな旋律が響き渡った瞬間、ホールの空気がガラリと変わりました。
それはまるで、18世紀のきらびやかな宮廷舞踏会。
娘が、ずっと追求していた、「ウヌ王様の舞踏会」が、確かにそこに広がっていました。
ノン・レガートの粒立った音が、楽しげに跳ねていく。
ピアノを知る人なら思わず「おっ、いいタッチだな」とニヤリとするような、バロック音楽の軽快なステップです。
そして曲は間髪入れずに、2曲目、
近現代課題曲、ドビュッシーの『ゴリウォーグのケークウォーク』へ。
ここからは、ガラリと時代が変わります。
独特のシンコペーションのリズムに乗って、ふわりと現れたのは、ちょっとおどけた、でもどこか妖しい魔性の世界。

💧親バカな母の目に映った、涙の痕
正直に言います。
本番の魔物に足元をすくわれ、緊張から少し力んでしまい、細かいミスは少しありました。
客観的に、コンクールという冷徹な審査基準で見れば、まだまだ荒削りな演奏だったのかもしれません。
でも。
客席で祈るように聴いていた、親バカな母の目には、耳には、まったく違うものが見えていました。
そこにあったのは、間違いなく、彼女が家で涙を流しながら、何度も何度も鍵盤に向き合って作り上げた世界でした。
バロック時代の貴族たちが気高きパレードを行い、ドビュッシーが仕掛けたブラックユーモアのいたずらに、誰もがクスッと笑ってしまうような世界。
18世紀のドイツから届いた、「ハロー」。
20世紀のフランスから届いた、「ボンジュール」。
時空を超えた2つの挨拶が、娘の指先を通じて、私の心にたしかに届きました。
演奏を終え、鳴り響く拍手の中、お辞儀をする娘の姿を見ながら、視界がじんわりと滲んでいくのを止められませんでした。
よくがんばったね。最高のステージだったよ。

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