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【エッセイ】詠唱「大丈夫です」の効果はパルプンテ

​服屋というダンジョンに足を踏み入れるたび、僕の買い物モチベーションは急激に低下していく。

​今日のミッションは「見るだけ」。装備を新調する予定はない。
エンカウント率を下げるため、店内の端を静かに移動する。
棚に並べられた服を観察し、心の中で「これ、いいな」と呟いた、まさにその瞬間だった。

​「何かお探しですか?」
​背後から 『野生の店員』が 現れた!

​「あ、大丈夫です」
​オートで発動する条件反射。自分でも何を詠唱しているのか分からない。
別に状態異常にかかっているわけでもないし、救援要請を出した覚えもない。なのに、まるで死線から生還したパーティーの参謀みたいな顔で「大丈夫です」と返してしまう。
​コマンド画面には「見ているだけです」という選択肢も用意されているはずだ。

しかし、僕の口から飛び出すのはいつだって初期スペルの「大丈夫です」のみ。
​本当は、尋ねたい情報が山ほどある。
この装備のMサイズはあるのか。
カラーバリエーションはネイビーだけなのか。
季節問わず着られるのか。
クリーニング必須か、自宅洗濯か。
​だが、一度「大丈夫です」のバリアを張ってしまった以上、こちらから再度エンカウントを仕掛けることはできない。数秒前の自分が召喚した見えない壁に、自分自身が阻まれているのだ。

​「すみません、さっき大丈夫って言ったんですけど……」
そんな前置きから始めるのも不自然だ。店員側からすれば「大丈夫じゃなかったのかよ」と困惑するだろう。いや、実際まったく大丈夫ではないのだが。

​さらに難易度が跳ね上がるのが、親切なNPC(店員)と遭遇した時だ。

​「それ、サイズ違いもありますよ」
「よかったら合わせてみてくださいね」
​手厚いサポートである。ありがたい。だが、その優しさが引き金となり、僕の脳内で仲間たちがパニックを起こし始める。

​『ここは一度撤退(キャンセル)すべきでは?』
『いや、せっかくだし試着イベントを進めよう』
『でも買わずに店を出たら、相手のMPを無駄にすることにならないか?』

​脳内パーティによる緊急作戦会議。議題は「服を見るだけで、なぜこれほどHPを削られるのか」。参加者は全員自分。そして全員の意見が見事に割れている。

​昔は、店員とのコミュニケーションというイベント自体が極度に苦手だった。
声をかけられた以上、何かアイテムを購入してゴールドを支払わなければ申し訳ない気がしていた。相手の期待に応えなければいけないという、勝手な義務感に圧迫されていたのだ。

​だが最近、ようやく仕様が理解できるようになってきた。
店員はプレイスタイルとして仕事をしている。僕はプレイヤーとして買い物をしている。ただそれだけだ。話しかけてくるのは「困っていたらバフをかけますよ」というサインであって、強制戦闘の合図ではない。リソースを消費するかどうかを決める主導権は、いつだって自分にあるのだ。

​……とはいえ、長年染みついた自動詠唱は簡単に解除できない。
今でも店員に接近されると心拍数が跳ね上がり、高確率で唱えてしまう。

​「大丈夫です」
​ただ、最近の僕はプレイヤースキルが少し上がった。その後に追撃の呪文を唱えられるようになったのだ。

​「ありがとうございます、ちょっと見てみますね」
​かなりのレベルアップである。初期の僕なら「大丈夫です」を捨て台詞に、ルーラ並みの速度で店の外へ逃走していたはずだ。人間、地道に経験値を積めば成長するものである。

​……しかし。
どうしても攻略できない最高難易度のラストバトルが、まだ残っている。
​試着室という個室イベントを終えた直後の、あの瞬間だ。
​帳を上げて外に出た瞬間、待機していた店員と確定で目が合う。

​「どうですか?」
​この問いに対する正解の選択肢が、いまだに分からない。
​「すごくお似合いです!」というバフ判定を期待されているのか。
「ちょっとサイズが合いませんでした」というデバフの報告を求められているのか。
それとも単なる定型テキストなのか。
​思考がフリーズした僕は、今日も結局、一番ショートカット登録されているあの呪文を唱えてしまう。

​「あ、大丈夫です」
​効果はパルプンテ。
会話が終了するのか、気まずい空気が流れるのか、何が起きるかは誰にも分からない。
​……まあ、大丈夫です。

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