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【国際法でみる世界史】ウェストファリア条約

※この記事は歴史の専門家が書いたものではなく、多少の誤りがあるかもしれませんが、あたたかい目で読んでください。いい勉強になりますので、誤りについてはご指摘いただければうれしいです。

※この記事は特定の人物たちを批判する意図で書かれたものではありません。あくまで歴史の楽しみ方の一つとして捉えてくだされば幸いです。

ウェストファリア条約とは
 ウェストファリア条約とは、1618年に神聖ローマ帝国内で勃発した三十年戦争を終結させた一連の講和条約の総称です。
 三十年戦争は、ベーメンで起こった皇帝に対する武装蜂起をきっかけに始まりました。当初は神聖ローマ帝国内のプロテスタント勢力とカトリック勢力による宗教戦争でしたが、その後、デンマーク、スウェーデン、フランスなどが参戦したことで、ヨーロッパ全体を巻き込む国際紛争へと発展し、30年にわたる長期戦となりました。
 講和交渉には、三十年戦争に直接参加しなかった国々も含め、ヨーロッパ各地から約180の国家や地域、都市の代表が集まりました。交渉はミュンスターとオスナブリュックの二都市で行われ、それぞれで締結された複数の講和条約を総称して「ウェストファリア条約」と呼びます。
 ミュンスターでは、フランスと神聖ローマ皇帝との講和条約、さらにネーデルラント(オランダ)とスペインとの講和条約が締結されました。一方、オスナブリュックでは、スウェーデンと神聖ローマ皇帝との講和条約が結ばれました。また、講和会議にはドイツの選帝侯や諸侯など帝国諸身分の代表も参加し、神聖ローマ皇帝が締結した二つの条約には、これらの代表も署名しました。
 条約の内容は、大きく①領土に関する規定、②宗教に関する規定、③神聖ローマ帝国の国制に関する規定の三つに分けられます。
 特に帝国の統治体制に関しては、選帝侯や諸侯などの帝国諸身分に帝国全体に関する事項への議決権が認められ、皇帝が単独で帝国を統治することはできず、重要事項には帝国議会の承認が必要であることが改めて確認されました。また、第8条第1項では、諸身分が有する高級裁判権、関税徴収権、教会に関する統治権などの「領邦高権」が皇帝によって侵害されないことが確認されるとともに、一定の条件の下で外国と同盟を締結する権利も認められ、各領邦の自立性が一層強まりました。

[ウェストファリア条約]
第8条【諸権利の確認】1 国制をめぐる紛争の再発を防ぐため、帝国の全ての選挙候、諸侯、諸等族は各々、自らの諸々の古き権利、大権、自由、特権、聖俗両面における領邦君主権の自由な行使、支配権、レガーリエン及びこれらのものの占有について、いかなる口実の下であろうと将来いずれの者によっても事実上害されえず、また害されてはならないよう、本講和により確定され、また確認される。

ウェストファリア体制は本当に誕生したのか
 ウェストファリア条約については、従来、この条約によって神聖ローマ帝国は実質的に形骸化し、各領邦が対内・対外の「主権」を獲得した結果、主権国家が対等な立場で外交を行う「ウェストファリア体制」が成立したと説明されてきました。
 しかし、近年の研究では、このような理解を見直す見解が有力になっています。
 まず、ウェストファリア条約は、それまで存在していた権利関係を条約という形で確認・法認した側面が強く、新たな主権国家体制を創設したわけではないと指摘されています。また、諸身分に認められた領邦高権も、あくまで神聖ローマ帝国という枠組みの中で保障された権利でした。
 さらに、第8条第2項ただし書きでは、諸身分が外国と同盟を締結できるのは、帝国や皇帝に敵対しない限りにおいて認められるとされていました。そのため、最高権力としての絶対性・独立性を意味する「主権」を諸身分が完全に有していたとはいえないと考えられています。
 また、神聖ローマ帝国も、この条約によって有名無実となったわけではありません。その後も19世紀初頭まで、帝国内の紛争処理や平和維持のための政治的枠組みとして機能し続けました。
 そもそも、「主権」という概念自体はフランスで発展したものです。フランスは、自国の領土支配や領土拡大を正当化する論拠の一つとしてウェストファリア条約を繰り返し援用しました。これに対抗したイギリスも同条約を重視した結果、フランス型の領域国家が国際社会の標準であるとの理解が広まり、ウェストファリア条約が「主権国家体制の出発点」とみなされるようになったと考えられています。つまり、条約が主権国家体制を創設したというよりも、近代国家が自らの国家観を説明するためにウェストファリア条約を象徴的な起点として位置づけたという見方です。
 さらに、19世紀以降の国際法学者たちも、ウェストファリア条約を国際法史上の重要な転換点として積極的に位置づけました。当時は、「国家間の合意によって成立する国際法は真の法ではない」という批判が存在していました。これに対し、国際法学者たちは、ヨーロッパ諸国が大規模な戦争を終結させるために包括的な講和条約を締結し、新たな国際秩序を構築した事実を重視しました。そして、ウェストファリア条約を、国際法と国際社会が歴史的に継続して存在してきたことを示す象徴的な出来事として位置づけたのです。
 このように、「ウェストファリア条約が主権国家体制の出発点である」という理解は、条約そのものから当然に導かれるものではなく、近代国家や国際法学者による歴史的な解釈を通じて形成された側面があると考えられています。

ウェストファリア条約の意義
 ウェストファリア条約には、主に三つの歴史的意義があるとされています。
 第一に、長年続いた宗教戦争に終止符を打ったことです。これ以降、西ヨーロッパ諸国では常備軍の整備や税制・財政制度、官僚制度の発展が進み、絶対王政が形成されていく契機となりました。
 第二に、カトリック教会による普遍的な権威が相対化され、カトリック国家とプロテスタント国家が並び立つ国際秩序が形成されたことです。ヨーロッパには、それらの国家を包括する唯一の上位権威が存在しないという、現代の主権国家体制に通じる国際社会が形づくられていきました。
 第三に、講和交渉の経験が、その後の外交実務に大きな影響を与えたことです。国際会議の運営方法、国家間の席次や序列、交渉手続、条約締結の方法など、多くの外交慣行がこの講和会議を通じて整備され、後世の国際法や外交制度の発展につながりました。

参考文献
<書籍> 
・岩井淳編『複合国家から読み解く世界史: 「国民国家史観」再考 』(山川出版社、2024年)コラム4「ウェストファリアの神話」101-102頁。
・岡本隆司 飯田洋介 後藤春美編『いまを知る、現代を考える山川歴史講座 国際平和を歴史的に考える』(山川出版社、2022年)「主権国家体制下の戦争と平和―ウェストファリア条約から第一次世界大戦まで」1「主権国家体制の形成」58-72頁。
・出口治明『戦争と外交の世界史』(かんき出版、2018年)第2章「三〇年戦争とヴェストファーレン条約」77-117頁。

<論文>
・篠田英朗「国際社会の立憲的性格の再検討ー「ウェストファリア神話」批判の意味ー」『国際法外交雑誌』第113巻第3号(2014年)74-96頁。


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