初歌舞伎レポ | 8月納涼歌舞伎
初めての歌舞伎で「これを知らずに日本人とは言えない」と思った夜
——八月納涼歌舞伎 第三部(歌舞伎座・幕見席)
初めての歌舞伎だった。
ずっと見たいとは思っていたのに、なかなか足を運べずにいた。正直、どこかで毛嫌いしていた。いや、「見ず嫌い」していた気がする。
でも、見終えた今、はっきり言える。これは、みんなに見てほしい。 今まで見ていなかったことを、本気で後悔した。
日本文化の素晴らしさ、日本人らしい繊細さと優雅さが、これ以上ないほど美しく表現されていた。これを知らずに——歌舞伎を、日本の古き良き文化を知らずに——「日本人です」なんて言えない。そこまで思うほど、良かった。

幕見席の一列目
今回は第三部、幕見席(まくみせき)の一列目。
4階席と聞いて覚悟していたけれど、思ったよりずっと近い。オペラグラスがなくても、肉眼で十分に見えるくらいの距離だった。
幕見席は前日の昼から先着で取れる席で、値段も手頃。初めて、気軽に歌舞伎を味わうにはちょうどいい席だった。「まず一度体験してみたい」という人に、おすすめしたい。
舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)
概要 昭和39年(1964年)に歌舞伎座で初演された「変化舞踊」。十七代目中村勘三郎の俳名「舞鶴」にちなんで書き下ろされた、中村屋ゆかりの作品です。作曲は十四代目杵屋六左衛門、振付は六代目藤間勘十郎。タイトルの「雪月花」は、白居易の詩の一句「雪月花の時、最も君を憶う」に由来し、雪=冬・月=秋・花=春という自然の美を表す。
本来は一人の演者が早替りで三役を踊り分ける趣向ですが、今回の納涼歌舞伎は珍しく中村屋の一門が役を分け合う豪華版。上の巻の桜の精を七之助、中の巻の松虫を勘太郎と長三郎、下の巻の雪達磨を勘九郎が踊る、いわば「中村屋そろい踏み」を楽しむ回でした。
上の巻「さくら」 — 中村七之助
男性が演じているとは、とても思えなかった。
仕草も、指先までも、すべてが踊りだけで表現されている。というより、踊りで全てを語っているのだ。踊りからにじむ上品さ、ときおり見せる力強さ、そして凛とした佇まい——それが本当に衝撃的だった。
「踊りで表現しきる」ということの凄み。実際に目の前で見ると、それがまっすぐ伝わってきた。
中の巻「松虫」 — 中村勘太郎・長三郎
虫を擬人化して踊りで描く、という発想がまず面白い。
動きはもちろんのこと、笛の音や、オルゴールのような三味線の音色で虫の世界を表現していく。これぞ歌舞伎ならでは、と感じた場面だった。
下の巻「雪達磨」 — 中村勘九郎
恋する雪だるま。
こんなにコミカルな演目が歌舞伎にあるんだ、と驚いた。歌舞伎でも笑えるし、元気になれる。そのことが、素直に嬉しかった。
しかも、その表現のしかたも歌舞伎ならでは。雪を、太鼓の低く太い音で表現するのだ。「この深く低い音だからこそ、雪だるまが作れるような雪が降る」——そんな感覚が、妙に腑に落ちた。とても日本人的な、音の感覚だと思う。
手が出て、足が出て、そして笑いが出る。ひょっこりと顔を出す勘九郎さん。表情と動きだけで演じきる、その力強さ。他の巻とは違って、とにかく表情が豊かで面白い。初心者ながらに、表情の使い方も「間(ま)」も違うな、と感じた。ここでも音とのコラボレーションが見事で、その表現の豊かさに引き込まれていく。
雪だるまが解けていく場面の、ドラムロールのような連打。そしてまさかの、解けないように自分で雪を被せ直す仕草。炭屋の娘に恋をする雪だるま——ここから、雪だるまが日本の文化としても愛されてきた存在なのだと、しみじみ感じた。
雪(ゆき)
概要 1780年代に作られた地唄の名作。大阪に実在した芸妓・宗関(そうせき)の、美しくも哀しい心情を描いた作品。かつて人気芸妓だった女性は、今は尼になっている。雪の降る夜、一人静かに過ごしながら、恋人を待ち続けた若き日の一夜を思い出す。遠くの寺の鐘に寂しさを覚え、夜更けの足音を恋人が訪ねてきたものと思い込む——記憶は次第に鮮明になり、忘れようとしても断ち切れない恋心が、静かに浮かび上がってくる。
正直に言うと、何をやっているのか、細かくはわからなかった。
でも、きっとすごいものを見ていたのだと思う。とにかく綺麗だった。動きは少ないのに、一つ一つの所作に込められた感情が、ちゃんと伝わってくる。
これは、最前列で見たい。最前列で見れば迫力も違っただろうし、きっと惚れ込んでしまう——そう思わせる何かがあった。
残月(ざんげつ)
概要 「雪」と同じ峰崎勾当(みねざきこうとう)の作曲。若くして亡くなった愛弟子を悼んで作られたと伝えられ、題名も弟子の戒名に由来するとされます。海辺の松の葉隠れに、沖へと沈んでいく月のかすかな光——その情景に、早世した女性の儚い命を重ねて慰める名曲である。箏と三味線による手事(てごと/器楽の聴かせどころ)が5段にわたる大曲で、追善の曲として親しまれてきた。沈む月に亡き人を偲ぶ、静謐で深い余韻が残る。
空気の張り詰め方が、明らかに違う気がした。
なんとなく感じ取ることしかできなかったけれど、一つ一つの動きというより、一連の流れとして、見ている側がすうっと引き込まれていく——そんな演技だった。
おわりに
総じて、また歌舞伎が見たい。
もっと日本文化を、自分自身で感じていかないといけない。そうでなければ、日本の良さを人に伝えることなんてできない。そんなふうに、自分が「日本人として存在している」ことを、あらためて感じさせてくれる夜だった。
次回は、また違う種類の歌舞伎まで見てみたい。
