芋出し画像

氎の郜ノェネツィアは絵画そのもの矎しき街䞊みや芞術を堪胜


【ノェネツィア旅行蚘】色圩豊かな芞術の郜ノェネツィアを蚪ねお

幎月、私はフィレンツェからノェネツィアを蚪れたした。

フィレンツェからノェネツィアぞの移動はNEWTさんの「【2024幎最新】フィレンツェからベネチアぞの行き方2遞新幹線・バスでの最安・最速のアクセス方法は」の蚘事にもありたすように、鉄道で行くのが簡単です。

私もボロヌニャを経由しながら鉄道でノェネツィアぞず向かいたした。もしフィレンツェから盎行するならばおよそ時間少々で到着したす。意倖ず近いですよね。これならばフィレンツェずノェネツィアをセットで呚遊される方が倚いのも頷けたす。

ノェネツィアに近づくず、列車が海の䞊を走っおいるこずに感動したした。ノェネツィアは本圓に海の䞊にあるのだず実感したした。街が芋え始めた時は思わず高揚しおしたったこずをよく芚えおいたす。

駅を出たらいきなり運河おぉこれがあのノェネツィアかず興奮せずにはいられたせんでした。この街のスペクタクル、゚ンタヌテむンメント感は突き抜けおいたす。着いおすぐに「俺はノェネツィアに来たんだ」ず感動させるなんおそう簡単にできるこずではありたせん。さすがノェネツィアです。

私は氎䞊バスに乗り蟌み、街の䞭心郚に向かいたした。ノェネツィアには車や電車ずいう亀通手段がありたせん。その代わり運河を利甚した氎䞊バスが頻繁に走っおいたす。これもなんずもノェネツィアらしい挔出です。

ただ倕暮れの時間には早かったのですが海の向こう偎がオレンゞ色に染たっおいたした。

そしおこの景色を芋おいる内に私ははっずしたした。か぀お読んだ「ロヌマの線描に察するノェネツィアの色圩ずいう図匏」ずいう蚀葉が匷烈に頭の䞭に差し蟌んできたのです。

「ノェネツィア絵画は鮮やかな色圩が特城である」ずそこでは述べられおいたした。

たしかにこの景色はたさにそれを衚しおいたす。目の前のオレンゞ色、雲の陰圱、雲間から差し蟌む光ず氎色の空、そしお海の深く暗い青・・・

これはたさにノェネツィア絵画そのものではないですか

ティントレット『最埌の晩逐』1592-1594Wikipediaより

その地域の環境がその地の文化を圢成するずいうこずを匷く感じたした。こうした絵が奜たれるのはこのような環境にあるからなのです。ノェネツィアには矎しい色圩がすでにしお溢れおいたのでした。

間もなくサン・マルコ広堎近くの䞭心郚ぞ到着。

氎䞊バスを降りお近くの小路に入っおみたす。本圓に隅から隅たで運河がありたす。ゎンドラがあるずはいえどうやっお車もないのにものを運ぶのだろうず䞍思議に思っおしたいたす。

では、ここからドスト゚フスキヌ倫劻も歩いたノェネツィアの街を芋おいくこずにしたしょう。※私はドスト゚フスキヌゆかりの地巡りずしおここを蚪れおいたす。詳しくは「ペヌロッパのドスト゚フスキヌゆかりの地を巡る旅『ドスト゚フスキヌ、劻ず歩んだ運呜の旅狂気ず愛の西欧旅行』」の蚘事参照

ノェネツィアの䞭心サン・マルコ寺院ずサン・マルコ広堎

ドスト゚フスキヌ倫劻も絶賛したサンマルコ寺院ず広堎。姪゜ヌニャ・むノァヌノノァぞの手玙でもドストフスキヌはサン・マルコ寺院を「これは䜕ものにもたずえがたい驚嘆すべきものです幎月日付」ず耒め称えおいたす。

私個人ずしおは昌よりも倜のサン・マルコ広堎に心惹かれたした。月明りが雲を䞍気味に照らし、ノェネツィアらしいドラマチックな雰囲気を䜜り出しおいたす。ドスト゚フスキヌのいた䞖玀埌半には圓然電気もありたせん。街党䜓はもっず薄暗かったはずです。ですがその分月明りはより匷烈で、明かりに䜿われおいた火の効果も倧きかったこずでしょう。矎しく照明に照らされた珟代ず、か぀おの自然光だけの時代。どちらが矎しく芋えるのか気になっおしたいたした。

柱の間から芋たサン・マルコ広堎はたさに額瞁に入った絵画そのもの。どこに行っおも芞術家を刺激しおやたない矎しい街がノェネツィアなのでしょう。

倜道のノェネツィアも玠晎らしかった。幻想的。なるほど、これはティントレットの絵も生たれおくるなず倧いに玍埗です。

ドゥカヌレ宮殿の芋どころその倩井画ず壁画に驚く

サン・マルコ広堎すぐ近くに䜍眮するドゥカヌレ宮殿。ここもドスト゚フスキヌ倫劻は蚪れおいたす。

宮殿に入っおすぐに気づくのはやはり倩井画の豪華さです。これでもかず金の額瞁が倩井を芆い、色鮮やかな絵画が描かれおいたす。

ずにかく倩井倩井倩井

倩井を食ろうずする飜くなき情熱のようなものを感じたす。壁も圓然びっしり絵が食られおいるのですがやはり倩井明らかに力の入れようが違いたす。

そしおティントレットの壁画のある郚屋に入った時は「やっちゃったなぁ・・・」ずいう謎な぀ぶやきが私の口から自然ず挏れおきたした。

情熱ずいうよりもう「枇望」ず蚀っおもいいのではないでしょうか。ここたで突き抜けお倩井を食るのはある意味あっぱれでありたす。開いた口が塞がりたせん。

そしおティントレットの巚倧な壁画も玠晎らしいです。たさに人の措氎。倧波が打ち付けるかのような人の矀れ。頻繁に措氎に襲われる海の街だからこそのむンスピレヌションなのでしょうか。圧倒されるほかありたせん。

アカデミア矎術通で色圩豊かでドラマチックな絵画を堪胜

翌日には私はアカデミア矎術通にも足を運びノェネツィア絵画を堪胜したした。

ティントレット『奎隷を開攟する聖マルコ』
ティントレット『聖マルコの遺骞の運搬』

やはりノェネツィア絵画は独特です。芋れば䞀目でわかるその色圩、ドラマチックな構図。激しさすら感じたす。これも内陞性のミラノやフィレンツェず違う地䞭海のならではの文化ずいうこずなのでしょうか。むタリアは地域によっお党くその雰囲気が違うので色々ず巡っおみるずその違いを感じられお非垞に面癜いです。

こうしたノェネツィア絵画に぀いおは宮䞋芏久朗著『ノェネツィア 矎の郜の䞀千幎』ずいう本がおすすめです。

ぜひノェネツィアのガむドブックずしお手に取っおみおはいかがでしょうか。

ノェネツィア滞圚を通しお思うテヌマパヌク的郜垂ノェネツィアずドスト゚フスキヌ倫劻

倕暮れのノェネツィア・・・文句なしの矎しさです。色圩の匷さをフルに感じたす。

倜は倜でどこに行っおもムヌド満点でロマンチック・・・。

そんなノェネツィアを䞀人で歩く私・・・・

さすがの私もここでは寂しさを感じおしたいたした。䞀人行動が党く気にならない私ではありたすが、この街ではどうもそうはいかないようです。ここはパヌトナヌず䞀緒に歩きたい街です。䜕ずいうか、テヌマパヌクのように感じおしたうのです。䞀人で黙々ず芞術を芳るずいう感じではありたせん。これがロヌマやフィレンツェず党く異なる点だず思いたす。パヌトナヌずの思い出䜜りに来るなら最高だず思いたす。

そしお垰囜しおから気づいたのですが、どうもドスト゚フスキヌもそんなこずを思っおいた節があるのです。アンナ倫人は『回想』で、

ノェネツィアには䞉、四日しかいなかったが、圌はサン・マルコ寺院の建築にすっかりひき぀けられお、䜕時間も矎しいモザむクの壁をながめおいた。いっしょにドゥカヌレ宮殿にかよったが、倫はそのすばらしい建築を賛嘆しおいた。そしお十五䞖玀のもっずもすぐれた画家たちのえがいた総督邞の倩井のおどろくべき矎しさにうっずりしおいた。ノェネツィアにいた四日間ずも、わたしたちは昌も倜も魅惑的な印象を䞎えるサン・マルコ広堎から立ち去るこずができなかったず蚀っおいい。

みすず曞房、アンナ・ドスト゚フスカダ、束䞋裕蚳『回想のドスト゚フスキヌ』P

ず、ノェネツィアの矎しさを絶賛し、ものすごく楜しんで過ごしたこずをここで蚘しおいるのですが、ドスト゚フスキヌは幎月日付のA・N・マむコフ宛おの手玙で次のように曞いおいたす。

ノェニスずりィヌンは恐ろしく劻の気に入りたした独自の意味で

河出曞房新瀟、米川正倫蚳『ドスト゚ヌフスキむ党集』P

これはどういう意味でしょうか。

実はドスト゚フスキヌはノェネツィア絵画に぀いおはほずんど䜕も口にしおいたせん。アンナ倫人はドスト゚フスキヌず共に倩井画を芋お楜しんだず曞いおはいたすが、それに぀いおのドスト゚フスキヌのコメントもありたせん。ドスト゚フスキヌはこれたで芋おきた通り、絵画には非垞に敏感です。そしお気になった絵に関しおはその印象を述べおいたす。それはドレスデンでもバヌれルでもフィレンツェでもボロヌニャでもそうでした。しかし、ノェネツィアに関しおは、それがありたせん。

ですが、私はそれはそうだろうず思いたす。実際に私もこの街の絵画を芋おきたしたが、たずドスト゚フスキヌが奜むタむプの絵ではないず思いたした。しかもあの熱烈に食った倩井画はドスト゚フスキヌの芞術芳ずはどうもそぐわない気がするのです。ドスト゚フスキヌが奜むのはラファ゚ロのような調和です。そう考えるずこの街の激しい色圩や劇的すぎる構図はおそらくドスト゚フスキヌの奜みには合わないのではないでしょうか。

ではドスト゚フスキヌはこの街で楜しんでいなかったのでしょうか。

それも違うず思いたす。なぜならドスト゚フスキヌは愛するアンナ倫人ず䞀緒にいたから。

たるでテヌマパヌクのようなこの街で二人はロマンチックに過ごしおいたのではないかず思うのです。だからこそドスト゚フスキヌは「ノェニスずりィヌンは恐ろしく劻の気に入りたした独自の意味で」ずいう意味深な蚀葉を曞いたのではないでしょうか。マむコフずはかなり立お蟌んだ話や芞術・文孊談議もするほどの間柄です。ドスト゚フスキヌ自身ずしおはノェネツィアの絵画はそこたで印象には残らなかった。ですがアンナ倫人がずおも喜んでくれたからそれはそれでよかった。そういうこずの含みを持たせおこう蚀ったのではないでしょうか。

・・・うん、私の考え過ぎでしょうか。答えはわかりたせん。

ですが二人がノェネツィアを楜しんで過ごしたのならそれはそれで嬉しいこずです。これたで散々苊しい思いをしおきたのです。ぜひずも二人で楜しい時を過ごしおほしいではありたせんか。別の手玙では「ノェニス、なんずいう玠晎らしい町でしょう幎月日付、N・N・ストラヌホフ宛お」ずも述べおいるので楜しかったのは事実でしょう。

私のノェネツィア滞圚はそんな二人を思い浮かべながらの滞圚でありたした。

【䜙談】ノェネツィアの氎没に぀いお

ノェネツィアが氎没の危機にあり、今でも朮䜍が䞊がるずすぐに氎浞しになるずいうのは有名ですよね。

私が滞圚したのは月の日間ほどでしたがその短い期間でもそれが真実であるこずを実感するこずになりたした。

最終日の前日、日䞭から倜にかけお猛烈な雚が降っおおり、ほずんど倖出もできなかったのですが、朝起きお倖に出おみるず驚きたした。写真のように、運河の氎がほずんど溢れそうになっおいたのです。

しかもそれだけではありたせん。すでに道によっおはこのように氎たたりになっおいお通るこずができなくなっおいたした。

そしお枯の方に出おいくずもはや道ず運河の氎面がぎりぎりでした。

海そのものも朮䜍が䞊がっおいるのか完党に波が道路を浞しおしたっおいたす。

これは倧倉です。このたたではノェネツィアが本圓に沈んでしたうかもしれないずいうのもわかるような気がしたした。

私はこの埌氎䞊バスでノェネツィア空枯に向かいたしたが、この日に到着しおノェネツィア芳光を始めたずしたらかなり難儀しおいたず思いたす。これが最終日でよかったなずほっずしたした。皆さんもぜひお気を぀けください。気を぀けようがないですが・・・

ずはいえ、こうしたこずを最埌の最埌に䜓隓できたのは私ずしおも非垞に印象に残っおいたす。ある意味いい思い出です。こうしたトラブルを味わうのも旅の醍醐味だず私は考えおいたす。

以䞊、「フィレンツェから氎の郜ノェネツィアぞ矎しき街䞊みや絵画を堪胜」でした。

䞻な参考図曞はこちら

ドスト゚ヌフスカダ『ドスト゚ヌフスキむ倫人 アンナの日蚘』抂芁ず感想ドスト゚フスキヌのギャンブル䞭毒による悲惚な生掻を知れる第䞀玚の資料 ドスト゚ヌフスカダ『ドスト゚ヌフスキむ倫人 アンナの日蚘』抂芁ず感想ドスト゚フスキヌギャンブル䞭毒による悲惚な生掻を知れ shakuryukou.com

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