理想家と行動家|私の中のもう一人の自分「チェ・ゲバラ」。
実は私は、チェ・ゲバラが好きなんです。
これまでの私のNote記事からは意外に感じられる方も多いと思います。
でも、きっと、私の中のもう一人の自分なんだと思います。
「チェ・ゲバラが好き」と言うと、
「革命家だからですか?」
と誰もが思うだろう。
しかし、私が惹かれているのは革命家としてのチェ・ゲバラではない。
革命家とは、彼が最後にたどり着いた呼び名に過ぎない。
私が惹かれているのは、
理想家としてのチェ・ゲバラ。
行動家としてのチェ・ゲバラ。
である。
世の中には、理想を語る人がたくさんいる。
「こうあるべきだ」
「こうした方がいい」
「社会は変わるべきだ」
そう語ることは誰にでもできる。
私自身も仕事柄、人材育成や組織運営について理想を語ることがある。
しかし、本当に難しいのはその先だ。
その理想のために、自分は何を差し出せるのか。
何を捨てられるのか。
何を行動に移せるのか。
そこに人の本質が現れる。
チェ・ゲバラは若い頃、医師を目指していた。
そして南米を旅する中で、貧困や差別、搾取の現実を目の当たりにした。
多くの人も同じ光景を見たはずだ。
そして、
「世の中おかしいな」
と思っただろう。
しかし、ほとんどの人はそこで終わる。
ゲバラは終わらなかった。
自分の人生をその問いに投じた。
そこが私には眩しく見える。
私は彼の思想をすべて支持しているわけではない。
歴史的な評価も様々である。
革命によって多くの悲劇も生まれた。
だから彼を英雄として語るつもりもない。
しかし、一つだけ確かなことがある。
彼は自分の言葉に責任を持った。
そして、自分の信じるものを人生で実践した。
私は仕事の中で、
「話は理解しているのに行動が変わらない」
という場面に何度も出会ってきた。
良い返事が返ってくる。
納得した顔もする。
しかし成果物は変わらない。
行動も変わらない。
そんなことは珍しくない。
だからこそ、
言葉と行動が一致している人に出会うと強く惹かれる。
チェ・ゲバラは、その極端な例だった。
危険だからやめろと言われても行く。
安定した立場を得ても現場へ戻る。
肩書きや権力に安住しない。
合理的な生き方とは言えない。
むしろ不器用な生き方だったと思う。
それでも彼は、自分の信じた道を歩き続けた。
私は最近、
人の成長とは何かを考えることが増えた。
知識だろうか。
経験だろうか。
能力だろうか。
もちろん、それらも大切だ。
しかし本当に人を成長させるのは、
何と向き合うか。
なのかもしれない。
評価と向き合うのか。
保身と向き合うのか。
それとも仕事と向き合うのか。
理想と向き合うのか。
チェ・ゲバラは、生涯をかけて理想と向き合った人だった。
その理想が正しかったかどうかは、今でも議論が続いている。
しかし、
理想を語るだけで終わらず、
人生を使って実践した。
その姿勢には、今でも心を動かされる。
私は革命家になりたいわけではない。
世界を変えたいとも思わない。
しかし、
自分が正しいと思うことを語り、
できる限り行動で示したいとは思う。
チェ・ゲバラが好きな理由を一言で表すなら、
革命家だったからではない。
理想を語る人ではなく、理想を生きた人だったから。
