『急に具合が悪くなる』を読んで——正しい地図など無くても
あのとき、別の道を選んでいたら。
そんなふうに振り返ったことが、きっと誰にでもあると思います。
この本を読み終えて、最初に浮かんだのが、その問いでした。
ガンの多発転移を抱えた哲学者の宮野真生子さんが、人類学者の磯野真穂さんに「急に具合が悪くなるかもしれません」と告げるところから、二人の往復書簡がはじまります。
この本で交わされる言葉が、驚くほど遠くまで私たちを連れていきます。
答え合わせのできない旅
病気になると、未来を数字で意識するようになります。
「この治療をするなら何割…しなければ何割…」というように。
数字が並ぶほど、人は普通に生きていけるルートを守ろうとして、今日を少しずつ差し出していく。
本のなかには、心臓の不調を告げられてから、お酒も、遠出も、愛犬との散歩も、一つずつ手放していった人が出てきます。
数字で危険を避けるほどに、生きている時間そのものが痩せ細っていく。
これは病気の人だけの話ではないと思いました。
私たちは、分かれ道の前でいつも同じことを考えます。
正しいほうを選びたい。
間違えたくない。
けれど、どちらが正解だったのかは、進んだあとにも決してわからない。
選ばなかった道の景色は、永遠に見られないからです。
答え合わせのできない旅でも、私たちは歩き続けるしかない。
不運は点、不幸は線
宮野さんは、その旅の途中でこう書きます。
「不運ではあるが、不幸ではない」と。
この言葉を受けて、磯野さんは不運と不幸を点と線に分けます。
起きてしまった出来事そのものは、ただの点です。
それが不幸になるのは、過去と未来に線が引かれ、「私はこういう人生の人間なのだ」という物語に自分がはめ込まれたとき。
宮野さんのお父さんは、自分の胃ガンがわかったあと、娘である宮野さんに「うちはガン家系なんや、ごめんな」と言ったそうです。
医学的には遺伝性を否定されているのに、二人の病を一本の線でつなぎ、そこに収まっていくうちに、ガン患者以外の顔を失っていった。
だから宮野さんは、線を拒みます。
日々「なんでやねん」と怒りながら、もがき続けます。
もがいているということは、まだ自分の人生を手放していないということだ、と。
ここを読んだとき、思い浮かんだ顔がいくつもありました。
ハピネスで出会う若者たちの中には、周りの大人たちによって、自分を説明するための線がすでにひかれていることがあります。
そしていつのまにか本人までがその線に自分をはめ込んで、「どうせ自分、こういう人間なんで」と笑ってみせる。
でも、目の前にいるのは、まだ何ひとつ決まっていない、今日という一日を生きている人です。
線を引き直してあげることが仕事なのではなくて、線そのものをいったん外すこと。
「なんでやねん」と怒れること、もがけることを、取り上げないこと。
たぶん私たちの仕事は、そこから始まります。
「お大事に」が使えなくなる
もう一つ、この本の芯にあるのが、二人の関係そのものです。
病が進むにつれて、「早くよくなるといいね」も「お大事に」も「無理しないでね」も、一つずつ使えなくなっていきます。
言えば嘘になり、黙れば遠くなる。
互いに気遣うほど言葉は硬くなり、二人のあいだから「遊び」が消えていく。
磯野さんが鞄を持とうかと先回りしたとき、宮野さんはむしろ困惑した、と書いています。
あらかじめ用意された「正しい接し方」を届けられるより、その都度、いま目の前で「どうしようか」と聞かれるほうがいい。
そこには、患者という役をあてがわれずに済む時間がある。
決められた点と点を線でつなぐのではなく、一緒に歩いた足跡が、そのまま道になっていく。
「支援」という言葉をときどき硬く感じるのは、もしかすると、先回りしすぎるからかもしれません。
正しい接し方を鞄に詰めて持っていくのではなく、その場で一緒に迷う。
ハピネスがそういう場所でありたいと、あらためて思いました。
心の奥の底の方で
私は、二人のような関係に憧れます。
恋愛とは違うかもしれない、でも友情よりもっと深いかもしれない。
そうした名前の付いた関係でなくても、心の奥の底の方、細い糸が一本だけでいいからつながっていればいい。
そんな関係を、私は仕事で、あるいはプライベートで築けるだろうか。
たぶん、事前に築けるかどうか確かめる方法は、ないのだと思います。
二人も「なぜこの人だったのか」を説明できません。
誕生日が一日違い、同い年、どちらも左利き、姓と名が一文字ずつ重なる——理由を並べても、最後には説明のつかない偶然が残る。
宮野さんが二十年かけて研究してきたのは、まさにその、根拠のなさでした。
そして最後に二人が選んだのは、その根拠のない場所で、それでも約束すること。
わからない未来に向かって、先に態度を決める。
それは賭けであり、冒険でした。
正しい地図など無くても
私たちは誰一人、自分の意志で生まれてきたわけではありません。
気がついたら見知らぬ場所に立たされていて、正しい地図を持っている人など一人もいません。
それでも足は止められない。
たとえ迷った道だとしても、足跡は残る。
だとしたら。
その頼りない足跡こそが、誰かに届く信号なのだと思うのです。
うまくやれた話ではなく、迷ったまま進んだ話のほうが、遠くにいる誰かの夜を照らすことがある。
この本が、まさにそうでした。
同じ地平に、今日もたくさんの人が立っている。
診断名を持つ人、その人を想いながらかける言葉がみつからない人、名前のつかないしんどさを抱えたまま朝を迎える人。
誰もが正解を知らないまま、それでも今日歩く道を選びとって歩き出す。
そのことが、どうしようもなく愛おしい。
正しい地図など無い。
迷子になったっていい。
心の奥の底の方、細い糸が一本だけ、誰かとつながっていたらいい。
…つながっているかいないか、今の私にはわからないけれど。
それでも歩き続けようぜ。
足跡を残してやろうぜ。
生ききってやろうぜ。

登場人物も舞台も違うけれど、この映画の底を流れているのは原作と同じ世界観。
3時間以上の上映時間ですが、「もっと見ていたい」と思える宝物のような作品です。

📖 今回の本:『急に具合が悪くなる』
(宮野真生子・磯野真穂/2019年/晶文社)
https://www.shobunsha.co.jp/?p=5493
book and happiness.
この連載では、ハピネスのスタッフが社会課題やまちづくりにまつわる本を紹介しています。
ご紹介した本は、まちライブラリーカフェ「and happiness.」(京都市南区)の棚に並び、借りていただくことが出来ます。
ふらりと立ち寄って、手に取ってみてくださいね。
