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昭和を旅する①ーーー 正統派ナポリタン道 「マスター、ナポリタンでいいや」

昭和のナポリタンは、赤かった。
思い出すと、まず色が浮かぶ。トマトの赤ではない。もっとべったりした、ケチャップの赤である。少しオレンジがかった、子どもの目にはやけに明るい色だった。

初めて食べたのは、小学校2、3年生の誕生日だった。どこでその名を知ったのかは覚えていない。ただ、どうしても食べたくて、昭和一桁生まれの母に作ってもらった。

出てきたのは、ケチャップがたっぷり入った、かなりべとべとのスパゲッティだった。母も本物を知らない。私も知らない。それでも、その名前の先には外国の匂いがあった。

口のまわりを赤くしながら食べた。たしか紅茶もついていた。誕生日の食卓に、赤いスパゲッティと紅茶。いま思えば妙な組み合わせだが、そのときは少し大人になったような気がした。

やがて町の喫茶店やレストランにも、ナポリタンが並ぶようになった。銀の皿に盛られたオレンジ色のスパゲッティ。具は玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム。上には数粒のグリーンピース。昭和の子どもには、それがまぶしかった。

本場のパスタを知ったいまでも、ナポリタンは別の食べ物だと思っている。イタリア料理の代用品ではない。日本の昭和が勝手に作り、自分のものにしてしまった洋食である。
だから今でも、ときどき無性に食べたくなる。

ところが、昨今、正統派ナポリタンは、なかなか姿を現さない。ヤンバルクイナ、トキ、ニホンカワウソ、ナポリタン。もはや絶滅危惧種である。
そこで路地裏の古い喫茶店を探して歩く。正統派ナポリタン道を極めるためだ。

入口にガラスケース入りの食品サンプルがあれば、まず匂う。蝋細工の銀皿に、少し色の褪せたナポリタン。フォークに巻きついた麺が、不自然に空中で止まっていてもいい。グリーンピースがひとつ、皿の端に転がっていれば、なお正しい。
メニューには「パスタ」ではなく「スパゲッティ」と書いてあってほしい。はっきり「スパゲッティ・ナポリタン」とあれば、その店はパスタ軍に宣戦布告している。

扉は自動ドアではいけない。手で押すと、カランカランとカウベルが鳴る。店内は明るすぎず、ソファは少しへたり、座ると体がわずかに沈む。壁ぎわにはピンク色のダイヤル式電話。使えるかどうかは問題ではない。そこにあることが重要なのだ。
テーブルはできればガラスで、その下にインベーダーゲームの名残があれば100点である。脚が入りにくくて実に不便だが、それもいい。
席についたら、いちおうメニューを見る。ここで、いきなりナポリタンを頼んではならない。最初からそれを食べに来たことが、マスターに見抜かれてしまう。それでは負けである。
ハムサンド、ドライカレー、ミルクセーキ、クリームソーダ。昭和のレギュラー陣を眺め、その隅で黙々とバットの握りを確かめている「スパゲッティ・ナポリタン」に、最後に目を留める。
もちろん、入口の食品サンプルを見た時点で心は決まっている。だが、それを顔に出してはいけない。社会には、見抜かれてはならない一面というものがある。
やや投げやりに、こう言うのだ。

「マスター、ナポリタンでいいや」

少し失礼な言い方である。
だが、「ナポリタンが食べたくて、わざわざこの店に入りました」などと見抜かれれば、こちらの無条件降伏である。
もっとも、マスターは最初から感づいている。喫茶店道40年。扉のカウベルが鳴り、客の顔と視線を見ればわかる。
「あっ、来たな。あいつ、間違いなくナポラーだ」
それでも互いに知らないふりをする。
そこに昭和の阿吽の呼吸がある。

静々と運ばれてくる皿は、銀でなければならない。陶器の白い皿では、味が上品になりすぎる。フォークが金属皿に当たり、カシャカシャ、キキッと鳴る。耳には優しくない。だが、その音を避けては通れないところにナポリタンはいる。


タバスコは赤い瓶。粉チーズは緑の紙筒。洒落た器ではいけない。赤い瓶と緑の紙筒。ガラスと紙のしのぎ合い。
ここに昭和の洋食の緊張感がある。
いい気になって振りすぎれば、タバスコでもむせる。粉チーズでもむせる。「むせるまで全部がナポリタン」という流派もあるらしい。
最後は紙ナプキンで締める。白い紙で口を拭く。赤い跡がつく。まだ赤い。もう一枚取る。そこでようやく、ナポリタンを食べたという事実が完成する。
スマホは開かない。写真も撮らない。評論もしない。
少し暗い喫茶店で、赤いスパゲッティを食べる。タバスコでむせ、粉チーズでむせ、紙ナプキンを赤くする。
それでいい。
それが、昭和のナポリタンなのである。



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