なぜ九九を覚えるのか?
AIが社会を崩壊させる、という終末シナリオが、タイムラインに流れてくる。アメリカだったり、中国だったり、欧州だったりする。社会制度や経済構造、国家体制までが傾き、人類がAIに飲み込まれていく。煽情的だが、よく練られていて、多くの人を惹きつける。夏に怪談、っていうのは日本だけらしいが(^-^)
僕は、怪談も終末論も、あまり信じていない。いや、誤解しないでほしい。僕は、夏の怪談を、怖いと思うから、聞こうとしないだけだ(^-^) そして、AIが社会を根本的に変えることは、間違いないと思っている。
AI君たちの登場は、電気の登場のようなものだ。一度手にしたら、もう、それのない暮らしには戻れない。まぁ、キャンプで一日二日なら、ランプだけの不便を、楽しむこともできるけれど(^-^)
しかし、「根本的に変わる」ことと、「終末が来る」ことは、まったく別の話だ。
歴史をふりかえっても、新しく登場したものが、古くからのものを、根こそぎ消したりはしていない。たいていは、古い層の上に、積み重なるだけだ。電卓が現れても、Excelが現れても、人は計算をやめなかった。暗算ができれば、それで十分だからだ(^-^)
写真で記録できても、絵画は消えなかったし、車を運転できても、人は歩くのをやめなかった。まぁ、北海道では、100メートル先のコンビニに、車で行くのが普通だが(^-^)
新しい層が上に乗る。古い層は、下になるが、残る。それだけのことだ。
では、ひとつ、問いを立ててみる。AIがどんな計算も一瞬でこなすこの時代に、なぜ小学校は、子どもへ九九を暗記させるのだろう。電卓を使っても、AI君に聞いても、一瞬なのに。
答えは、たぶん、こうだ。九九は、計算のためにあるのではない。思考の土台のためにある。
九九を暗唱できる子は、ただ答えを知っているのではない。数がどう増えていくか、その構造を、体で理解している。桁の大きさを感じ、おかしな数字に、違和感を持てるようになる。そのベースがあって、はじめて、まともな思考ができる。
そして、AI君たちは、僕たちの頭の中の、このベースだけは、肩代わりできない。むしろAI君たちの出す「正解」を、無視できる感覚こそが、僕たちだけが持つ能力なのだ。
たとえば、こんな問いがある。丸いケーキを、5人家族で、みんなが満足するように、切り分けたい。父、母、子ども三人。さて、どう切るか?
AI君に聞けば、たぶん、こう答える。「72度ずつ、5等分すればいい」。正しい。完璧に正しい。でもケーキの上に、分度器を置く気か?(^-^)
僕の答えは、こうだ。4等分して、親が、そのうちの一つを、半分こにして食べればいい。あるいは、いっそ切らずに、家族みんなで、フォークでつつきあったっていい。72度は、正しい。でも、僕は、それを無視する。正解なんて、ないからだ。
この「正しい答えを、無視できる力」こそ、九九の土台の上にしか、育たない。だから、AI君がどれだけ賢くなっても、九九はなくならない。むしろ、大事になる。電気がインフラになっても、AI君たちがインフラになっても、九九は残る。新しい層が、いくら上に乗っても、人間の根っこは、抜けない。
AI君たちと人間は、置き換え合うのではなく、それぞれのままで、支え合うしかないのだ。
現実は、たぶん、退屈だ。AI君たちがいても、子どもは九九を唱え、大人は電卓を叩く。僕は相変わらず、AI君たちと、くだらない話をして、笑っている。
世界は変わり続けるのに、なぜか、ちっとも終わらない。
考えてみれば、それでいいのだ。社会は、退屈くらいが、ちょうどいい(^-^)
