映画『罪人たち』〜死すら超えて黒人を追い詰める悪魔としての白人。
『罪人(つみびと)たち』(原題:Sinners) は今年のアカデミー賞で、なんと史上最多の16ノミネートを獲得してしまった。当初はレオナルド・ディカプリオ主演『ワン・バトル・アフター・アナザー』が有力と言われていただけに思わぬ展開。
・作品賞(罪人たち)
・主演男優賞(マイケル・B・ジョーダン)
・助演男優賞(デルロイ・リンドー)
・助演女優賞(ウンミ・モサク)
・監督賞(ライアン・クーグラー)
・他、計16カテゴリー
アカデミー賞は3月15日。
加えて先日、BAFTA(英国アカデミー賞)のステージにプレゼンターとして立った主役マイケル・B・ジョーダン、助演デルロイ・リンドーにトゥーレット症候群の男性が「Nワード」を投げ付けるというショッキングな出来事があり、これによって皮肉にもデルロイ・リンドーへの注目が一気に高まった。これについては Part 2 で書きます。
Part 2:映画『罪人たち』 ~ Nワードとトゥレット症候群
『罪人(つみびと)たち』は、1930年代アメリカ南部ミシシッピ州の暗く重い黒人差別をヴァンパイア映画として表したもの。そこに黒人音楽の厚い歴史を重ねている。人種差別 + ヴァンパイア + ブルース。この、とんでもない組み合わせよ。
ハイライトはジュークジョイント(音楽酒場)のシーン。この映画の核となっているブルースに加え、時空を超えてヒップホップ、ロックンロール、西アフリカ、さらにはアジアの音楽やダンスまでもが渾然一体に取り込まれ、鳥肌が立つ。下手すれば安っぽい三文劇になったであろう場面を、クーグラー監督は見事に組み立てた。そのイマジネーションに驚くばかり。
<以下、ネタバレ注意>
本作はデルタ・ブルースを主軸に、そこにアイルランドの伝統的なフォークミュージックをぶつけている。黒人音楽に敵対する白人音楽という構図ではなく、二者は歴史的に影響し合っており、片方を語らずしてもう片方を知ることは不可能。クーグラー監督はこの音楽史を巧みに使った。
マイケル・B・ジョーダンが二役を演じる双子のスモークとスタックはシカゴでの人種差別に心が破れ、故郷のミシシッピに戻ってくる。古い製材所を買い取り、ジュークジョイントとした。ベテランと若手のブルース・ミュージシャンを雇い、地元の黒人たちが日常を忘れて音楽、ダンス、酒、料理を存分に楽しめる場所にする。そこは黒人たちが白人を恐れることなく、安全にひとときの「自由」を満喫できる場所なのだ。
ジュークジョイントでのパーティが佳境に入った時、白人のメタファーであるヴァンパイアたちがやってくる(実際にアイルランド系の白人ミュージシャン、しかもKKKという設定なのだけれど)。ヴァンパイアは、いや、白人は黒人が「自由」を手に入れることを許さない。
ヴァンパイアに血を吸われた黒人はヴァンパイアとして蘇り、もはや黒人ではなくヴァンパイアの一員として「我々は(we)」と言いながら他の黒人を襲う。白人は、黒人にとって最も大切なものである肉親や妻、恋人までも奪ってしまう。しかも黒人を使い、黒人に奪わさせるのだ。
ネイティヴ・アメリカンがヴァンパイアの邪悪さを警告するシーンがある。けれどその警告は黒人たちには届かず、黒人たちは阿鼻叫喚の地獄絵図に見舞われてしまう。まだ血を吸われていない黒人は自由を守るためですらなく、文字通り生き残るためだけに戦わなくてはならなかった。
他方、ヴァンパイア=悪魔として不死となった黒人もまた、永遠の闇の中を生き続けねばならないのだった。(k.d.)
追記:クーグラー監督はミシシッピの黒人コミュニティにアジア系の夫婦を加えている。黒人コミュニティと白人コミュニティを行き来できる存在としての重要な役柄で、ここにもクーグラー監督の鋭い歴史観がある。
妻役:リー・ジュン・リー(Li Jun Li)
夫役:ヤオ(Yao)

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