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久しぶりにピアノを弾いてみた

といってもはるか昔弾いた曲を鍵盤でなぞる程度。すっかり忘れてしまった指先の記憶は既に頼りにならず、第一楽章もままならず左手は諦めた。何十年ぶりかに楽譜を引っ張り出した。スマホで簡単に手に入る時代だ。フラットの多さに辟易しながらも、メロディラインだけでもと指を動かす。当たり前だが全く弾けない。それでも自らの指が奏る音楽にもならない何かに、こんなにも心を動かされたのは驚きだった。

海外生活が長く移動も多いので、新しもの好きだと思わることもあるが、元来保守的な人間だ。食事には白いご飯と味噌汁があれば満足するし、服装はベーシックな黒、グレー、白に紺などが基本だ。髪だって高校を卒業してからはずっと染めていない。たくさん習い事をしたこともない。年長になった年、一つ上の兄が習い始めるタイミングで習字とピアノを始めた。習字は教師だった祖母の友人、ピアノは母の友人が教えていた。小学四年生でバスケットボールを初めてから、習字には徐々に足が遠のきピアノはほとんど練習をしないままレッスンに行くようになり、その気まずさに耐えきれず、自然消滅したカップルのようにわたしはその場を離れた。ブルグミューラーも終わらなかった。中途半なレベルに記憶された指先だけが残り、それはずっとパソコンを叩いたり、料理や掃除や、愛する人々を愛でるためだけに使われるようになった。

音楽が大好きな人間でもない。友人や恋人や夫に誘われた以外で自らコンサートに足を運んだことはない。それでも限られた曲の中で、音楽を演奏する喜びは何物にも変えがたかった。こんな喜びをわたしはかつて感じていたのだろうか。自らの身体を動かすことで生まれる表現を、子供時代のわたしは気づかずうちにずっと習慣にしていたようだ。スポーツだって下手ながら、自らプレーする方がよっぽど楽しい。スポーツ観戦はワールドカップや地元のチームを応援がてら観戦にも行くが、心に浮かぶのは自分がプレーをする姿だ。

それなのに、文章だけはどうしてずっと観賞専門だったのだろう。勝手に聖域に近い存在に祭り上げ、自ら書くことを禁じていた時代が長くあった。新しく書かれた小説より、三十年以上経った本のみ読んでいた時代もあった。それでもベルギーに来て、やっとのことで初めてを書き出すことができた。自らの指が奏る楽譜のない紙面に流れる出来損ないの音楽のような文字の羅列を、わたしは痛烈に求めていたのかもしれない。

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