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【陽だまり日記】金魚すくいの記憶と、令和のかき氷

この時期は、夏祭りがそこかしこで開かれている。

小さな公園、神社の境内、あるいは街全体を包み込むような大きなもの。
かたちはさまざまだけれど、太鼓の音や人々のざわめきが風に乗って届いてくると、それだけでどこかほっとするような、そんな気持ちになる。
私が、「なつかしさ」みたいなものが好きな歳になったのかもしれない。

提灯の灯りが、夏の群青の夜を照らすと、心が躍るよりも先に、なんだか優しい気持ちがともるようになった気がする。


時代は移ろい、日々の暮らしには数え切れないほどの娯楽があふれているというのに、こんなにも夏は暑くて仕方ないのに、みんな、お祭りが好きなのだ。
金魚すくいに挑んでは、思うようにすくえないまま網を破いてしまい、それでも屋台のたこ焼きやかき氷を頬張りながら、誰かと笑い合った記憶。
あの感覚は、きっと多くの人の胸の奥に、同じように仕舞われているのだろう。


ふと通りかかった、かき氷の屋台。
おなじみの氷みつを選べるようだったけれど、その種類はどうやら、想像していたよりずっと豊かだった。

いちご、れもん、メロン、ブルーハワイ。幼い記憶の中では、それくらいで十分だったはずなのに、目の前にはマンゴー、白桃、パイナップル、はちみつレモン、ソルティライチ、さらには黒蜜きなこや練乳抹茶といった、どこか懐かしいような、それでいて見慣れない顔ぶれまでもが並んでいる。

「プリン」と書かれた札を指さして注文する女の子の姿を眺めながら、その味は想像できそうで、やっぱりできないな、と思った。
エメラルドパインやダブルベリーに至っては、もはや未知の領域である。
なんだかとっても令和。


それでも、子どもたちが色とりどりに染まった舌をお互いに見せ合って笑うその様子だけは、あのころと少しも変わらないように見えた。


味の種類がどれだけ増えていったとしても、変わらずにそこにあり続けるものが、きっとあるのだろう。
氷を口に運んだ瞬間のひやりとした感触も、屋台の灯りにやわらかく照らされた笑顔も、何十年という時間を経てもなお、色褪せることはないのかもしれない。

この賑やかさが、いつまでも世界のどこかに残っていてほしい。そんなふうに、ふと願った。

夏祭りとは、そうした小さな願いを、そっと積み重ねていくための場所なのかもしれない。
なあんて、まあ、少し考えすぎかもしれない。

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