名声は一番最後に来る
名声とは、多分、一番最後に来る。
それも、遅れて来る。
アメリカに、スクラッチくじで何度も高額当選した女性がいたという。
ジョーン・レイ・ギンサー。テキサス州ビショップ出身の女性である。報道によれば、彼女は一九九三年から二〇一〇年にかけて、テキサス州の宝くじで四度の高額当選をした。最初はロトで、以降はスクラッチくじだった。累計の当選額は二千万ドルを超えたとされている。
あまりに当たりすぎている。
だから当然、人は怪しむ。運が良すぎる。偶然にしては出来すぎている。何か方法があったのではないか。そう思われても仕方がない回数だった。
彼女はスタンフォード大学で博士号を取り、数学を教えていた人物だとも報じられている。統計に強かったとも言われている。地元では、彼女が宝くじを大量に買っていたという証言もある。
わたしは宝くじも買わないし、スクラッチもしない。
だから、その仕組みも、確率も、体感としてはわからない。
彼女が本当にただ幸運な女性だったのか。
数字を読み切った統計学スナイパーだったのか。
それとも、宝くじという制度の隙間から金を抜き、街の子供たちへ流した世紀の大義賊だったのか。
実際のところ、事実はわからない。
ただ、ひとつ思う。
彼女の名は、当選回数だけでは残らなかったのではないか。
何度も大金を当てた女性、というだけなら、話は疑惑で終わる。怪しい。何かある。運が良すぎる。人はそう言うだろうし、わたしもそう思う。
けれど、彼女が亡くなったあとに残ったのは、当選の奇妙さだけではなかった。
地元では、彼女が教会に車を買った、困っている人を助けた、家を慈善団体に寄付した、という話がある。少なくとも三十人の学生の大学費用や本代を負担した、という話も残っている。ただし、それらすべてを今ここで完全な事実として確定することはできない。
けれど、語られているものはある。
彼女の金で学校へ行けた子供たちがいた。助けられた人たちがいた。彼女の名を、ただの幸運な当選者としてではなく、自分の人生の一部として覚えている人たちがいた。
真相はわからない。
幸運だったのかもしれない。
計算だったのかもしれない。
あるいは、制度の穴を撃ち抜いて、街へ金を流した大義賊だったのかもしれない。
けれど名声とは、真相の証明とは別の場所に残るものなのかもしれない。
本人が何者だったか。
何を狙っていたのか。
どこまでわかってやっていたのか。
それは、たぶん最後までわからない。
それでも、その人が通ったあとに、誰かの人生が少し遠くまで行けたなら。誰かが学校へ行き、誰かが生活を立て直し、誰かが「あの人のおかげで」と言えるようになったなら。
名声は、その時になって、遅れて来る。
本人が名乗るものではない。
本人が取りに行くものでもない。
生きているあいだに、本人の手元へ返ってくるものですらないのかもしれない。
ただ、誰かの人生の中に残る。
あの人がいたから。
あの人が助けてくれたから。
あの人のおかげで、少し遠くまで行けたから。
そうやって、残された人たちがあとからその名を呼ぶ。
名を上げたのではない。
名が残ってしまったのだ。
名声とは、多分、一番最後に来る。
それも、本人には届かないほど遅れて来る。
