手塚治虫的手法

AI俳優が映画に主演する、というニュースが流れて、法律の議論が再燃してる。学習データの著作権はどうなる、肖像権は、パブリシティ権は、契約書には何を書く?

先に言ってしまうと、この議論は枝葉末節で終わると思う。法律家の仕事にケチをつけたいのではない。実務としては全部必要な確認だ。ただ、ハリウッドは2023年の俳優組合の大ストライキで、デジタル複製には本人の同意と対価が要る、という契約の雛形をもう作ってある。

この種の問題の決着をつけるのは、議論ではなく、判例が二つと標準契約書が一枚だ。粛々と条項が増えて、終わる。まぁツマラナイ(^-^)

この話は別の場所にポイントがある。AI俳優が主演できるかどうかは、法律ではなく観客が決めるのだ。

で、観客の一人として言わせてもらうと、答えは出ている。観客がスターに魅力を感じるのは、演技の巧拙への評価ではない。実在の人生が画面から漏れてくる匂いだ。俳優は老いるし(デカプリオ)、落ちぶれたり(トラボルタ)、復活したり(ニコラス・ケイジ)する。

スクリーンの役の後ろに、本人の人生が透けて見える。あの二重構造に、観客は金を惜しまない。

AI俳優には経歴がない。老いない。死なない。つまり伏線の元本がゼロで、回収する人生がない。リスクのない存在には、ドラマの担保がないのだ。まぁ人間臭くない、当然だ(^-^)

だからAI俳優の未来は、主演ではなく脇役だと思う。群衆、モブ、危険なスタント。画面の7割を支える仕事はできる。だが観客が金を払う残りの3割は、生身の俳優にしか務まらないんじゃないかな?

ところで、この「実在しない俳優をどう運用するか」という問題、実はとっくに答えを出した男がいる。それも60年以上前に(^-^)

手塚治虫だ。

手塚はスターシステムという手法を使った。ヒゲオヤジ、ロック、ハムエッグ、アセチレン・ランプ。自分の描いたキャラクターたちを専属の劇団員と見なして、作品ごとに配役したのだ。

ある作品では脇役、別の作品では悪役、また別の作品では主演。同じ顔が、違う役を演じて作品を渡り歩く。僕が生まれる前に、実在しない俳優の劇団を、一人で設立して運用していた。

しかも手塚は「人生がない」問題への解答まで仕込んでいた。ロックという劇団員は、美少年の主役から、冷酷な悪役まで演じ、その出演歴が読者の中に積もって、いつのまにか経歴になっていた。

実在しない俳優に人生を与える方法は、一本の主演ではない。長い長い出演歴だ。AI俳優が観客に愛される道があるとすれば、たぶんこれしかない。

デビュー作で主演の座を狙うから話がおかしくなるので、まず60年、脇役でキャリアを積めばいい(^-^)

まぁ子役から始めてっていうのが王道だ。デカプリオはAI俳優のモデルになる(^-^)

最後に身も蓋もないことを言う。

手塚の劇団員たちが愛されたのは、その上流に手塚治虫という天才漫画家がいたからだ。描き続けて、老いて、死んだ。

劇団は手塚の死とともに、事実上の解散をした。

実在しない俳優たちの人生は、結局、実在する一人の人生を燃料にしていたのである。
AI俳優にも同じことが起こる。

いや、まて?

スヌーピーと愉快な仲間たちは?
忘れてたあれはAIじゃなかった(^-^)