『浅草キッド』を100倍楽しもう!!

2021年:Netflix配信
監督:劇団ひとり
脚本:劇団ひとり
原作:ビートたけし『浅草キッド』
出演:柳楽優弥、大泉洋
門脇麦、鈴木保奈美 他
『芸人だよ バカヤロー!』
1988年、芸人ビートたけしによる自伝小説『浅草キッド』が刊行。ビートたけしの師である深見千三郎と過ごした青春時代を描いた自伝で多くの芸人からバイブルのように読み継がれている小説である。
同年1988年にはテレビ朝日で天宮良主演によりドラマ化。2002年にもスカイパーフェクTVで水道橋博士により再びドラマ化されている。
私の世代だと『ビートたけし』と云えば『オレたちひょうきん族』の『タケちゃんマン』。ツービートとして漫才をやっていた記憶よりもさんまとコントをしていた印象の方が非常に強い。
ダウンタウンやとんねるず等は私が成長した事もあり腹を抱えて笑うような事はなかったのだが小学生の頃に見たビートたけし&たけし軍団が特番でやっていたコントは本当に呼吸困難になるほどテレビの前で笑い転げ、腹筋が痙攣する程でした。

1983年に結成された『たけし軍団』は1982年に弟子入りした【そのまんま東】を始めとして、大森うたえもん、松尾伴内、ダンカン、柳ユーレイとビートたけしを慕い自然と集まったことで軍団が結成されたのである。
もちろん芸能界という世界が舞台だけに団員数は非常に流動的なのだが軍団の歴代総数は100人を余裕で超えているみたいなのです。
なぜ?ビートたけしのもとに多くの弟子が集まってくるのか…もちろん彼のカリスマがそうさせるのだが…それだけではなく若手芸人の面倒を非常に見ているからである。なぜそこまで可愛がるかの理由はビートたけしの師匠となる【深見千三郎】が大きく影響していたからなのです。
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あらすじ
大学を中退した【たけし】は浅草フランス座に住み込みの小間使いとして働く事になる。尊敬する芸人・深見千三郎に弟子入りを申し入れフランス座での芸人修行が始めるのだが…
ビートたけしの自伝ドラマと云えば私の世代だと1985年にNHKで放送された『たけしくん、ハイ!』を思い出してしまう。まだ幼かったので曖昧な記憶でしかないがビートたけしの子供時代が舞台となったドラマだったことは何となくではあるが覚えています。
もちろんビートたけしの少年時代の物語ではあるがメインは父親の竹次郎(役名)で仕事が終われば吞んだくれて帰ってきては息子のたけしをブン殴るといった展開だったような…
ハチャメチャな父親だが息子たけしの事を本当に愛している不器用な男といった感じである。幼きビートたけしの目線から見た父親の姿を物語にしたのが『たけしくん、ハイ!』だったのです。

『たけしくん、ハイ!』のプロットに似ているのが今回ご紹介する『浅草キッド』 本作は青年期のビートたけしの目線から見た師匠・深見千三郎の物語となっているのです。
『バカヤロー』
ビートたけしと云えば『バカヤロー』をすぐに連想してしまいます。モノマネをすると『なんだバカヤロー』『ダンカン!バカヤロー』『冗談じゃないよ…バカヤロー』と『バカヤロー』がもれなく付いてきます(笑)

『バカヤロー』=ビートたけしと定着している言葉であるが実は師匠である深見千三郎の口癖であった事が『浅草キッド』を見れば理解できると思われます。『バカヤロー』一つで分かるように芸人ビートたけしは確実に深見千三郎の魂が詰まっているという証でもあるのです。
深見千三郎

『浅草キッド』で大泉洋が演じた【深見千三郎】という人物はどういった芸人だったのか…深見自身が大のテレビ嫌いという事もあり世間への露出が殆どないため非常に謎となっているが現在の浅草芸人、いや関東芸人のルーツとなっている偉大な人物だったのです。
出身は北海道ではあるが高等小学校卒業後(14歳)すぐに上京し芸者であった姉の影響で浅草でタップダンスやギターなどの芸事の習得に勤しんだ青春時代を過ごしていたのです。
戦後の1945年に『深見千三郎一座』を旗揚げし全国を駆け巡り1959年に浅草へ戻ってきてストリップ劇場の『フランス座』の経営に参画しストリップの合間の時間である【幕間】を使ってコントを披露していたのである。
浅草では非常に面白いコントであると評判は広まっていたのだが女性の裸目的で来ている客の中には怒号混じりの野次が飛び交うことも珍しくなかったみたいなのです。深見はそんな客に対し『うるせぇ黙って見てろ!バカヤロー』と一喝して何事もなかったようにコントを続行させていたらしく、野次を飛ばした客も大笑いさせていたという伝説がある。
浅草では芸人だけでなく町の人も深見の事を『師匠』と呼んでていたのである。それは『浅草には深見以外に師匠はいない』という最大の敬意を含んだ特別な意味だったのです。
深見の下には多くのお弟子さんが募り後にテレビで大活躍する萩本欣一や東八郎といった大スターが生まれることになる。しかし舞台芸人に誇りを持っていた深見はスポンサーの意向が強いテレビ番組を極端に嫌っており『テレビは芸人の棺桶だ!』と言っていたみたいなのです。
生まれは北海道ではあるが長年と浅草に住み続けた深見は誰が見ても『江戸っ子気質』で【粋(いき)】という言葉が最も似合う男でもあったのです。
「笑われるんじゃない笑わせろ」
「舞台から降りたら
格好いいと言われるようにしろ」
深見の最後の弟子となるビートたけしにも口うるさく言っていたのが芸人としての心構え。弟子を連れて食事に行く際も会計を済ませて外に出たところで弟子にチップを店に持って行かせていたのである。これは店にいる時にチップを渡すと大将がお礼を言いに深見の所まで来るからである。店の大将にとって板場は戦場なのです。そこから離れさせたくないという深見の【粋】な計らいがそうさせたみたいなのです。
更に深見は店にチップを置いていく理由として『このお金で若手芸人が来た時にたらふく食わせてやってくれ』という想いがあったからである。ちなみにこの深見イズムは確実にビートたけしに受け継がれていて居酒屋などで他の席で若手芸人が食事しているのを見ると必ずビートたけしは黙って支払いを済ませていたのです。
会計をしようとすると店員から『先ほど北野武さんからお代は戴いております』と言われ若手芸人たちはビックリするのです。もちろん追いかけるのですが運よくビートたけしに会えた若手芸人がお礼を言ったら『もし君が売れたら、番組に呼んでね』といった【粋】な事を言って帰っていったみたいなのです。
【深見千三郎】という人物を探るという事は【ビートたけし】を知る事でもあり、【ビートたけし】を探るという事は【深見千三郎】を知るという事なのかもしれません。
ビートたけし伝説

今の若い世代がビートたけしを見てどういう評価をするのか…非常に興味があります。例えるなら私が20代の頃はダウンタウンやウッチャンナンチャンやとんねるずといった芸人がムーブメントだった時に立川談志、やすし・きよし、桂三枝などをどう評価していたのか…失礼な話になるが『過去の芸人』と感じていたのかもしれません。
そう考えてしまうとビートたけしも今の世代に受け入れられているかというと疑問は残ってしまいます。しかしコンプラの厳しい今の芸人とやりたい放題だった昭和初期の芸人では破天荒ぶりが全く違うのである。
一つ例を挙げるならダウンタウンの松本人志のスキャンダルも事件以降は地上波には一切出てこれなくなってしまいましたが昭和の時代はそんな事ではワイドショーの話題くらいにしかならず逆にネタとしていじられる程度の事だったのです。バーリトゥードのような『なんでもあり』時代であった芸能世界の中でもビートたけしは良くも悪くも数々の伝説を残している人物だったのです。その代表的なのが『フライデー襲撃事件』『新宿バイク事故』『世界の北野』順を追って説明していきたいと思います。
フライデー襲撃事件

ビートたけし伝説となった時に真っ先に出てくる思いつくのが『フライデー襲撃事件』。全盛期とも云える1986年にたけし軍団11人を引き連れて写真週刊誌『フライデー』を刊行していた講談社に襲撃をかけたのである。
当時39歳だったビートたけしと交際をしていた専門学生の女性にフライデーの記者が突撃取材をした際に暴力を振るった事で女性は全治2週間の怪我を負う事に対し腹を立ててしまったのです。
スキャンダルなどは芸の肥やしとしか見ていないビートたけしではあるが身内に関しては異常なほど大切にする男だけに怒り心頭だったビートたけしは傘などで担当記者を殴打するなどの暴行をした上に消火器を噴射したりと全治1カ月の怪我を負わせている。
大塚警察署がすぐ近くにあった事で事件から5分後に警察が乱闘を収めてはいるが不法侵入、器物破損、暴行の現行犯で逮捕。裁判では懲役6か月、執行猶予2年の判決が下ってしまったのです。
そしてこの事件が伝説となった決定的な記者会見がコチラ
やった事は法に触れているので罪を背負うが『俺の身内を傷つけたら容赦しねぇぞ』とも取れる記者会見。この時、北野武は同行させてしまった軍団11人に対し『お前らの面倒は俺が最後まで責任を持って見る』と断言した事で軍団の結束がより一層固まったというエピソードがある。
北野武は逃げも隠れもせず堂々と記者の前で釈明をしたのである。その釈明は決して我々に媚びる訳ではなく、言い訳も一切なく、カメラに映った姿はまさに男気だったことは今でも覚えています。

そしてネタなのかどうかは分からないが一番弟子であった【そのまんま東】(現:東国原英夫)はビートたけしの次にテレビの露出があり出番も増えつつあった時期だった事でフライデー襲撃にはあまり乗り気でなかった事が後に本人の口から語られていたのである。
渋々と軍団の最後尾を付いていきエレベーターに最後に乗った事でエレベーターの中では扉の前に陣取ってしまったのです。扉が開くや否や後ろに控えていた軍団の突撃が東を押し出す結果となり報道では一番弟子の【そのまんま東】が口火を切った的な書かれ方をされたのです(笑)
さすが芸人である。こんな事までネタにするなんて…
新宿バイク事故

1994年、当時47歳のビートたけしは新宿近くの道路で原付バイクを運転中にカーブを曲がり切れずにガードレールの鉄柱に激突、4メートルも飛ばされて頭がい骨骨折の重傷を負う。『普通なら即死、運が良くても植物人間』という大事故だったのだが奇跡的に回復し約7か月後にはテレビ番組の復活を果たしている。
この事故は当時『死んでもおかしくない』と報道されていた事からたった7か月で復活するなんて思っておらず世間ではビートたけしの強運が語られていました。当時は芸能界の中でも絶大な力を持っていたビートたけしが深夜に一人原付バイクを運転する事なんて考えられず色々と疑惑を生むことになったのだが有力なのは…
当時、愛人の噂のあったグラビア女優の細川〇みえさんに会いにいったのではないかと囁かれていました。真相は謎のままであるがビートたけしが奇跡の復活を果たしたのは神がまだ『お前にはまだやる事がある』と言っていたのではないでしょうか…その『やる事』というのが…
世界の北野

1989年に北野武は『その男、凶暴につき』で映画監督デビュー、以後1990年『3-4×10月』、1993年『ソナチネ』ではカンヌ国際映画祭やロンドン映画祭で招待され海外でも高い評価を受ける事になります。
1994年にバイク事故を起こした2年後の1996年には『キッズリターン』で再びカンヌ国際映画祭に招待される事になります。ここまで来れば北野武の映画監督としての才も確かなものである事は間違いなく誰もが評価していく中で1997年で『HANA-BI』で遂にヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞する快挙を果たしたのである。
1999年『菊次郎の夏』2003年『座頭市』も世界から高い評価を受け北野武は日本だけに留まらず世界へと発信する伝説の男になったのです。
しかし北野武の根本にあるのは師・深見千三郎から受け継いだ芸人魂である。そんな二面性のある【たけし】がフジテレビでスタートさせて番組が
【足立区のたけし、世界の北野】
知る人ぞ知る伝説の番組で決して子供には見せられない番組内容となっていました。まさか【世界の北野】が日本でこんな番組をやっていたなんてカンヌ国際映画祭の関係者は思ってもいないはず。しかし日本にいる以上は【北野武】ではなく【ビートたけし】なのである。
こんな破天荒な人生だからこそ【ビートたけし】という人物は大スターであり、こんな人情味溢れる人物だからこそ多くの芸人たちが敬意を払っているのである。そんな【ビートたけし】に大きな影響を与えた人物こそが師・深見千三郎だったのである。それでは…



鑑賞後考察(ネタバレ)

ココで触れない訳にはいかないのが本作で監督を務めたのが芸人の『劇団ひとり』。本人もインタビューで答えていたが『自分はたけし軍団でもなければ、浅草で芸を磨いた訳でもない、しかしビートたけしは私の憧れなんです』勝手に憧れを抱いていた一芸人がビートたけしの半生を映画化するなんて何と恐れ多い事だろうと本人も思っていたみたいなのだ。

『他の誰かに映画化されたら
死んでも死にきれない』
実際にビートたけしに『浅草キッドを映画にしたいんですが!』と直訴したらビートたけしは『いいよ』と簡単に承諾してくれたみたいなので…もうちょっと迷ってもよくない?と思ったそうです(笑)
劇団ひとり監督が撮影をする際に最も気を付けた事は全芸人が尊敬を抱く『ビートたけし』の唯一の師匠『深見千三郎』この二人だけは絶対に汚してはいけないという想いがあったみたいなのです。
『浅草キッドを撮りたい』という思いからなんと7年の歳月を経てNetflixで配信が決まったのである。台本をビートたけしに読んで貰おうとしたが『お前の好きなように撮りな』の一言で全てを快諾してくれたのです。配信後すぐにビートたけしは『見たよ!おれ…泣いちゃったよ』という最高の賛辞を贈ってくれたそうです。
ビートたけしは劇団ひとり版『浅草キッド』を見て当時の事を思い出したのではないでしょうか…師・深見千三郎はどれだけ自分の事を可愛がっていたのか、頑なにテレビを嫌っていた事、最後に酒を酌み交わした夜を…
舞台芸人

なぜ深見は最後までテレビ出演を拒み舞台に拘ったのか…それは深見が人情味溢れる弟子想いの人物だったからです。浅草一と謡われた天下の芸人である深見千三郎だけに勝手が違うとはいえテレビに対しての順応性はあったはず。必ずやお茶の間を大爆笑の渦に巻き込みテレビ業界でも天下を取っているだけの実力は兼ね備えていたはずである。
しかし深見が経営していたのは浅草フランス座でストリップ小屋という風俗業界。芸人の弟子の何人かを引き連れてテレビ業界に進出はできたとしてもさすがにストリップ嬢や裏方のスタッフまでは連れていけない。
自分が立ち上げたストリップ小屋だけに最後まで嬢やスタッフの面倒を見るために頑なにテレビを拒んだのだと私は感じている。
もちろん芸人としてのプライドもあっただろう。テレビとなればスポンサーの意向が非常に強くなる。差別的な表現や暴力的なコントは昭和の時代でも受け入れてくれないのが現実である。
今の時代でも似たような事が起こりつつあります。それが『YouTube』である。今やテレビの時代は少しづつ終焉を迎えているような気がするのは私だけでしょうか…
コンプライアンスが非常に厳しい世の中でSNSの世界はテレビよりもかなり緩めである。今後どのようになるか分からないが少なくとも自由度が高いのはSNSの方である。
現実にテレビでは売れていた芸能人がYouTubeでは通用しなかったり、逆にテレビでは通用しなかった芸能人がYouTubeでの需要があったりと逆転現象が起きています。
深見千三郎も今の時代に当てはめるなら時代に乗っかれなかった不器用な男なのかもしれませんが、そんな不器用な男だからこそ『ビートたけし』という人物を作り上げることができたのかもしれません。
芸人だよ、バカヤロー!

今でこそ頭が良くないと芸人はできないなど言われているが戦後まもない頃の芸人に対する扱いはホントに酷かったと思われます。テレビが普及するまでは芸人を見るには落語の寄席やストリップ小屋に行くしかなかったのです。しかも出番はメインとなる落語やストリップの幕間でしかなく少なくとも観客は芸人を見に来たわけではないというアウェーでの状況でコントをやっていたのである。
そのような状態で爆笑を取るのはとても難しく、まず客の耳は開いていないのである。例えるなら肉を食べたくて焼肉屋に来ているのに途中で『このカレーライスを食べてみて』と言わるのと同じようなもの。『いやいやカレーで腹を満たされたくないのよ…』と思うはずである。
よほどカレーが美味しくないと客は納得はしてくれない。このような状況の中で爆笑を取って来た深見千三郎という男がいかに偉大だったのか…しかし時代がストリップというコンテンツを必要としなくなっていったのです。
かつては全国に400軒ほど存在したストリップ劇場もテレビの普及と風営法の強化による摘発で一気に激減。幕間で芸を披露していた芸人たちもテレビに鞍替えをするのだが何かと小道具やセットが多いコントよりもマイク一つで出来る漫才が主流となってくるのである。
時代に合わせて芸を変えていくスタイルは確かに賢いやり方なのかもしれない。しかし不器用な堅物芸人はそれが許せなったのでしょう。
『笑われるんじゃねぇぞ!笑わせるんだ!』
あくまでもコッチが主導なんだという事である。テレビがそれを求めているから…スポンサーが望んでいるから…今の時代はコレがウケるから…ではない。深見千三郎の望んだ芸で爆笑が生まれるのである。それでも分からないのなら『お前が悪いんだ』という事だ。まさに『何様?』である。
『芸人だよ!バカヤロー!』
まとめ(ネタバレ)

本作を鑑賞した方なら誰もが思ったはずである。柳楽優弥さんの『ビートたけし』の役の完成度を…決してモノマネではなく、あの時代のビートたけしを演じていたのである。
斜に構えた立ち姿や喋り方、歩き方、瞬きまでもがビートたけしなのである。どうやら松村邦洋さんが指導をしたみたいではあるが柳楽優弥さんの才能にはホントに驚愕してしまいます。
深見千三郎を演じた大泉洋さんは言うまでもなく最高でしたが…私が本作でキーパーソンであったと感じたのが…

ストリッパーの千春を演じた門脇麦である。どうやら原作には登場しておらず劇団ひとり版だけのオリジナルキャラクターという事みたいだ。彼女は若かりし頃のビートたけしと同じ立ち位置にいながら対照的な結末を迎えることになるのです。
彼女も歌手になるという夢を持ちつつストリッパーとして踊り続けるのだが歌を披露した後に観客からの野次に彼女は負けてしまったのである。芸人にしても歌手にしても夢や希望を持って日々努力しているのが当たり前の世界なのだが…努力しているから必ず売れるというものではない。中には努力しなくても売れる者もいる。
しかし彼女は自ら歌の舞台を降りてしまったのです。夢を叶える事ができなかった千春は『タケには自分の願いを叶えて欲しい』と思ったのでしょう。彼女が演芸場にツービートの漫才を見て涙を流していたのは自分が叶えることができなかった想いを託しにきたのではないでしょうか…千春という存在が芸能の厳しさを物語っていたのだと感じてしまいました。

そして最後に…本作で東八郎役を演じていたの劇団ひとりかと思っていた!って所でオツカレっす!!


