第29話:しおりとさつまいもの甘さ
■2026年7月28日。
朝、ハローワークへ向かう電車の中で、彼はいつものように市場の状況を確認した。米国の半導体関連の収益性懸念が引き金となり、日経平均は今日も見事に崩れている。思わず自分の保有株をチェックするが、こちらは総じて無風。上澄みだけが勝手に暴れて沈む、この光景は何度目だろう。ここ数か月、三日に一度は見ている気がする。
彼が気にしているのは、むしろ“暴れん坊”以外の株がじわじわ値を戻してきていることだ。 本来の実力に見合った評価へ戻りつつあるのか、それとも逃げ場として資金が流れ込んでいるだけなのか。前者なら買い場、後者なら高値掴み。今日のところは、判断を保留するしかない。
10時頃、ハローワークに到着した。ワイシャツにスラックスも考えたが、暑くなりそうな天気と「無職なんだし」という自己申告により、Tシャツに綿パンで来た。結果的に正解だった。年齢層は幅広いが、半パン姿も多く、会社員らしい服装の人はほとんどいない。
受付で離職票を見せると「求職申込書」への記入を求められる。鉛筆と消しゴムを受け取り、机に向かう。希望職種は一応「経理」。資格欄には「FP1級、CFP、宅建士」と記入した。簿記2級も書いておくべきだったか、と少し迷う。
記入を終えて受付に戻ると「相談コーナー」に案内される。番号を呼ばれ、透明のプラスチック板越しに初老の男性と向かい合う。温和な雰囲気の方で、今後の相談もここで行うらしい。
「60歳以上の事務仕事は倍率が高いんですよね」 担当者がぼそっと言う。 「はい、その辺は十分理解しています」 彼は神妙に答えた。 しかし申込書には「希望月収70万円」。
“こいつ何にも理解していない”と思われたに違いない。それでも担当者は終始笑顔で説明を続け、ハローワーク受付票とアカウントコードを渡してくれた。
続いて失業給付コーナーへ。
離職票に銀行口座を記入し、働いていないことの確認書類にサインする。隣には長い列。これが今後、失業手当を受け取るために並ぶことになる列なのだろう。
順番が来て、今度は若い女性が担当だった。マイナンバーカードで本人確認、離職理由の確認、振込口座のチェックと、てきぱき進む。最後に今後のスケジュール説明。
8月10日:説明会 8月25日:初回認定日 自己都合なので支給は9月15日から。9月4日〜14日の11日分が最初の支給となる。 その間に求職活動が1回必要で、以降は4週間ごとに2回以上。
少し面白かったのは、担当者が彼を「お客様」と呼ぶことだった。色々な事情の人が来る場所だから、最も無難な呼称なのだろう。
最後に「雇用保険受給資格者のしおり」を受け取る。
A5サイズの少し厚めの冊子は、見た目だけは“修学旅行のしおり”に似ている。中身はさして楽しそうではない。
「まずは9月14日までに1回の求職活動。さて、何をしようか……」
■「CFPⓇ」試験突破!
通勤の往復はLECのテキスト動画。家では「精選過去問」と模擬試験を何度も解き直した。手を焼いたのは「相続」の親族図と、「金融」の外貨建て商品。親族図は昔のサスペンスドラマのように養子が入り乱れ、外貨建てはどうにも馴染めず、リアルで見かけても絶対に手を出さないと誓った。
この二科目は「50問中30問以上取れれば合格できる」と割り切った。
2025年11月9日、試験1日目は「金融」と「不動産」。感触は良い。翌日の自己採点でも合格ラインを突破していた。 11月16日、試験2日目は「タックス」と「相続」。タックスは余裕を持って終えられた。「あと1科目……」。前回の相続の合格点は24点。半分以下だが、彼はそこにも届かなかった。今回も苦戦したが、何となく手応えはあった。
翌日発表された解答で確認すると「相続」は31点。合格はほぼ確実。あとは12月17日の正式発表を待つだけだった。
その後、彼はLEC通信講座の「ライフ」と「リスク」を復習も兼ねて学び始めた。FP1級の頃は“物知り博士”のような勉強だった気がする。
しかしCFPの学習を通じて、FPという職業が実務として成立することを実感した。
金融分野については、外貨建てこそ匙を投げたが、自分の生活で大きく欠落していた部分が見えてきた。「CFPⓇ」を名乗る以上、自分で経験しないことには語れない。
彼は投資による資産形成を意識的に始めてみようと思った。
そしてその前に、少し寄り道をすることも考え始めていた。
ただ、12月17日の合格発表後、すぐに登録すれば「CFPⓇ」になれると思っていた彼には、もう一段大きなハードルが残っていたのである……。
■24日目の彼女。
ハローワークの帰り、彼は彼女へのプレゼントを買いにペットショップへ寄った。噛みたくて仕方ない彼女のために選んだのは「歯磨きおもちゃ」。同じシリーズの「ベーコンフレーバー」は既にお気に入りで、今回は「さつまいもフレーバー」を購入した。
帰宅して目が合うが、昨日と同じくあまり喜んでいる様子ではない。妻と娘が帰宅するとそわそわし、ゲージに近づくと二本足で立って尻尾を振る。息子の帰宅時はさらに格別。「ただいま」の声が聞こえた瞬間、直立不動のお座り姿勢で待ち構え、よしよしされるまでその姿勢をキープする。
出掛けるたびに長く吠えられるよりはましか……と彼は思う。
とりあえずお土産を渡すと、凄まじい食いつきだった。「さつまいもフレーバー」の威力は想像以上。犬は“野菜由来のほっこりした甘さ”を好むらしく、さつまいもはその代表格だという。
今回はフレーバーだけだが、いつか大きくなった彼女に本物の「さつまいも味」のおやつを食べさせてあげたい。
そういえば彼の妻も焼き芋が大好きだ。

