『残夢』4 夢の終焉②
ジョージマの帰還
月見町の夜は、霧が深く街を覆い、路地の街灯がぼんやりと滲んでいた。アヤネは、キョーコに支えられながら月見町の古い神社からアパートに戻った。神社での出来事――キョーコがライターでジョージマのノートを燃やそうとしたこと、渦巻き模様の石碑が脈打つ幻影――が頭から離れない。焦げたノートの破片が鞄の中で重く、耳の奥では「頂点を目指せ」という声が低く響く。アヤネはソファに座り、震えながらキョーコの言葉を思い出した。「渦は、ジョージマをあの世に引きずる螺旋階段だ」。だが、彼女自身の夢――アイドルとして輝く幻想――もまた、渦に絡め取られている気がした。
ドアの鍵がガチャリと音を立て、ジョージマが帰ってきた。アヤネの心臓が跳ねる。彼は部屋に入り、スキンヘッドに霧の湿気が光り、眉のない顔が青白く浮かんでいた。背中のドラゴンのトライバルタトゥーが、破れたシャツから覗く。だが、その目はまるで別人のものだった。血走り、虚ろで、どこかこの世のものではない光を宿している。彼は手に錆びついたナイフを握り、刃に渦巻き模様が粗く刻まれている。「アヤネ、頂点はもうすぐだ。一緒に来いよ」。彼の声は低く、まるで渦の底から響くようだった。笑顔は歪み、かつてのバンドマンとしての情熱は完全に消え、狂気だけが残っている。
アヤネはソファから立ち上がり、一歩後ずさった。「ジョージマ…あんた、どこ行ってたの? そのナイフ、何!?」。彼女の声は恐怖と苛立ちに震え、ジョージマとの過去――音楽で頂点を夢見た日々が脳裏をよぎる。彼はヒモとして彼女に依存し、ビールの空き缶とタバコの吸い殻を部屋に撒き散らしてきた。だが、今の彼はそれさえ超えた何かだ。ジョージマはナイフを振り、壁の渦巻き模様をなぞった。「渦が教えてくれた。頂点はここだ。アヤネ、お前も選ばれてる。俺と一緒に、あの世のステージへ」。彼の言葉に、アヤネの背筋が凍った。ナイフの刃が蛍光灯に反射し、渦巻きが揺らめく。
「やめてよ! こんなの…あんたの夢じゃない!」。アヤネは叫び、鞄から焦げたノートの破片を投げつけた。紙がジョージマの顔に当たり、床に散らばる。彼は笑い声を上げ、ナイフを握りしめた。「夢? ハハ、お前も聞こえるだろ、渦の声。頂点はあの世にあるんだよ!」。彼が一歩近づく。アヤネは恐怖に駆られ、ドアへ向かって走った。背後で、ジョージマの笑い声が渦のようにうねる。彼女は階段を駆け下り、月見町の霧深い路地へ飛び出した。耳の奥で、低い声が響く。「頂点を目指せ」。それはジョージマの声か、彼女の夢の残響か。
アヤネはキョーコに電話をかけた。声が震え、息が切れる。「キョーコ、ジョージマが…ナイフ持って帰ってきた! やばいよ、助けて!」。キョーコの声が即座に返ってくる。「アヤネ、落ち着け! キムラと一緒に今すぐそっち行く! 『コア』に逃げな、ジョージマ絶対そこに来る!」。アヤネは霧の中を走り、ライブハウス「コア」へ向かった。背後で、ジョージマの足音が追いかけてくる気がした。霧の奥で、黒い煙が螺旋階段のように天へ昇る幻影が揺らめく。アヤネの心は、渦の誘いと、ジョージマを失う恐怖に引き裂かれていた。
