領土問題を考える――「固有」論を乗り越えることこそ解決の糸口
そもそも「領土」なる概念は、国家の誕生とともにある。
逆をいえば、国家がなかった、いわゆる原始的な時代の人類は、「領土」はおろか、自らが生きている場所の範囲、つまり領域についての認識は、あくまでも経験的でしかなく、きわめて漠然としたものにすぎなかったと思われる。
「固有の領土」なる議論は日本独特のものである。
国際社会、とくにヨーロッパでこの言葉を口にしたなら、第3次世界大戦の火種になりかねない。
古代以来、戦争の連続でもって人為的な国境線変更をくり返してきているヨーロッパの人びとにとって、「固有の領土」という言葉は、地獄のような戦争体験と分かち難く結びついている。
それくらい、少なくともヨーロッパにおいては、この言葉はタブーなのである。
この点は、日本にとっても、けっして他人事ではない。
千島問題がいい例だ。
日本の千島領有確定は樺太・千島交換条約(1875年)においてである。
この事実1つとってみても、千島はけっして日本の「固有の領土」などではなく、たかだか150年にも満たない歴史なのだ。
歯舞・色丹についていえば、たしかにもともと北海道の一部ではある。
ただ、アイヌ民族が居住している北海道地域は、大ざっぱにいえば、古代・中世は「日本」とは区別されていたし、近世に入り松前藩がつくられはしたものの、はっきり「日本」の一部だといっていいのは近代以降といえる。
その意味では、北海道についても「固有の領土」論は当てはまらない。
そのことをふまえたうえで、旧ソ連による千島列島占拠の過程をたどると、
大西洋憲章(1941年8月14日)や連合国共同宣言(1942年1月1日)、カイロ宣言(1943年12月1日)などで確認されてきた領土不拡大原則に反するヤルタ密約にもとづく不法行為だ。
歯舞・色丹の占拠にいたっては、千島占拠のドサクサで、いわば「ついで」に分捕ったものであり、けっして許されることでないということも、キチンとおさえておかなければならない。
千島のことに限らず、領土問題は、当事国どうしの交渉史や国際法の動向といった事実経過の正確な整理と理解を出発点とすべきである。
同時に、千島と歯舞・色丹の場合でいえば、尖閣や竹島とちがい、住民がいるのだから、主権者であるはずの住民より頭越しに、国家間の都合のみで結論をだすのはよろしくないだろう。
領土問題において、領有権のみを切りとる議論は不毛である。
歴史的経過の確認をふまえることはもちろん必要不可欠だが、そのうえで、未来志向でベターな方向を探ることが重要ではないか。
領土をめぐる問題は、地球規模で数多とあるはずである。
そしてその大半は、そもそも「固有の領土」論を忌避したはずのヨーロッパの大国やアメリカが、それぞれの「領土」の外で火種をまいたことだ。
だからこそ、当事国のみに任せるのではなく、国際社会全体で考えていくことがもとめられる。
