見出し画像

預言者の死――誰が後を継ぐのかアサシンへの旅③


預言者の死


632年。
アラビア半島のメディナ。

その日、人々は深い悲しみと混乱の中にいました。
預言者ムハンマドが亡くなったのです。

ムハンマドは一人の商人から始まり、イスラム教という新しい共同体を築き上げました。

迫害を受けながらも信念を曲げず、多くの人々を導いてきました。

そんな人物が突然いなくなったのです。

人々が動揺するのも無理はありませんでした。

「ムハンマドは死んでいない」

ムハンマドの死を受け入れられない人もいました。

後に第二代カリフとなるウマルも、その一人だったと伝えられています。

彼は人々の前でこう叫びました。
「ムハンマドは死んでいない。主のもとへ行かれただけだ。」

さらに、
「ムハンマドが死んだと言う者がいれば斬る。」
とまで語ったとされています。

それほどまでに、ムハンマドの存在は大きかったのです。

人々は悲しみのあまり、現実を受け止められませんでした。

アブー・バクルの言葉


そんな中、一人の男が立ち上がります。
アブー・バクルです。

彼はムハンマドの古くからの友人であり、最初期からの信者でもありました。

アブー・バクルは人々に向かって静かに語ります。
「ムハンマドを崇拝していた者は知りなさい。ムハンマドは死んだ。」

人々は息をのみました。
しかし彼は続けます。

「しかし、アッラーを崇拝する者は知りなさい。アッラーは永遠に生きておられる。」

人々はようやく現実を受け入れ始めました。
預言者は亡くなった。

しかし神は生きている。
そして共同体も続いていかなければならない。

新たな問題



ところが、ここで大きな問題が浮上します。
「では、誰が共同体を導くのか?」

ムハンマドは最後の預言者と考えられていました。
つまり、新たな預言者は現れません。

しかし、共同体には指導者が必要です。
しかも当時のイスラム共同体は、まだ生まれて間もない若い組織でした。

ここで分裂すれば、すべてが崩れてしまうかもしれません。
人々は急いで結論を出さなければなりませんでした。


最も信頼されていた男



有力な候補の一人がアブー・バクルでした。
彼はムハンマドと長年苦楽を共にしてきた人物です。
迫害の時代も支え続けました。

多くの人々は考えました。
「今必要なのは、共同体を安定させることだ。」
その結果、アブー・バクルが共同体の指導者に選ばれます。
彼は後に、初代カリフと呼ばれるようになります。

※カリフとは、ムハンマドの後を継いで共同体を率いる指導者のことです。ただし、預言者ではありません。

もう一人の候補



しかし、全員が納得していたわけではありませんでした。

ある人々は別の名前を思い浮かべていました。
アリーです。

アリーはムハンマドのいとこであり、娘ファーティマの夫でもありました。

つまり家族です。
しかも幼い頃からムハンマドのそばで育ち、多くの戦いで活躍した人物でもありました。

そのため、
「預言者に最も近かったのはアリーではないか。」
と考える人々もいたのです。

この時、人々はまだ知らなかった
今から振り返れば、この時の議論は歴史の大きな分岐点でした。

しかし、その場にいた人々は知りません。

この後継者問題が、
スンナ派
シーア派

という大きな流れを生み出すことを。

さらに数百年後、
イスマーイール派
ニザール派
が誕生し、
そしてハサン・サッバーフが現れることを。

アサシンの物語は、実はこの瞬間から始まっていたのです。

次回予告



アブー・バクルが指導者となりました。

しかし、
「本当にアリーこそ後継者だったのではないか」
という思いは消えませんでした。

やがて、その思いは大きな歴史の流れとなっていきます。

次回、
「アリーとは何者だったのか――シーア派が敬愛する男」。


#イスラム教
#イスラム史
#ムハンマド
#アリー
#スンナ派
#シーア派
#世界史
#中東史
#歴史
#アサシン

いいなと思ったら応援しよう!