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正解のない正解を求めて

ペーパーテストなどで正解、不正解を判定することは定員制限がある受験だったり資格試験の合否を判定するために当然必要だろう。だが果たして人生において正解、不正解なんてあるのだろうか。
僕の嫌いな言葉に「勝ち組」「負け組み」という言葉がある。世間一般での使い方を見てみると主に仕事や恋愛、実家などについてよく使われている。いわゆる大企業で働いているのかそれとも零細企業で働いているのか。正社員なのか派遣社員なのか。可愛い彼女や綺麗な奥さんがいるのか。そもそも結婚しているのか。実家が太いか否か。などである。
僕からあえて「勝ち組」「負け組」という言葉を使わせてもらうのであれば日本に生まれただけですでに勝ち組である。一昔前と比較すると落ち目ではあるものの経済的にもまだまだ恵まれているしご飯も美味しい。自然が豊かで美しく、文化や歴史も素晴らしいものがある。海外の方からしてみると日本の街はとても綺麗で日本人は秩序を守り礼儀正しいみたいである。これらのことを踏まえてもそもそも正解や不正解などといった概念はないのではないだろうか。
近年さほど抵抗がなく行われている整形手術に関しても疑問に思うことがある。先に言っておくが僕は別に整形を否定しているわけではない。それをきっかけに自分のコンプレックスが解消され前向きな気持ちになれたりするのであればそれもまた1つの手段だと思っている。
僕が言いたいのは世間一般の一重より二重。身長は低いより高い。胸は小さいよりも大きい方がいいなどといった価値観のことである。なぜなら一重が好きな人もいれば自分と同じくらいの目線がいいという人もいる。胸が小さい方が可愛らしいという人もいる。つまり、あたかも正解だと思われているここにも実は正解や不正解などないのではないだろうか。あるのはこちらの方が良いものだという幻想の価値観であり、俯瞰的に捉えるとマジョリティかマイノリティかに過ぎないのである。
もし仮に人生において正解や不正解があるとするならば、それは自分自身の選択が明らかに正しかった時や、他人からの判定ではなく自分自身が心底後悔した時だけなのではないだろうか。
とはいえあなたはこれまで幾多のそういったものを経験してなんとかなって今まで生きてこられた。だから悲観することなんて何1つない。なぜならあなたの人生はこれからもなんとかなって続いていくのだから。

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