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日本人を魅了するフェルメール

  文藝春秋九月号の巻頭随筆で、宮下規矩久朗さんが、フェルメールの絵について解説している。
 
 宮下さんは神戸大学人文研究科の教授、専門はイタリア17世紀バロック美術で、近現代美術全般に造詣が深い。
 
 この夏、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が大阪に来日し、八月二十一日から大阪中之島美術館で展示される。フェルメールは一見写実的だが、印象派の絵とはどこか違うように感じる。宮下さんは日本でのフェルメールの人気について、以下のように述べている。
 
 日本人は印象派以前のいわゆるオールドマスターへの関心が希薄で国内美術館にも作品は少ない。近代以前の西洋の美術はキリスト教を主題にしたものなど、意味を読み取らねばならないものが多い。これに対し、印象派の作品は見た光景をそのまま描いたように見え、平易である。
 
 フェルメールはバロック時代の画家でありながら、見た目だけでわかる平易さと単純さに満ちている。十七世紀のある日のデルフトの午後の陽光が差し込む部屋の様子を切り取っただけのように見える。きらめく光は、印象派の画面よりも迫真的で、見ているとまさに四百年前の世界にタイムスリップしたような臨場感がある。
 
 「真珠の首飾りの少女」は少女が誰かに呼び掛けられてふと振り返る瞬間を捉えたもののようである。すこし首を傾けたあどけない表情、きらりと光る瞳や半開きになった唇、大きな真珠のイヤリングが暗い背景に浮かび上がる。何か言いたげな少女の表情からは、物語を読み取りたくなる。そこに決まったストーリーはなく、見るものが自由に想像を働かせることができる。
 
 フェルメールの作品には、一人か二人の人物がたたずみ、あるいは密かに会話しており、ひそやかな物語性が感じられるものが多い。フェルメールのこうした静謐なドラマこそ、多くの日本人の情緒を刺激し、魅了してやまないのであろう。
 
 この解説を読むと、まさにその通り。「真珠の首飾りの少女」を見た時の自分の感じ方を、宮下さんが丁寧に言葉にしてくれているように思う。たしかにこの絵を見ると、自分はこの少女の物語をあれこれ想像している。
 
 実は私はフェルメールの実物を見たことがない。「真珠の首飾りの少女」と「デルフトの眺望」は死ぬまでに一度は見ておきたいが、残念ながら希望はかなわなそうにない。

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