見出し画像

TBSラジオを聴いていて「ん?」となった件〜「正しい答え」という幻想をめぐって〜

カーラジオを聞いていて、妙な話が耳に入った。

「Googleで何か知りたくて検索すると、出てくる"AIによる概要"が日によって違いむす。これじゃあ信頼できないですよね」

この話を聞いて、「え?なに言ってんの?」と思ってしまった。
そもそも、説明が常に変わらないことの方が不自然ではないだろうか。

辞書や百科事典が「正しい答え」を提供するようになったのは、せいぜいここ数百年の話である。それ以前は、知識は人から人へ、その都度少しずつ形を変えながら伝わっていた。

生成AIの答えが日々変化するのは、ある意味で、この本来の知識のあり方に戻っているだけではあるまいか。世界は常に動いている。昨日の説明が今日も通用するとは限らない。

ただ、ラジオの人が「揺らぎ」に不安を感じる気持ちはわからないでもない。

学校教育は「正解は一つ」という前提で組み立てられてきた。テストには○×があり、成績がつけられる。この仕組みは、効率的に知識を伝達し、評価するためには便利だった。だからついつい我々はAIにも揺るぎない「正解」を求めてしまう。

超人的な能力を発揮する存在なら瞬時に「正解」を教えてくれるに違いないという期待を抱いてしまうのだ。でもこれは「幻想」である。世界はそれほど単純ではない。

実際の世界では、ほとんどの問題に「唯一の正解」などない。経済政策にしても、教育方法にしても、複数の見方があり、それぞれに一理ある。状況が変われば、適切な答えも変わる。

生成AIが示しているのは、この当たり前の事実である。

同じ質問に対して、異なる文脈では異なる答えが返ってくる。それは欠陥ではなく、むしろ知識の本質を反映している。知識とは、固定された「もの」ではなく、常に更新され続ける「プロセス」なのだ。

興味深いのは、我々がこの変化に違和感を覚えることである。それは、近代以降の教育や出版文化が、いかに「固定された知識」という幻想を我々に植え付けてきたかを示している。

科学の歴史を見れば明らかなように、「絶対的真理」と思われていたものが、後に覆されることは珍しくない。ニュートン力学は相対性理論に、天動説は地動説に取って代わられた。知識は常に暫定的である。

生成AIとの付き合い方も、この観点から考え直す必要がある。

それは「正解を教えてくれる機械」ではない。むしろ、その時点での「ありうる説明の一つ」を提示する対話相手である。答えが変わることを欠点と見るのではなく、複数の視点から物事を見る機会として捉えることができれば、我々の思考はより豊かになる。

問題は、生成AIが揺らぐことではない。むしろ、我々が「揺らがない答え」に慣れすぎていることの方なのだ。


※ChatGPTのボイスモードによる対話をもとに、ClaudeやGeminiに草稿を持ち込み、推敲を重ねてできた原稿に手を入れて書きました。


いいなと思ったら応援しよう!