見出し画像

ガチ恋じゃないファンでも、推しの結婚について「がっかり」してしまう理由

これは、今話題になっている誰かの話ではない。

ずっと前、推していたアイドルが結婚したとき、私はかなりショックを受けてそのままファンを降りた。当時は散々、「結局ガチ恋だったからでしょ」と言われた。

でも、どうしても違うと心の中では思っていた。かといって、何がそんなに悲しかったのか、うまく説明できなかった事がずっと心に残っていた。

随分時間が経った今、ようやく少しわかった気がするので、書いておこうと思う。

改めて、私は推しと結婚したかったわけではない。

推しが夢を叶えて、心の底から「幸せです」と言っている場所に、私も客としていたかったのだ。

ただ、それだけだった。

私が好きだったのは、推しが見せてくれた夢

推し始めた頃、その人には大きな夢があった。

もっと大きな存在になりたい。界隈を越えて多くの人に知ってほしい。もっと大きなステージに立ちたい。いつかドームツアーをしたい…。

そういう未来を話していた。私は、その夢が好きだった。夢を語る推しが好きだったし、そこへ向かって日々努力する姿が好きだった。

今振り返ると、その人が見せてくれた未来に恋をしていたのだと思う。
だから応援した。ライブに行った。CDを買った。人に勧めた。遠征した。

もちろん、私一人の力なんてほんのわずかだ。それでも、少しでもその夢が叶うための力になりたかった。

その人がいつか本当に夢だった場所に立ったとき、「ここまで来られて、心の底から幸せです」と言う。その場所に、私も客席の一人としていたかった。

何万人のうちの一人でいい。推しから私の顔なんて見えなくてもいい。

でも、「私もほんの少しだけ、この景色を作る力になれたのかもしれない」と思いたかった。そして、「夢が叶ってよかったね」と笑顔でいたかった。

それが、私の見ていた夢だった。

推すということは、自分の時間を預けること

アイドルがビジネスだということくらい、もちろんわかっている。でも、普通の商品を買うこととは少し違うと思う。

推し活で使うものは、お金だけではないからだ。むしろ一番大きいのは、時間だと思う。ライブに行く時間。曲を聴く時間。出演しているものを見る時間。遠征する時間。今日どうだったんだろう、と気にする時間。次はどこまで行けるだろう、と楽しみにする時間。

一年応援すれば、自分の人生の一年にその人がいる。

五年応援すれば、自分の人生の五年間にその人がいる。

そして、その時間を使えるのは一度きりだ。だから私は、推すということを、どこかで「この人が見せてくれた未来に、自分の時間と期待を預けること」だと思っている。

もっと大きくなりたい。ここへ行きたい。こんな景色を見たい。

そう言う人に、「その未来には、私の時間を使うだけの価値がある」と、本気で思っていた。

だから応援していた。

「夢を売る」ということ

アイドルはよく「夢を売る仕事」だと言われる。私はこの言葉を、昔はもっとふわっとした意味で捉えていた。

キラキラした姿を見せること。非日常を提供すること。憧れを作ること。

でも今は、少し違う意味にも思える。

夢を売るというのは、「この未来には、あなたが時間を預けるだけの価値があります」と信じさせることでもあるのではないか。

「いつかここへ行きたい」と言う。「みんなと一緒に、この景色を見たい」と言う。

だからファンも、その未来に価値があると信じて、その人の成功を自分のことのように喜ぶ。

もちろん、ファンは社員でも株主でもない。夢が叶ったからといって、何かを返してもらえるわけでもない。

それでも応援するのは、アイドルのその「夢」そのものに価値を感じているからだ。
私も、「推しの夢」にその価値を信じていた。推し本人というより、推しが「その夢に近づこうとしている姿」「努力している姿」を推していたのだと、今になって思う。

そして何より、推し本人が誰よりもその夢の価値を信じていると思ってやまなかった。

結婚報告があって私はわからなくなった

だから、推しが結婚したときに私は混乱した。別に、私がその場所に入れると思っていたわけでもない。

ただ、私の知らなかった推しの「幸せ」が、突然目の前に現れたからだ。

誰かと人生を歩むこと。家庭を持つこと。身近な人と日常を作ること。もちろん、そんなものが大切なのはわかっている。

推しだって人間だ。

大勢のファンに愛されることより、たった一人の身近な人との生活が大切になることだってある。人間の幸せの形は、思っているよりずっと変わる。

昔は仕事で成功することが一番の幸せだった人が、年齢を重ねて、家庭を持つことにも大きな幸せを感じるようになる。

何もおかしくない。むしろ自然なことだ。でも、私はそこで立ち止まってしまった。

じゃあ、私がずっと信じてきた「あなたの夢」は、あなたにとってどういうポジションだったのだろうか?

と思ってしまったからだ。

私たちは、本当に同じ夢を見ていたのだろうか?

私にとっては、その夢はずっと続いていた。

いつかもっと大きな存在になる。いつかあの場所に立つ。いつかその夢が叶った瞬間を、客席から見る。

私はずっと、その未来を楽しみにしていた。

でも突然の結婚報告によって、もうわからなくなった。その夢は、推しにとってもずっと同じ重さだったのだろうか。

いつから幸せの形は変わったのだろう。いつから、私の知らない別の幸せの方を見ていたのだろう。もちろん、本当のところは本人にしかわからない。そもそも、仕事で夢を叶えることと家庭を持つことは両立する。

二つとも大切だったのかもしれない。

それでも、考えてしまう。

あのライブで「幸せです」と言っていたとき、本当に幸せだったのだろうか。

夢に一歩近づいたと泣いてた時、私が感じていたのと同じように嬉しかったのかな。

「もっと大きな景色を見よう」と言っていたあの頃、本当にその景色を一番見たかったのかな。もう既に違う景色を夢見ていたんじゃないかな。

結婚によって未来だけが変わったのなら、まだよかったのかもしれない。

私がつらかったのは、一緒に見ていたと信じていた過去の姿まで、わからなくなってしまったことだった。

「推しの幸せを願うのがファン」と言うけれど

当時、何度も言われた。「推しの幸せを願うのがファンでしょ」これにも私は、うまく言い返せなかった。

だって私も、本当に推しの「幸せ」を願っていたからだ。

むしろ、だから応援していた。夢を叶えてほしかった。その場所に立ってほしかった。

そして、「ここまで来られて幸せです」と笑ってほしかった。

私はずっと、推しの幸せを願っていた。

ただ、私が信じていた「推しの幸せ」と、本人が選んだ「幸せ」が、同じではなかったのだった。

それだけだった。

それでも「ここが幸せだ」と言ってほしかった

ここからは、私のエゴだ。

推しだって人間だ。身近な人との幸せが大事なのは頭ではわかっている。仕事とは別の人生があって当然。ファンには見せない場所で、大切なものがあって当然。

それでも私は、

それを隠してでも「ここが一番幸せだ」と言ってほしかった。

大きなステージに立って、たくさんのファンを目の前にして、

「夢が叶いました」

「今、幸せです」

と言ってほしかった。

一人の人間にそんなことを求めるのは、すごく幼稚だと思う。我ながら残酷な事を言っていると思っているし、到底周りに言えたものではない。

だって、仕事上の「夢」を、人生最大の幸福として演じ続けてほしいと言っているのだから。

ファンにそんなことを要求する権利はない。それはわかっている。でも同時に、私は思う。

それが、その人の描いた「夢の価値」だったのではないか。

「いつかここへ行きたい」

「もっと大きくなりたい」

「みんなとこの景色を見たい」

そう言ったから、私はその未来には価値があると思った。そして自分の時間を預けてしまった。

だから私が最後に見たかったのは、その夢を叶えた推し自身が、

「ここまで来られて、本当に幸せだ」

と本心からファンに言う姿だった。そこまで含めて私にとっては「夢」だった。

夢を信じられなくなった

結局、私はその結婚をきっかけにファンを降りた。

嫌いになったわけではないじゃない。結婚したことを許せなかったわけでもない。推しの幸せを願えなくなったわけでもない。

わたしが何年も大切にしてきた夢について、「これは、いったいいつまであなたの夢でもあったんだろう」と疑ってしまったからだ。

過去の「じゃあ、あのときも、あのときも、あなたは幸せじゃなかったのかな」と考え始めていた。

そして、いま、推しはもう「その夢」を叶えようとしていないのかもしれない、とうっすら勘づいてしまったからだった。

人の幸せはその時々によって形を変える。
他者の価値観なので、変わる事はしょうがないとわかっている。だけど、それに気づいてしまって推せるほど、わたしは器用ではなかった。

パフォーマンスや歌のみを推していたら、違ったのかもしれない。でも、わたしは「推しが語ってくれた将来の姿」を推していたので、難しかった。

たぶん私は、推しの結婚によって推しを失ったのではない。

推しと一緒に見ていると信じ、自分の時間を預けてきたあの夢に、もう以前と同じ価値はないのだと、推し本人から言われたように感じたからだ。

だから、悲しくて虚しいし、喪失感が大きかった。
あのキラキラして語っていた「夢」を、ただ信じていたかった。

それだけだった。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集