続・VC視点で読み解く「SaaS is Dead」 AIエージェント時代のSaaS価格戦略
以前、執筆したVC視点で読み解く「SaaS is Dead」では、業界を駆け巡る議論を「株価下落の要因」「成長鈍化の要因」「機能代替の要因」という三つの問いに分けて整理した。
本記事では、その先にある実践論としてAI時代におけるSaaSのプライシングについて掘り下げたい。
本稿は、ポッドキャスト「VIVA VC 〜だからベンチャーキャピタルはやめられない〜 」Episode #3-6での議論をもとに執筆したものです。
SaaSのプライシングモデル
昨今、従量課金、シート課金、アウトカム課金など様々なプライシング方式が各所で論じられているが、本記事では改めてSaaSプライシングモデルを下記のとおり整理しておきたい。 SaaSのプライシングは、これまでのSaaSの主戦略であった利用ユーザー数に応じた席数課金(Seat-based)、AI利用量や会話量に応じて価格が変動する使用量課金(Usage-based)、達成された成果に応じて課金される成果課金(Outcome-based)、複数モデルを併用するハイブリッド課金に分類される。

AIエージェントの脅威にプライシング変更で応戦する米国SaaS企業
AIエージェントの本格的普及を契機に、2025年後半から2026年初頭にかけて、米国SaaS各社は堰を切ったようにプライシングモデルの見直しを進めた。
先行事例として注目を集めたのは、Bret Taylor率いるSierraだ。当初から成果課金(1解決ごとに課金するper-resolutionモデル)を採用し、創業から21ヶ月で年間経常収益(ARR)100億円超、企業価値1兆円超と驚異的なスピードで成長した。 また、企業価値4.5Bドルを超えるDecagonも使用量課金(per-conversation)と成果課金(per-resolution)の2つを併存させている。
このプライシングのトレンドは、既存のSaaSプレイヤーにも波及している。Intercomは自社のAIエージェントFinで「1解決あたり0.99ドル」の成果課金を採用し、ARRが100万ドルから1億ドル超まで急成長。さらに、HubSpotも2026年4月1から、AIエージェント「Breeze」を使用量課金から成果課金へと転換した。
エンタープライズSaaSも例外ではない。Salesforce、Workday、ServiceNowの大手SaaS3社は2026年Q1(1〜3月)に相次いで使用量課金への移行を発表。実際、ServiceNowは2026年Q1決算で「新規ビジネスの50%が非Seat-baseの消費・トークン型」と開示した。 米国調査会社IDCは「2028年までに70%のベンダーがプライシングモデルを再設計せざるを得なくなる」と予測しており、今後、より多くのSaaS企業がプライシングを見直すことになるだろう。
SaaS各社がこれまでの成長を支えてきた席数課金を捨て、使用量課金・成果課金へ舵を切る一方、株式市場からの評価は厳しいままだ。
SaaStrが集計するSaaS上位25社のIndexは、2025年10月から2026年4月までの6ヶ月で▲50.5%と大幅下落。
HubSpotは2026年4月時点で年初来▲48%、Atlassianも年初来▲50%超、Monday.comに至っては高値から▲75%まで下落している。 先述のServiceNowは2026年Q1決算でトップライン22%成長という好決算だったにもかかわらず、株価は2025年10月の高値から▲50%水準で推移している。
この結果は、プライシング変更は企業成長の「必要条件」ではあるが「十分条件」ではなく、それだけで株価は戻らない、という米国市場の冷徹な現実を示しているといえる。
「AI予算 vs SaaS予算」の熾烈な争い
前回のレポートで第2の問いとして指摘した予算移転の問題は、足元でさらに深刻化している。
Redpoint Venturesが141人のCIOを対象に行った調査では、AI予算の45%が既存ソフトウェア予算からの置き換えであり、54%のCIOが現在進行形でベンダー統合プログラムを実施中と回答している。一方、a16zの100人のCIOを対象とした調査によれば、エンタープライズのLLM予算は前年比75%増、innovation budget(実験予算)の比率は25%から7%まで減少した。AIはもはや「POC」ではなく「本格的な予算獲得」のフェーズに完全に移行したといえる。
具体的なSaaSからAIへの乗り換え事例も表面化している。米国のDXコンサル大手Publicis Sapientは従来型SaaSライセンスを約50%削減し、Adobeなどを生成AIで代替する方針を公式表明した。なお、先のRedpointの調査では、CIOの25%が「カスタマーサービス管理SaaS」、20%が「プロジェクト管理SaaS」のベンダー乗り換えを過去1年で本気で検討した、と回答している。 企業はAI活用を予算化する際、従来SaaSに投資していた予算を振り分けているのだ。AI活用は社員数の減少に繋がり、必然的に席数課金のSaaSは売上を落とすことになる。ある意味、米国SaaS企業は生き残りをかけてプライシングを変更したと言っても過言ではない。
遅れをとる国内SaaSのプライシング戦略
日本のSaaS各社に目を向けると、SmartHR、freee、マネーフォワード、ラクスといった主要プレイヤーは、依然として席数課金を中核モデルとしている。成果課金の本格採用事例はまだ少なく、AI機能は既存プランへのオプション追加や上位プランとして位置付けられるのが中心だ。
トップライン成長鈍化の対応として日本のSaaSが選択している戦略は、米国とは大きく方向性が異なる。 第一に、エンタープライズシフトで対象顧客をSMBから大手企業に切り替える動き。第二に、BPaaS化で運用代行・コンサルを抱き合わせ、アップセルを狙う動き。第三に、AI機能を既存プランに組み込み、オプション販売をする動きである。
いずれも短期的には平均販売単価を押し上げるが、見えない代償が積み上がっている。エンタープライズシフトは対象パイプラインの減少と販売サイクルの長期化を招き、BPaaS化は人的オペレーションを抱え込むことで、SaaSが本来持つ70-80%という高粗利率の特性を手放すこととなる。AI機能のバンドルにも構造的な赤字リスクがある。Anthropic等にトークンの従量課金を支払いながら、顧客からは固定で課金するモデルは、AI利用量が増えるほど粗利を侵食していく構造になっているからだ。
つまり、米国SaaSが採るような抜本的なプライシング変更ではなく、顧客ターゲットの絞り込みやオプションサービスの拡充を主たる方針としている、というのが日本SaaSの現状である。
では、なぜ国内SaaSは未だ既存戦略の延長線上にとどまっているのか。一つの仮説は、日本のSaaS顧客層である大手・中堅企業のAI本格導入が、海外よりも1周遅れていることにある。
総務省の令和7年版情報通信白書(2025年)によれば、企業の業務での生成AI利用率は日本55.2%に対し、米国90.6%、ドイツ90.3%、中国95.8%。米中独はいずれも9割を超えており、日本との差は顕著である。つまり、日本は未だ、米国ほどAIエージェントによる予算代替の脅威にさらされていないのだ。
日本企業のAI活用は明確に1周遅れているといえるが、国内SaaS企業は米国SaaS企業と同様にいち早く使用量課金や成果課金へシフトすべきなのか?
私はそうではないと思っている。 安易に米国のケースを追随するのではなく、むしろ、この1周遅れの時間的猶予を活用して、米国の成功と失敗を冷静に分析する必要がある。 Sierra・Intercom・Decagonの成果課金は本当に機能するのか? SalesforceのAgentforceが18ヶ月で3つのモデル(使用量課金→クレジット型→エンタープライズライセンス型)を試行している試行錯誤から何が学べるか? HubSpot・Atlassian・Mondayが市場から評価を落とした要因は何か——これらをじっくり見極めた上で、自社プロダクトに最適な選択をすることができる。
ここで強調しておきたいのは、米国の事例から学べるのは、プライシングは単なる価格変更ではなく、プロダクトの属性やレイヤーによって最適解が異なる、ということだ。
例えば、データ基盤は電力・水道のように使えば使うほど価値が生まれるため使用量課金がフィットする一方、席数課金にしてしまうとベンダー側が収益獲得の機会を逃すことになる。席数課金が合うのは、ERPやCRMなど社内の一定数の従業員が活用し、そのデータ閲覧やコラボレーション自体に価値がある場合である。顧客応対やリード獲得など、そのタスクの成果を計測できる場合は成果課金でもユーザー側に納得感がある。

上記はあくまで一例だが、日本のSaaS経営者が考慮すべきは、海外の流行のプライシングを単に追うのではなく、「自社プロダクトの属性やレイヤーを踏まえた上で、何を本源的価値として売っているのか」を軸に、プライシング戦略を見直す必要があるということだ。
まとめ
本レポートでは、米国SaaS企業のプライシング変更の事例、国内SaaS企業の動向について論じてきたが、最後に、米国SaaS各社のプライシング戦略から国内SaaSが学ぶべきことを整理しておきたい。
第一に、プライシング変更は必要だが、単なる価格変更では生き残れないということ。実際、米国のプライシング変更組も株価では報われていない。プライシングを変えるなら、自社プロダクト・サービスに合ったプライシングを選択し、プロダクトの本源的価値を磨き続ける必要がある。
第二に、AI予算とSaaS予算はゼロサムゲームであるということ。日本の生成AI活用率が現在の55%から米国の90%水準に追いつくのは時間の問題といえる。国内の生成AI浸透率が上がれば、当然ながら米国と同様の構造的問題が顕在化する。その際、現状の席数課金の延長線上で粗利率を下げたままの状態であることは、事業上の致命的リスクとなる。先回りして自社のプライシングモデルをAI時代に持続可能な形へ進化させる視点が必要である。
第三に、人口減少と労働力不足に直面する日本は、AIエージェントを「ツール」ではなく「労働力の代替」として位置付けやすい市場といえるだろう。「成果=削減できた人件費」という形で成果を定量化できるユースケースが多く 、成果課金型を顧客に提案するロジックは米国より組み立てやすいと考えている。
SaaSのプライシング戦略は、サイエンスではなくアートと言われて久しい。 米国SaaS企業は、迫り来るAIエージェントの脅威への防衛策として即時プライシングを変えざるをえなかった一方、日本はまだ少し時間的猶予がある。 この1周遅れを学習機会としてとらえ、新時代のプライシング戦略を検証する必要がある。
「米国に追いつく」のではなく、「米国の試行錯誤から学び、自社に最適なプライシングを設計する」——これが今後数年における国内SaaS経営の核心ではないだろうか。
🎧 ポッドキャスト本編
🟣 Apple Podcast https://apple.co/4tUgCui
🟢 Spotify https://open.spotify.com/episode/1W3QofeOprMTvKCYuYBbRB
📕 VIVA VC が書籍化決定!5月22日発売!
🔵 Amazon https://amzn.asia/d/08ZiCmYQ

