「既にある」がわからなくても、ひたすらに「ぬか喜び」をして潜在意識を充足で満たす。「不足は嘘」を採用するために。
不足は無視、充足で満たす。願望達成のためには内側をどう整えるべきなのか。
最近、「こう考えてみるか」という気付きがあったので書いてみたいと思う。
潜在意識の世界でいわれる「既にある」という考え方だが、私はこれがイマイチわからない。
いや、わかるんだけど、なんとなく腑に落ちていない。
というか、
「既にある」と思おうとすると「今ないじゃん」が出てきてしまうのだ。
そう、
「今ないじゃん、まだないじゃん。意識の中にあるってことでしょ?わかるけど、目の前にはまだないよね?そのうち出てくる?いや、わかるけど、今欲しいんだよね?」
と、一気にエゴがまくし立ててくるのだ。
これは潜在意識界隈での「なる」にも近い気がする。
「なる」もイマイチ苦手だ。
これもさんざんやったけど、「○○な私になる!」「○○な私だ!」と思おうとすればするほど、エゴが騒ぎ出す。
「全然そうじゃないよね?まだ」って、どうしても今の現実の不足に焦点が向いてしまうのだ。
そして見ないようにしてた不足感をより余計に感じてしまうのだ。
「既にある」もどうしてもまだ、私にとってはこっちの視点で見てしまう傾向がある。
(そのうちわかるのかもしれないけど)
これに対して、「不足は嘘」「不足は幻」は採用しやすい。
とにかく見えてきた不足を、無視すればいいから。
どんな不足が見えても、今現実に何が見えても、
徹底的に無視する。
こっちはやることがシンプルだからやりやすいような気がする。
見えている不足は嘘だとして見ないだけ。
無視するだけ。
現実なんて意識の投影なんだから、どうにでも変わる。
私が栄養を与えなければいい、不足の存在を見なければいい、徹底的に「嘘」として、無視すればいい。
そうすれば消える……と言われているし、実際そうなんだと思う。
実際、この世は意識の投影なんだから、まあ心の中にそれがなくなれば確かに消える。
それは論理的にそうだ。
そう思うならそうなるわけだから。
これが認識の変更だと思うし、それはこの記事で書いた通りだ。
だからこそ、まさに全ては脳との(エゴとの)騙しあいで、いかに不足を見ないかが重要になってくるんだと思う。
同時に「充足を見る」についても考えてみよう。
不足を見ないと同時に、「充足を見ろ」と言われている。
とにかく、充足だけに焦点を当てて、それを見続けていれば、どんどん心の中が充足で満たされ、それが現象化していく。
これもまさに原理的にそうだ、その通りだ。
とにかく、とにかく、とにかく、
充足まみれ、あるを見る、満たされているものを見る、
そうやって、それを味わえば、どんどん、気分が良くなり、どんどんそれが現実に出てくる。
そうだ、その通りだ。
わかってる、
でもエゴはやる。
その中でも必死にないを探す。
不足を探す。
「わあ、いい気分!幸せ!いい感じに動いてる!」(まだ本願は叶ってないけどね。ぬか喜びじゃない?)
「いい感じになってきた気がする!」(まだ確証はないけどね。ぬか喜びじゃない?)
「このままいけばいい感じ!」(本当に間に合うの?ぬか喜びじゃない?)
ってね、うまくいき始めたこと、なんとなくいい感じのこと、それに対しても「そんなに喜んで大丈夫?期待しすぎるとダメだった時に余計ショックだよ?ぬか喜びはしない方がいいよ」って言ってくるんだよね。
っていうか、ずっとそうだったんじゃない?
エゴって。
今までの人生、ずっと
「ぬか喜びしない方がいいよ、もしダメだった時、ショックだもん」
ってずーーーーっとやってきたんだよね、今までまじで。
ほんとずっとこれだったなあって思う。
いや、ほんとありがたいことなんだよ、今までの防衛システムとしては。
期待しすぎて失敗した時のショックは本当にきつい。
誰もがみんな何度も味わってきているはず。
だからそこまで落ち込まないように防御してくれてたわけで……まじで、今までの生き方の中では、ほんと必要だったんだよね。
だから自然に学んだんだよね。
「ぬか喜びをしてはいけない。確証が出てからはじめて喜びなさい」って。
でももう、こっちの意識の世界で生きるって決めた以上、これいらないよね。
というか、むしろ、
『常にぬか喜び。ちょっとしたことでも、なんでもかんでも即認める』
まさにこれ、こっちなんだよね、やることは。
ぬか喜びこそ、内側から出てきた現象化の欠片を見つけてあげられたってこと。
これを認めないで、「まだ、まだだ」って言ってるから、その先が進まない。
もう、アホのように何でもかんでも
「すっげー!ラッキー」
「駐車場空いてた、やべー!来てるあたし!」
「欲しいものセールじゃん!最高!現実創造してるぅぅ!!」
「売上少し伸びてる?いやー来てるわ、来るわ!」
「あの人と目が合った、やべーーこれどんどん進んでるわ!!」
って、もうぬか喜びとか思わずに、そばから喜んで認めてしまえばいいんだよなって思った。
そう、何でもかんでもぬか喜び。むしろもうこっちなんだよ。
この世界では。
でね、さらに、これって、これから起こる何かだけではない。
今あるもの、自分の目の前にあるもの、それの全てがもうそうなんだよね。
本当は、全部。
病気じゃないなら動く手足も、
いつも使ってる文房具も、
今飲んでる好きなお茶も、
服も、家も、気に入らないもの以外は、全部欲しかったものなんだよね。
いつかの自分が願って意図したものを今手にしてるんだよね。
もうそういう意味では目の前にあるもの全部「現象化させたもの」なんだよね。
でも、エゴはその中で、いっぱい持ってる中で、わざわざ「でもこれは持ってないよね?」って不足を探してきて、
「ない!ない!まだない!」って言ってるわけだ。
これは、「だから、あるもので我慢しろ」っていうことではない。
いっぱいある中でわざわざ、ごく一部の「ないもの(不足)に焦点を当てるな」ということ。
まだ叶ってない、持ってない、という不足に対してはとりあえず「無視」しろということ。
はじめに欲しいという願望を持ってそれを「意図」に変えて、別の領域にサレンダーしたら、いったん忘れる。
で、「まだない」が見えても無視。
そんなのいっぱい「ある」うちの、めっちゃごく一部の「ない」なんだから。
わざわざ見てるだけで、見なきゃ消えるんだから。
ただ、それをしようと思ってもなかなかできないのもわかる。
どうしても不足を見ようとしてしまうのは習性。
だからこれを回避するために、不足を見る暇がないくらいに、充足で埋めてしまう。
内側を充足で先にいっぱいにする。
ぬか喜びで、「やっべ!!!来てるぅぅう!」って喜びまくり、さらに目の前の既に現象化して手に入れてるものに対して「これもこれも私持ってるもんね~」って、ニマニマして愛でる。
そっちで満たす。
で、不足が見えても即無視。
栄養を与えない。
もう徹底的にこうしていくのがいいんだろうなーって。
そう、ぬか喜び。
いかにぬか喜びをどんどんそのまま採用できるか。
それ。
せっかく神様や宇宙やボルテックスが見せてくれた現象化の欠片を、わざわざ「ぬか喜びしちゃダメ!」ってないことにしてしまっているんだよね。
今までの世界の生き方の名残で。
だからとにかく、充足を見る。
ぬか喜びをぬか喜びだと思わずに現象化の欠片として大げさに喜ぶ。
もうすでに現象化した当たり前にもう持ってるものに目を向ける。
で、不足だけは出てきたらオール無視。
どうせ消えるんでしょ、って即無視。
こんな風にしていれば、不足を握らずに過ごすことができる気がする。
ほんと、結局、脳(エゴ)との騙しあいなんだよね。
「内側が外側に投影する」
「意識が現実を創る」
を受け入れ採用しているなら、もうどう思うかだけなんだよね。
どう思えば、自分の内側に不足を持たずに済むか。
この戦い。
「既にある」は私にはいまいちまだピンとこないんだけど、ここで書いたような感じに考えれば、「充足で満たす」こと「不足は無視」ができるんじゃないかなと思ったので、私自身もこれを忘れないために書いてみた。
※同じく認識変更・願望達成・意識の世界で生きるという同志の方はぜひ仲良くしていただけると嬉しいです!
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