文章についてわたしが思うこと
嬉しいことに、最近ちょくちょく文章を褒められる機会がある。高校時代の友人やnoteを通じて知り合った友人。知ってる人に読まれるのが恥ずかしいという人もいるかもしれないが、自分は全然気にならない上にどんどん読んで欲しいと思っている。案外恥知らずなのかもしれない。
文豪でもなんでもないので大して上手くないだろうという方ごめんなさい。上手く書くコツではなくわたしが気をつけている点を書き綴るだけです。
まず読書好きな方にとって文章には好み、いわゆる好きな文体があるのが大前提だと思う。そこは置いといて、一番大事なのは当たり前だが「読みやすさ」だと断言する。だって読みにくい文章って内容面白くても最後まで読めないもの。読みやすさ、そこには「流れ」がある。文章に書かれていない背景にある天の川のような、波のようなもの。その部分をわたしは一番意識している。
先日他の方の文章を読んでいて感じたのは、接続語があまりないんだという驚き。〇〇です。〇〇について話します。の間に何も繋ぎがないのでこの先に何について書いてあるのか説明がないと流れが入ってこない。小学生の子ども達の作文は大体これなので、接続語は難しいのかもしれない。
一方で接続語だけあれば良いという話でもなく、背景の流れが作られていないと先が読めない文章になってしまう。先が読めるというのは展開を予想できる、イコール読みやすさだと個人的に思う。逆に言えば、この流れを作っておけば次に突拍子もない展開が待ち受けていても違和感なく読める。こういった予想外の展開を、読書好きな友人は「飛躍」と呼ぶ。飛躍があるから、エッセイは面白い。小説にはない味わいとのこと。新しい発見だった。
わたしの文章はどうやら「飛躍」しているらしい。そして共感を求めてないとのこと。確かに。共感って求めたことないな。わたしは心地良い音楽を聴くような感じでこの文章を楽しんでほしい。閉じたら忘れちゃうくらいくだらないことを真剣に、これからも書いていきたい。
