目に見えない世界に思いを馳せる
一つ前の記事の続きです😃
「宗教観」って上司が言っていたけれど、一体なんだろう?
【宗教観】
Googleで検索してざっくり学びました🔍
神仏の存在、死生観、倫理観、儀式や信仰の対象など、宗教に関する様々な事柄に対する個人の価値観や信念を指します。
宗教観は、個人の経験、文化、教育、社会環境などによって形成され、人それぞれ異なります。また、同じ宗教を信仰している人でも、その解釈や実践の仕方は異なる場合があります。
宗教観は、個人の人生観や価値観を形成する上で重要な要素であり、他者とのコミュニケーションや文化理解にも影響を与えます。
おちょかです🙋♀️
宗教観て壮大ですね✨✨✨
【宗教】
まずは私の身近にある宗教について考えてみました。
実家は、禅宗(臨済宗)の檀家なのですが、お寺さんとの関わりを思い出してみます💡
私がお寺さんと深く関わったのは小学生の頃の事です。
お坊さんが、お父さまから息子さんに代替わりされる際、檀家の子供たちがお稚児さんになって、若いお坊さんの後を行列を作って練り歩きました。
お寺に到着したら、お稚児さん女子代表の私と、男子代表の近所のSちゃんとは、2人で本堂に上がって、お坊さんに何かをお渡しするという大切なお役目をいただいていました。
このお役目をするにあたり、事前練習があったのですが、お手伝いに来られていた近隣の同宗派のお坊さんから、厳しく指導され、普段厳しくされていない私たちは、びっくりしながらも真顔で頑張ったのを覚えています😐️「うちのお坊さん親子さんは優しくて良かったぁ」と思いながら😜
そしてこんな事も思い出しました。
祖母が母に話していたのですが、若いお坊さんが修行に出られていた時、その厳しい内容を知っていたお母さまが毎日泣かれていたのだとか…💦子供ながらに「お坊さんは大変な職業なのだ」と感じていました。
このような子供時代のお寺さんに関するエピソードはありますが、具体的に臨済宗の事を知らないので調べてみよう!
タイパ重視でChatGPTに教えてもらいました😆
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🧘♀️臨済宗(りんざいしゅう)とは?
臨済宗は、日本の仏教の中でも「禅宗」に属する宗派のひとつで、心を静め、日常の一瞬一瞬に意識を向ける「今ここ」に重きを置いた教えを特徴としている。中国の禅僧・臨済義玄(りんざいぎげん)の教えを源流とし、日本には鎌倉時代初期、栄西(えいさい)によって伝えられた。
臨済宗の修行では、坐禅(ざぜん)と呼ばれる静かな瞑想に加え、「公案(こうあん)」と呼ばれる問いかけが用いられる。公案とは、たとえば「父母未生以前の本来の自己とは何か」といった、理屈では答えが出ないような深い問いを意味し、それに向き合うことで直感的な“気づき”や精神的な覚醒を促すものである。
また、臨済宗は中世において武士階級との関係が深く、その影響から簡素で力強い美意識が発展した。これは、現在でも臨済宗の寺院建築や枯山水庭園、書や茶道などの文化芸術に色濃く反映されている。
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おちょかのパートに戻ります🙋♀️
ふむふむ…、歴史の授業で習ったような気がする、そんなおちょかです。
【目に見えない世界】
次に、目に見えない世界について考えてみようと思います。
先日、たまたま上司に、私がハワイで体験した奇跡についてお話をしたところ、「ルルドの泉みたいだね😀」と返してくださいました。
ルルドの泉を知らない私に調べてみるよう課題を与えてくださいました。
そこでまた、ChatGPTの登場です。
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🕊️ルルドの泉とは?
ルルドの泉は、南西部ピレネー山脈の麓にある町ルルドに湧く泉で、カトリック教会において奇跡の泉として知られている。1858年、この地に住む14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが、洞窟で聖母マリアの出現を18回にわたって体験したとされる。マリアはベルナデッタに「ここを掘りなさい」と告げ、言われた通りに地面を掘ったところ、泉が湧き出したと伝えられている。
この泉の水は「癒しの力がある」と信じられ、身体や心の病が癒されたとされる事例が数多く報告されている。これらの奇跡的な治癒のうち、いくつかはルルドに設置された「奇跡認定委員会」によって医学的にも調査され、カトリック教会において公式に奇跡と認定されたものもある。
現在でもルルドは巡礼地として非常に人気があり、世界中から年間数百万人の巡礼者が訪れている。病気の治癒を願って泉の水を飲んだり浴びたりする人が多く、信仰の場としてだけでなく、心の拠り所としての意味合いも強いとされている。
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再び、おちょかのパートです🙋♀️
昔から、世界中の人々は、様々な悩みを抱え、「どうにも出来ない」と分かっていながらも、それでもなんとかしたいと願い、宗教や目に見えない世界に救いを求めていたのかな、と思いました。
そもそもの本題、【元気に長生きしたい】ですが、臨済宗のパートでは、“長生きをする”ことに対して重きを置くと言うよりは、「今この時、この瞬間」を大切にしているような印象を受けました。この考えは“過去の後悔”や“未来への不安”にさいなまれた時、「今、私は、息をして動けている」と当たり前と思いがちな幸せに気づくことで、自然と生きていることへの感謝が湧いてくるのでは、と思いました。思考のミニマリストとなり生きやすくなれそうです。
ルルドの泉のパートでは、今も昔も「これが大多数の人間の気持ち」なのだと思いました。人間は皆んな、生を受けたその瞬間から死へと向かって生きています。ゴールを迎えるまでの時間や辿る道は、人それぞれで誰も分かりません。だからこそ、不安や迷いが生まれてくるのは当然のことだし、できることなら、病気や怪我をする事なく健康体で生き抜きたい、と願う気持ちも当然の事だと思いました。
そこに、【信念】というエッセンスが加わることで、自分を誇れる自信が生まれ、不安や迷いで足がすくんでしまった時でも、前に進める勇気になるのでは、と気がつきました。
私の信念は「誠意」「信頼」です。
なぜこれらを私は信念としたのか、
ここに、個人の経験、文化、教育、社会環境などで形成された【宗教観】が深く関わっていると思ったので、最後にここを深掘りしてみようと思います。
臨済宗は、武士との関わりが深かったとChatGPTが教えてくれましたが、ちょうど私がフォローしているインスタグラマーさんが、武士道について投稿をされていました。
【武士道】
①義…正しいことを貫く
②勇…恐れを超えて進む
③仁…思いやりを忘れない
④礼…相手を敬う心
⑤誠…嘘をつかない
⑥名誉…自分に恥じない
⑦忠義…大切な人を裏切らない
これが、「武士の七つの美徳」だそうです。
そしてこの七つは、「日本人の美徳」でもあるそうです。
この美徳は、物心ついた頃から、色々な人たちに教わっていたような気がします。
家族や近所の人たち、お寺さんやお宮さんの行事、親戚、学校関係、友人知人、テレビ放送、本、等々
大人になった今も無意識のうちに、これらの美徳を守りたいと思いながら暮らしているようにも思います。
物心ついた頃から刷り込まれていった美徳が、私の中で、「誠意」「信頼」が信念なのだと導かれたのかな😀
今回の一連の記事を綴ることで、
信念を明確にできました。
これにより、心が揺れやすかった私は少し生きやすくなったように思います。
心が揺れても、信念に反していないと自分の中で確認ができたら、この後悔や迷いは“不要”だと立ち切ることが出来、心が少し軽くなるからです。
趣味を楽しむ、心身を癒す、大切な人たちと過ごす時間に「幸せ」を感じ、精力的に仕事をすることに「生き甲斐」を感じ、知らない世界を知ることにも興味津々な私は、頭も心も体も健康で長生きすることで、選択肢が広がり、【誠実】【信頼】を大切にすることで勇気を持ち、人生を謳歌できるのだと考えました。
だから私は、頭も心も体も健康で長生きをします😀👍
