【2026帰省記】やっと会えた。大切な人との再会
いま日本に帰省している。ようやく10日を過ぎ落ち着いたところで、叔母との再会を振り返りこの記事を書いている。
今回はアメリカ出発前日に、やむ終えず日本行きを一旦キャンセルした。申請中のグリーンカード更新に結果が出たためだった。
なんというタイミングか。本来なら夫とジャンプしてビッグハグで祝いたい出来事なのに、悲しくもまったくだった。出発を遅らせなければならない事態にヤキモキが喜びを帳消しにした。
新しいカードが届くまで国外へ出ないように、との通知は、一日も早く出発したかった私には残酷だったのだ。
申請承認の通知から2週間、ようやくカードが届いた。準備が整った私は翌々日の航空券を予約し直し日本に帰ってきた。
2日後、母を連れ北陸新幹線に乗り関西に向かった。以前は特急一本で行けた大阪は、敦賀まで北陸新幹線が開通して以来、敦賀で乗り換えとなった。ややこしくて、妙に焦らせる乗り換えは母を消極的にさせていたので、私が一緒で母は安心していた。
大阪に到着し、そのまま病院の最寄り駅まで電車に乗り継ぎ移動。改札では従姉妹が出迎えてくれた。車内では時間を埋めるように話し続け、ようやく叔母の病院に着いた。
やっと来れたね。おばちゃんに会えるね。
姉の、叔母の、手を握ってお礼を伝える。何ヶ月も思い続けた母と私の願いが叶った。うれしかった。でも同時に、現実を目の当たりにして涙が出た。
もともと認知症があり足も弱っていた叔母が、昨年小脳出血で倒れ寝たきりになり、先月から大きな声を出すようになっていた。
眉間にシワを寄せて力強くなんどもうなる。手足も硬直していて動かない。触ると痛いのか声をあげることもあると聴いた。両手で叔母の手を包みたかったが、負担を考えて手を握ることは諦めた。代わりに手の甲を静かに触ってみた。
「なんとか頑張って!お母さん(叔母の妹)連れて会いに行くから頑張ってね。」 と祈り続けてやっと会えたのに複雑な気持ちだった。
「おばちゃん、来たよ。二人で来たよ!」
母と一緒に、なんども声を掛けた。閉じたままの目が、眠くてうつらうつらとした時のように一瞬開いたように見えた時もあった。脳のダメージで叔母がどれだけ理解していたかわからない。認識できていなかったかもしれない。だけど、なんどか声掛けの後、確かにうっすらと目を見開いた。
つらそうなんだけど、おもしろいこともあった。もともと叔母はおしゃべり好きで滑稽な人。漫才みたいな叔母らしく私たちを笑わせてくれた。
目もほとんど閉じたままで、認知症もあって認識もままならないのに、時々私たちが言うことにうなずいたのだ。
「あら〜、ピンクの薔薇のパジャマ似合うね〜」
...うなずく。
「色白でキメも細かい。92とは思えん美肌やね〜」
...うなずく。
「ありがとうね。お金いっぱい使わせたね。」と母。
...うなずいた!😂笑
作り話のような、ほんとうの話。頭を上下に動かしたから3人で驚いた。下手なこと言えんぞ、と小さな声で言い合い目配せをした。
この日、私と母は2回見舞うことができた。制限時間をめいいっぱい叔母と過ごし、従姉妹の自宅でゆっくりしてから夕食前にもう一度寄った。
面会2回目では、叔母は静かに眠っていた。最初の面会時、叔母はだいぶん大きな声を出してうなっていたので、たぶん休ませてくれてるんだろうと従姉妹が言った。
「また来たよ〜おはよう」と言った従姉妹に、叔母が「おはよう」と返し驚いた。時々正気になるらしい。
あとの反応は鈍かったけれど、叔母は時々目を開けてくれた。黒目が少しだけ見えた。話すと、またうなずく時もあった。母は涙をこらえて声を掛け続けた。
13人もいた兄弟(母は14番目)のなかで、いちばん仲の良かった姉だ。母のつらい人生の局面で、叔母はいつも助けてくれたらしい。経済的にも精神的にも力になってくれた恩を、きっと母は思い出しながら話していたと思う。
そろそろ離れなければならない時、従姉妹が私たち3人の写真を撮ると言った。すると、叔母は目を開けたのだ。
「ちょっと見て!すごい!すごい!」従姉妹はあり得ない様子で連写しながら写真を撮ってくれた。何秒だっただろうか。写真の叔母は確かに目を開けていた。
叔母はほんとうに生命力があると思う。あの歳で大病をして、医師が覚悟してくださいと告げてから半年以上、様子が変わりながらもまだ頑張っている。
いつどうなるかと言われながら、母と私は叔母と再会できたのだから。叔母の頑張りに心から感謝した。ありがとう。
お読みいただきありがとうございます。
