短編小説 しかばね
俺の名前は優樹、小5だ。
夏休みの夕暮れ時、何もやることがない俺たち3人は自転車で走り回っていた。
やがて俺らは小高い山の上ある神社に辿り着いた。
カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
ひぐらしが鳴く声が響きわたる。
神社には長い下りの階段がある。
距離にすると300メートルくらいだろうか。
その脇には急な坂道が並行して走っている。
下り切ったその先には、見通しの悪い交差点があるのはみんな知っていたと思う。

俺はスリルを楽しむ遊びを、ふと思いついた。
「ここをさ、ノーブレーキで下ったら面白くない?」
俺はみんなに提案した。
「面白そうじゃん、優樹。みんなでやろうぜ」
「おう!」
言い出しっぺの俺は先頭で、ペダルを全力で漕いだ。
「うおーーーーーーー!!!!!」
奇声を上げる俺にみんなが続く。

生暖かい風が心地よい。
たぶんバイクと同じくらいの速度は出ているだろう。
そんな気がした。
見通しの悪い交差点に差し掛かった。
嫌な予感がした。
俺、なんでこんな馬鹿な遊びを思いついたのだろう…。
そう思った。
景色がぐにゃりと歪んだ。
* * *
気がつくと、交差点を抜けていた。
……ふぅ……。
無事だったようだ。
俺はブレーキをかけ、後ろを振り返った。
友達2人の姿はなかった。
えっ……。
俺と一緒に下ったよな?
ぞくりと、背中に冷たいものが走った。
街は静まり返っている。
セミの声も、車の音も、何ひとつ聞こえない。
耳がおかしくなったのかと思い、俺は自転車のハンドルを軽く叩いた。
コン……。
耳は聞こえる。
おかしいのは周りの世界だ。
怖くなった俺は、そのまま家に帰ることにした。
相変わらず、街は静まり返っている。
車も一台も走っていない。
誰ともすれ違わない。
聞こえるのは、自転車を漕ぐ音と俺の心臓の音だけだった。
* * *
家に帰ると、人がいっぱいいた。
みんな、黒い服とワイシャツを着ている。
知っている人ばかりだ。
親戚のおじさん、おばさん、従兄弟、近所の人、クラスメイト……。
俺は近くにいたミチエおばさんに話しかけた。
「ねえ……」
返事はない。
俺のことが、見えていない……。
俺……。
自転車を降り、庭から縁側へ回り込んだ。
戸は全部開いていた。
顔に布をかけられた死体を前に、父さんと母さんが泣いている。
ゆっくりと視線を上げる。
白黒の俺の遺影が、花に囲まれて飾られていた。
こんなのを見せられたら、誰だって気づくって……。
俺、死んだんだろ……。
あの時、車にひかれたんだろ……。
死んだという事実より、お父さんとお母さんが泣いていることの方が、ずっと辛かった。
もう、ここにはいたくない……。
俺はこの場を離れることにした。
でも、どこへ?
俺は再び自転車にまたがり、あの神社まで戻ることにした。
戻ったところで、時間が戻るわけじゃない。
そんなことはわかりきっている。
でも、ほかに行く場所なんてなかった。
静まり返った街を抜け、俺は神社を目指してひたすらペダルを漕いだ。
頬には涙が伝っている。
こんな馬鹿な息子でごめんよ……。
父さん、母さん……。
あの交差点を越え、坂道に差しかかる。
さすがに自転車では登れない。
俺は自転車を降り、押して歩くことにした。
幽霊でも、坂を登るのは辛いんだな……。
死んだのは、俺だけなのだろうか?
友達2人はどうか無事でいてほしい。
こんな馬鹿な遊びを思いついたのは、俺なんだから。
あとで2人の家にも確認しに行かなきゃ……。
もし、死んでいたら……。
俺……。
そんなことを考えているうちに、坂の頂上へ着いた。
すぐ横には、森に囲まれた小さな神社がある。
俺は本堂まで歩いていくと、静かに手を合わせていた。
その瞬間だった。
視界がぐにゃりと歪んだ。
* * *
カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
ひぐらしの声。
気がつくと、静まり返っていた世界は再び音を取り戻していた。
えっ!?
目の前には、自転車に跨った友達2人がいる。
俺も自転車に跨がっている。
「どうした? 優樹……泣いてるじゃん」
「えっ、えっ……」
「どうしたんだよ。間抜けな声出してさ」
「あっ、いや……」
……俺は神隠しにでも遭ったのだろうか……。
それとも、生き返ったのか?
でも、このことはなぜか怖くて、誰にも話す気にはなれなかった。
「……この坂、危ないからさ。自転車押して歩こう」
俺は言った。
「当たり前だろ。馬鹿か、お前?」
「……だよな。あはは……」
俺たちは自転車を押しながら、ゆっくりと坂を下った。
帰る方向が違うので、坂を下りたところで2人とは別れる。
「お前ら、くれぐれも気をつけて帰れよ」
「なんだよ、優樹。親みたいなこと言いやがって」
「いいから気をつけろって。じゃあな!」
「おう、じゃあな!」
2人がそれぞれの方向へ走っていくのを見届けてから、俺も家へ向かった。
* * *
こうして俺は、無事に家へ帰ってきた。
玄関を開けると、カレーの匂いが漂ってきた。
「ただいま……」
「おかえり、優樹」
母さんが、いつものように台所に立っていた。
当たり前の光景。
でも、もう俺には当たり前には見えなかった。
「母さん……」
俺は堪えきれず、母さんに抱きついて号泣した。
こんなことは普段絶対にしない。
「ちょっと、どうしたのよ…」
母さんは驚きながらも、それ以上は何も聞かずに俺を抱きしめてくれた。

10年後
俺は無事に二十歳になり成人式を迎えた。
もちろん友達もだ。
あの時のことは時間が経つにつれて、しだいに記憶も薄らいでいった。
ただ、大人になった俺はこう思うことがある。
子供なんて、男の子も女の子も平気で無茶をする。
なにかの拍子で頭を打ち、死んでしまっても、ちっともおかしくない。
俺はあの時、もうひとつの世界に迷い込み、自らの屍に出会ってしまったのだろう。
みんなも同じように、もうひとつの世界には自らの屍が転がっているのかもしれない。
それが恐ろしくて、必死に見なかったふりをしているだけではないだろうか?
それとも、俺のように見てしまったけれど、誰にも言えないだけなのだろうか?
了
