11 星一つの町
商店街に「地域最安口コミ制度」が導入された。
店の平均評価が下がるほど、その店で使える割引率が上がる。星五つなら定価、星四つなら五パーセント引き、星一つなら四十パーセント引きだった。
制度を作った市は、悪い評価を改善につなげ、消費者にも還元できると説明した。
最初に人気になったのは、駅前の古い喫茶店だった。
店主の和子は七十一歳で、四十年同じ場所に立っていた。コーヒーは濃く、卵サンドには辛子が多かった。それを好きな常連が毎朝集まった。
常連の一人が、試しに星一つを付けた。
〈椅子が硬い。店主が無愛想。コーヒーが苦い〉
翌日、彼の会計は四十パーセント引きになった。
「ひどいこと書くねえ」
和子は笑った。
「本気じゃないよ。制度だから」
常連たちは次々に星一つを付けた。
〈毎日同じメニューで飽きる〉
〈長居しても追い出されないので時間を無駄にする〉
〈店主が客の好みを覚えていて気味が悪い〉
書いた本人たちは、投稿画面を和子に見せてから笑った。好きだから通う。安くなるから悪く書く。二つは両立すると考えていた。
平均評価は一・二まで下がり、店は連日満席になった。
売上件数は増えたが、四割引では材料費が足りなかった。和子は豆の品質を下げ、卵を一つ減らした。
すると、本当にコーヒーが薄く、サンドイッチが小さくなった。
「最近ちょっと落ちたね」
常連は言いながら、星一つを維持した。評価に忠実な店になっただけだった。
制度は商店街全体へ広がった。
肉屋の客は、揚げたてのコロッケを「冷たい」と書いた。美容院の客は、二十年来の担当者を「話が通じない」と評した。学習塾の保護者は、合格した後で「指導力に疑問」と投稿した。
誰も、好きな店を褒めなくなった。
市は制度の成功を発表した。低評価店ほど客数が伸び、口コミ投稿数も前年の十二倍になった。商店街には「本音が得になる町」という旗が並んだ。
本音でない低評価を防ぐため、市は具体的な不満を書くよう求めた。客は店の小さな欠点を探した。
パン屋では、焼き上がりが三分遅い。八百屋では、店主が客の子どもの名前を間違えた。薬局では、体調を尋ねる声が大きい。
店側も、割引率を保てる程度の欠点を計画した。ラーメン店は一卓だけ脚の短い椅子を置き、クリーニング店は受取票の字をわざと小さくした。完璧なサービスは客を遠ざける経営判断になった。
町から、直してほしいという言葉が消えた。直されると困るからだった。
評価の高い店から先に閉じた。丁寧だと書かれた時計店、何を頼んでも外れがない定食屋、親切な文具店。値引きが少ないため客が来ず、閉店後の投稿欄だけが星五つで埋まった。
空き店舗には、最初から低評価を作る店が入った。注文を一度聞き返す、袋を有料にする、入口を見つけにくくする。開店支援の専門家は、愛される欠点を設計しましょうと指導した。
和子にも若いコンサルタントが来た。
「辛子を倍にして、苦情を看板商品にしませんか」
和子は断った。
「嫌われるために作ったものを、好きだと言われても困るから」
コンサルタントは、その頑固さこそ口コミになると喜んだ。
テレビ番組が取材に来た。司会者はカメラの前で薄いコーヒーを飲み、「まずさが懐かしい」と笑った。放送翌日、観光客が列を作った。
常連は席を失い、歩道から店内を眺めた。自分たちが付けた星一つが、店を自分たちの場所でなくしたことには気づかなかった。
和子は閉店後、投稿された言葉を一つずつ紙へ写した。本気の苦情と、割引のための嘘を分けようとしたが、途中でやめた。薄いと言われて豆を変え、無愛想と言われて笑うのをやめた後では、どの口コミも半分は事実だった。
店が客に合わせたのか、客が店を口コミに合わせたのか、もう区別できなかった。
星五つを付けるのは、その店へ二度と行かない人だけだった。値引きの必要がないからである。
和子の喫茶店では、新しい客が増えた。口コミを読み、本当に悪い店を見物しに来た人たちだった。
彼らは安いコーヒーを一杯だけ飲み、写真を撮った。
「評判ほど悪くないですね」
「では、星を上げてください」
和子が頼むと、客は首を振った。
「値上がりすると困るので」
和子は、常連の好みを覚えるのをやめた。無愛想と書かれている以上、笑顔で接客すれば、口コミとの不一致で違反になることがあった。
店内の椅子も、本当に硬い物へ替えた。快適性が低ければ、市から改善補助金が出る。
ある午後、昔この店で働いていた女性が娘を連れて来た。
「高校生のとき、和子さんが余ったサンドイッチを持たせてくれたんです」
娘は母の話を聞き、星五つを付けた。平均は一・二から一・三へ上がった。店内の会計表示が、四割引から三割引に変わった。
常連の一人が女性へ詰め寄った。
「気持ちは分かるけど、みんなの負担が増える」
女性は評価を星一つへ直した。感謝の文章は削除し、〈過去の恩をいつまでも覚えていて重い〉と書き換えた。
和子は厨房で、昔と同じ辛子の量の卵サンドを一つだけ作った。女性に持たせようとしたが、えこひいきも低評価の根拠になるので、皿へ戻した。
常連の男性が、最近は本当に味が落ちたと市へ改善を求めた。市は、評価と実態が一致しており制度上は健全だと回答した。
「じゃあ、どうすれば元に戻るんだ」
「高い評価を付けてください」
男性は会計表示を見て、申請を取り下げた。
常連たちは、変わっていく店を見ながら通い続けた。
「昔の方がよかった」
「そう書けば、もっと安くなる」
一年後、和子は閉店を決めた。
最後の日、常連たちは満席になるほど集まった。割引制度が終了したため、会計は定価だった。
皆、何年ぶりかで星五つを付けた。
〈この町で一番落ち着く場所でした〉
〈和子さんのコーヒーをもう一度飲みたい〉
〈なくなって初めて価値が分かりました〉
平均評価は一晩で四・九になった。
翌朝、市のシステムは高評価物件として店舗の賃料を三割上げた。和子には払えない額だった。
三か月後、全国チェーンのカフェが入った。
開店初日、常連たちは新しい店に星一つを付けた。
〈前の店の方がよかった〉
その口コミのおかげで、コーヒーは四割引になった。
皆は安く飲みながら、失った店を褒め続けた。
