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NOHTE 伊純の自由課題 #1 「私のおやつ ・祇園祭と、菊の露」

7月の京都といえば、祇園祭。ひと月にわたって町のあちこちで祭の気配。鉾が建ち、囃子が聞こえ、京の夏がいよいよ始まるのだ、というワクワクした気持ちになる。

僕が江戸から京へ移り住んだばかりの頃、もう二十年近く前になりますが、先輩から「鉾町の人は、本業よりも祭を優先する」と聞いたことがあります。

その時は、冗談だろうと思っていましたが、京都に長く暮らしていると、それが決して大げさな話ではないのだと、少しずつ分かってきました。祇園祭は、単なる年中行事ではなく、人々が代々受け継いできた大切な営みなのだということ。

さて、この祇園祭の山鉾には、それぞれに由来や物語があります。その中に「菊水鉾」という鉾があります。ここは金剛流ともゆかりのある鉾ですが、一旦そのお話は横へ置いておきます。

能の枕慈童

菊水鉾の名は、町内に古くからあった井戸「菊水井」にちなむといわれています。鉾頭には金色の菊花がつけられ、稚児人形は「菊の露を飲んで長寿を得た」という能『枕慈童』(菊慈童とも)を題材にしています。
能『枕慈童』では、魏の文帝の勅使が、山中に湧く霊水の源をたずねるところから物語が始まります。ここで登場するのが、七百余歳を生きているという不思議な少年、慈童です。

ここで、枕慈童をご存知ない方に、あらすじをご紹介します。

中国、魏の文帝の治世に、酈縣山(れっけんざん/てっけんざん)の麓から霊水が湧き出たため、その源流を探るべく、勅使一行が派遣されました。勅使は山中に一軒の庵を見つけます。周辺を散策して様子を窺っていると、庵から、一人の風変わりな少年が現れました。勅使が怪しみ名を尋ねると、少年は、自分は慈童という者で、周の穆王(ぼくおう)に仕えたと教えます。周の穆王と言えば、七百年もの昔の時代です。勅使がますます怪しんで、化け物だろうと問い詰めると、慈童は、皇帝より直筆の二句(四句)の偈(経典の言葉)が入った枕を賜ったと言い、それを証拠として見せました。勅使もその有難さに感銘を受け、二人でその言葉を唱え味わうのでした。慈童は、自分が二句(四句)の偈を菊の葉に写したところ、そこに結ぶ露が不老不死の霊水となり、それを飲み続けたから七百歳にもなったのだと語り、喜びの楽を舞います。慈童は、その露の滴りが谷に淵を作り、霊水が湧いていると述べ、勅使らとともに霊水を酒として酌み交わします。そして帝に長寿を捧げ、末永い繁栄を祈念して、慈童は山中の仙家に帰っていきました。

the能.com 演目事典「枕慈童」引用


慈童は、自分がなぜこれほど長く生きているのかを語ります。王から賜った枕、そこに書かれたありがたい偈。その偈を写した菊の葉から、したたる露。

即ちこの文 菊の葉に  
悉く顕る さればにや  
雫も芳しく したたりも匂ひ

謡曲「枕慈童」

能の詞章に「したたり」という言葉が出てきます。前置きが長くなってしまいましたが、今回ご紹介する能楽師“伊純のおやつ”は、京都・亀廣永さんの銘菓「したたり」です。

したたりの楽しみ方

これは祇園祭の菊水鉾にゆかりのあるお菓子です。もともと菊水鉾のお茶席のために作られたため、夏限定のお菓子でしたが、現在は一年を通して作られています。

琥珀色の涼やかな姿をしていて、黒糖の深い甘さが特徴的です。とろけるような甘さですが、口に入れるとスッとして爽やかです。

僕は、このお菓子はよく冷やしてからいただくのが好きです。冷蔵庫でキンキンに冷やして、甘みが少し引き締まったところが、自分好みの甘さになります。おまけに、番茶につけて食べたりもします(これは邪道ですが、おすすめです)。
そのまま食べるのも勿論おいしいのですが、番茶に少し浸すと、甘みがやわらいで、黒糖の香りが引き立つのです。お菓子大好き界隈の人々には怒られるかもしれませんが。

思い出と味わう

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