短編小説『延命食堂【完全版】〜長寿をもたらすランチ?〜』
本作品は、短編小説『延命食堂 〜長寿をもたらすランチ〜』に加筆修正し【完全版】にしたものです。6,000字ほどありますが、お読みいただければうれしいです。
【イントロダクション】
定年退職した男は、妻と訪れたランチ専門の「しょくどう」の常連になる。そこは破格の安さと絶品の健康食で「延命食堂」と呼ばれていた。しかし、若返りの本当の理由は店のトイレにあった。
1. ランチ
木村浩は66歳。一年前に定年退職して、今は年金暮らしだ。九州北部の新興住宅地の一戸建てに住んでいる。
サラリーマン生活を終えてから特にすることもない木村は、夜更かしの朝寝坊になり、昼近くまで寝ていることもある。ランチは妻と二人でクルマで出かける。退職前は夫婦で一台ずつ所有していたが、今は軽自動車一台になった。昼は外食で済ませることが多い。コスパのよい近隣の店をリストアップして、その日の気分で回っている。
今日は初めて行く店だ。「美味しくて安いんだって。それに食材にも気をつかってて、栄養のバランスもいいの。行ってみようよ」と妻から誘われた。
そこは自宅からクルマで10分ほどの住宅地にあった。新築の平屋で真新しい。このあたりは最近開発が始まった区域で、新しい家ばかりだ。
看板には、ひらがなで「しょくどう」としか書かれていない。それも子どものような稚拙な筆跡だった。木村は、こういう奇を衒ったネーミングは好きではなかった。これまでの経験では、大体がこけおどしに終わる。しかしその予想は良い方に裏切られた。
午前11時を少し回ったところ。開店直後だというのに店内は埋まっていた。木村のような高齢者しかも夫婦で来ている客が多い。
小さいテーブルが三つ、カウンターは六人が座れるスペースしかない。こんなキャパシティで、しかも夜と週末は営業せず平日のランチのみで採算が取れるのだろうかと、木村は他人事ながら心配してしまった。
SNSで宣伝はしていないが口コミで来店客は日に日に増えているようだった。木村も妻と店の外に並んで待った。
順番は意外と早く回ってきた。客たちも心得ていて、店のために早く食べ終わろうとしているのがわかる。社員食堂みたいな雰囲気だなと、木村は現役の頃を懐かしんだ。
厨房では50代と思しき女性が一人で調理を担当している。動きはムダがなくて速い。彼女が店主のようだ。配膳は二人。高齢の男性と若い女性。家族だろうか、黙々と働いている。
ランチは日替わりのみだが、米飯、味噌汁、サラダ、メイン料理に、小鉢が二つ付いてくる。これで千円というのは、物価が高騰している現在では破格だ。
「まごわやさしい」という言葉は、木村も知っている。テーブルの上に置かれたサインスタンドに「健康な食生活を送るために摂るべき7つの食材グループの頭文字を並べた言葉です」と説明されている。「ま」は豆、「ご」はゴマ、「わ」はワカメ、「や」は野菜、「さ」は魚、「し」は椎茸、「い」は芋で、この店はそれらをすべて含む献立を毎日考えているのだという。
運ばれてきた定食は、一品一品が手間暇かけて作られていた。味つけは精妙。出汁がしっかりとられた味噌汁だけで、日本の伝統的な食の素晴らしさを再認識させられるほどだった。
(店主はきっと名のある店で修行したに違いない)
「ごちそうさま。おいしかったで〜す」と、ふだん愛想の良くない木村がニコニコ顔で挨拶し、店を後にする。
2. 若返り
それ以来、木村は夫婦で店の常連になった。「しょくどう」という名称も今ではお気に入りだ。「シンプルな名前でいいね」と妻に言っている。
今日も二人掛けのテーブルに向かい合って座った。日替わりランチはいつも絶品だ。こういうのを毎日一食でもいいから口に入れることができたら、幸せというものだろう。
(あれっ?)
木村の視線の先には、いつも見かける高齢の男性がいた。ご常連だ。年齢は80代ではないか。このあいだは杖をついてヨタヨタして席に着いていたのに、今日はスタスタ歩いてセルフサービスのお茶を自分で注いでいる。表情も明るい。
妻も気づいたようだった。
「あのおじいさん、すごく元気になったわね。よく見かけるけど、若くなってる」
狭い店内なので、夫だけに聞こえる小声だ。
「ここはね。『延命食堂』って呼ばれてるんだって」
「まあ、そうだろうな。美味しいし栄養のバランスもいいし」
「延命」という言葉を真に受けるのはどうかと思うが、これほどすばらしい食事にありつけるのはありがたいと、木村は素直に思った。
「ちょっとトイレ」
食事を終えた妻が席を立ち、店の奥にあるドアを開けて中に入って行った。
ランチを終えて自宅に戻ると、もうすることがない。夕食までダラダラと無為に過ごすことになる。木村は、観たい番組があるわけでもないのにテレビをつけて、妻が点ててくれた抹茶を啜る。
(あれっ?)
何だか妻が若返っている。最近気にしている薄い髪が、別人のように黒々として量も増えているのだ。顔もツヤツヤで色っぽい。気のせいだろうか。
3. トイレ
それからも昼時になると、木村は妻と「延命食堂」に出かけた。
ある日、食事を終えた木村は尿意を催した。妻はまだ食べ終えていない。今日は外で待っている客もいない。少しくらい時間がかかっても迷惑にはならないだろうと、トイレに立った。
この店のトイレに入るのは初めてだ。広さには余裕があるが一人ずつしか利用できない。ドアに鍵を掛け、用を足して手を洗う。正面の鏡を見ると、いつもの自分の顔が映っている。
(髪が薄くなったなぁ。白髪も増えてきたし。顔の皺もシミも・・・ああ、嫌だ嫌だ)
「木村さん、木村さん!」
「えっ」
木村は事態が飲み込めなかった。鏡の中の自分の顔が勝手にしゃべりかけてくる。
「あ、ああ〜っ」
高血圧の木村は頭がボーっとして、そのまま倒れそうになった。
「すみません、驚かせてしまって。いい話があるんです。ちょっと聞いてくださいませんか」
「こ、こんなことが・・・夢か?」
「私と交替しませんか?」
「ええっ?」
「鏡の中に入ると若さをチャージできるんです。木村さんが『充電』している間は、私がそちらの世界で代役を務めます。いかがですか?『あなたは私、私はあなた』ですから。同じ『自分』ですよ」
木村は、ようやく落ち着いて話ができるほどになった。
「もしかして、あの常連のおじいさんも?」
「はい、正解!」
クイズ番組の司会者のようにこちらを指差して、偉そうに自分の顔が答えてくるのは、気持ちのいいものではなかった。しかしよく見ると、鏡の中の自分の方が少し若い。誘いに心が動いた。
「あの、考えさせてもらっていいですか?返事は、う〜ん、次回の来店の時ということで」
「もちろんけっこうですよ。それではまた」
電源が切れたテレビのように顔が消え、鏡像に戻った。
「そうかぁ。高齢の客が元気になったのは、食事が理由ではなかったんだ」
青ざめた顔でトイレから出てくる木村に、妻が声をかけた。
「どうしたの?長かったわね」
「ああ、ごめん。ついでに大の方もね」
木村は、妻に嘘をついてその場を取り繕った。
4. 左利き
「ケーキを買って帰ろうよ」
コレステロール値が高いからと甘い物を我慢していた妻が、珍しくデザートを欲しがる。有名なパティシエが経営する店がウチの近くにあるのだ。
幸い、お目当てのケーキは残っていた。ここは人気店で午前中に売り切れてしまう日もある。
昼下がりの住宅地に、往来するクルマはほとんどない。幹線道路から離れているので、聞こえてくるのは風の音くらいだ。時々クルマの屋根に鳥が糞を落としていくのには閉口するが、まことに長閑な所だった。
(そういえば自分が子どもの頃、定年退職者を「サンデー毎日」と揶揄してたなぁ。いつまで元気でいられるかわからないが、人生の最後にのんびりして何が悪い。でも、あの鏡の誘惑には迷うなぁ。どうしよう?)
帰宅してコーヒーを淹れる。
(あれっ?)
その時、木村は異常に気づいた。
「いつから左利きになった?」
テーブルの向かいに座っている妻が、ケーキ用の小さなフォークを左手に持っている。
「えっ?ああ、トレーニングよ。年をとっても体がちゃんと動くように、わざと左手を使ってるの」
トレーニングというわりには、右手と同じように器用に動かしていて違和感がない。あまりに自然で、木村も見逃すところだった。妻は狼狽した表情を一瞬見せたが、その時の木村にはそれほど重大なこととは思えなかった。
5. 閉店
「延命食堂」は突然なくなってしまった。人気のない建物の入り口に「当食堂は閉店いたしました。長らくのご愛顧ありがとうございました 店主」という、かなり達筆の張り紙だけが残っていた。
閉店を知って来たのだろう。多くの常連客が押しかけていた。高齢者がほとんどだ。異様な雰囲気で、なかには泣いている者もいる。
木村は店を前にして、あの時に鏡に「イエス」と答えておけばよかったと悔やんだ。そうすれば、若々しい肉体を取り戻せたかもしれない。
「神の端末」という都市伝説がある。
数万年前、異星人が宇宙の至る所に「調査と記録」を目的とした装置をばら撒いた。これは「神の端末」と呼ばれ、異星人が滅亡した後も稼働を続けた。
食堂のトイレの鏡は、「神の端末」の形態のひとつだった。若返りへの勧誘は、現地人つまり地球人の寿命を延ばしてやろうという親切心から始めたことのようだった。しかしある日突然、理由はわからないが彼らは撤収してしまった。
しばらくして各地の自治体が実施する健康診断で、「完全内臓逆位」の高齢者が続出した。心臓、肝臓、胃、脾臓など、すべての臓器が鏡に映したように左右逆に配置されていたのだ。そしてそのなかに木村の妻も含まれていた。オリジナルがあちらへ行ったままになり、コピーがこちらに残ったのだ。
「神の端末」を作った異星人は、内臓に至るまで完全に左右対称だったのだろう。そして、自分の肉体をコピーして使い分けていた。スマホの複数台持ちのように。「神の端末」は、そのやり方を地球人にそのまま適用した。
(まあ、いいや)
木村は気にしないことにした。妻が右利きであろうが左利きであろうが大した問題ではない。それに、今の妻の方がちょっと若いし。
6. 妻の帰還で妻二人
木村の妻が帰ってきた。本物のオリジナルの妻が。
「延命食堂」のトイレの鏡を利用して、コピーの肉体を持つことになった妻は、食堂の突然の閉店によって鏡の向こう側に取り残されてしまい、それ以来ずっと行方不明だったのだ。あれから1年が経過していた。
といっても、コピーの妻がウチにいる。左利きになったのとちょっと若いところがオリジナルとの違いなのだが、これといって不都合なところはないし、妻が入れ替わったなどという話は誰も信じないだろうから放っておいた。
しかし今日、木村がウォーキングから帰ってきたら、自宅の玄関前にオリジナルが立っていたのだ。
先の大戦では、「戦死公報」つまり死亡通知書が家族に届いたのに、出征した兵士本人がその後ひょっこり帰ってきたことがあったらしいが、今回の妻の帰還は木村にとってはまさにそれだった。
いや、かつて「神の端末」を作った異星人は、自分の肉体をコピーして使い分けていたようだから、スマホの複数台持ちと同じだ。木村の場合は、新しいスマホを購入して古い方は廃棄したつもりになっていたのに、古い方が返送されてきたようなものだった。
オリジナルの妻は無表情で、木村に向かって「ただいま」とひとこと言うと、さっさとウチに入っていった。1年もの時間が経っていることに気づいていないようにも見えた。
妻が二人いる生活が始まった。一卵性の双子を同時に妻にしたような気分だ。
意外にもオリジナルとコピーは喧嘩もせず、仲良く暮らしている。同じなのだから当たり前か。大学時代に習った「Zwei Seelen und ein Gedanke, zwei Herzen und ein Schlag」というドイツ語の詩の一節があった。「二つの魂、一つの思考。二つの心臓、一つの鼓動」という意味で、まさにそんな感じだ。
木村は二人の妻をそれぞれ「オリちゃん」「コピちゃん」と呼ぶことにした。ペットみたいだが、オリジナルは右利き、コピーは左利きだから区別はついた。
妻同士は「オリさん」「コピさん」と呼び合っているようだった。
二人の妻は、一方が寝ている間は他方が活動している。1日の半分の12時間ずつ。二階の寝室のベッド横で「あなたは私、私はあなた」と二人で向かい合って「呪文」を唱えて交替する光景は異様だった。
二人の記憶は同期化されているらしかった。生活に不便を感じることはない。
7. 転生食堂
しばらくして気づいたのだが、二人の妻は少しずつ若返っていた。もう40代にしか見えなくなっている。
「おはよう」
この日、木村は10時過ぎに起きてきた。
「あれっ、今日は『オリちゃん』はどうしたの?まだ寝てるのかな。珍しいね」
12時間で交替し、朝からはオリジナルの妻がいるはずなのに、まだコピーの妻が一階でうろうろしている。
「『オリさん』は体調が悪いんだって。二階で寝てる」
「えっ」
木村もさすがに心配になって階上に行ってみる。
「いつの間にこんな!?」
ベッドの上に繭のような巨大な白い物体があった。半透明の表面を通して中が見える。人のような形をしたものが中でヒクヒク動いていた。
60歳を過ぎてから木村と妻は寝室を別にしていた。妻は異常な暑がりで夏の冷房の温度が木村とまったく合わないのだ。それに妻のいびきで眠れないことが多かったし。
だから今回、妻の異変に気づくのが遅れた。とんでもないことが起こりそうな予感にかられたが、どうしようもない。警察や救急車を呼ぶわけにもいかない。木村はそのままにしておいた。
1週間ほど経つと繭が真ん中からパックリ割れて、妻が出てきた。バラバラになった繭の破片は雪が融けるように消える。
しかしそれは全くの別人だった。高校生くらいの年齢にしか見えない、生命力に満ちた若々しい女性。
「二人ともいなくなったら、あなたも困るだろうから、『コピさん』は置いていくわね。じゃあ、元気で」
就職を機に一人暮らしを始めた20代の娘が残していた衣服をスーツケースに詰めて、生まれ変わった妻は颯爽とウチを出ていった。
木村は今まで勘違いしていた。「延命食堂」のトイレにあった鏡は、若返りではなく生まれ変わりの装置だったのだ。「延命食堂」ではなく「転生食堂」だった。
それから程なくして、「しょくどう」が再開した。元の場所に、店主の女性も、手伝っていた家族も以前のままだった。客の入りも上々のようだ。もしかしたら1年前の撤収は、時空間のバグから一時的に避難するためだったのかもしれない。
妻が「再開したんだぁ〜。行ってみようよ」と木村を誘う。
「えっ、コピーの君まで転生するつもりか?」
「あら、『あなたは私、私はあなた』よ。オリジナルもコピーもないわ」
「ちょっと待って。コピーの君がトイレの鏡でコピーを作ったら、右利きに戻って内臓の逆位も正常になる。それはオリジナルってこと?」
(完結)
加筆修正する前の、短編小説『延命食堂 〜長寿をもたらすランチ〜』はこちらです。

