うつ病・パニック障害から社労士へ。25年かかって、やっと気づけたこと
みなさん、お疲れさまです!ゆかねぇです。 今日もよろしくお願いします。
先に言っておきますね。
今日、私は「頑張れ」とは一言も言いません。
実は、こんな私です
画面越しの私って、自信満々でパワフルで、さぞかし順風満帆な人生を送ってきたんやろうな……そんな風に見えてるかもしれません。
でも実際の私は、若い頃にうつ病とパニック障害を経験して、本当に地を這うようなどん底の生活を送りながら、今に至ります。
この経験が誰かの役に立てばええな。そう思って、今日はこのテーマで書くことにしました。
発病から社労士になるまで
私が得た教訓
今、伝えたいこと
この3つで、いきたいと思います。
発病したのは26歳。たったの2週間でした
当時の私は、アルバイトからそのまま就職して、焼き鳥屋にいました。夜のお仕事です。そこで店長を任されて、あっという間に2店舗任されて。一生懸命やってたんですけど、いろいろあって、半年で降格になりました。
今となっては、降格なんて人事の一つやし、そんなこともあるよねって受け止められます。でも当時の私は、降格っていう人事を受けた瞬間、自分という人間を全部否定された気持ちになったんです。
そして、真っ逆さまに病気に転げ落ちました。
たったの2週間です。降格人事があってから、たったの2週間で。
その夜、突然目が覚めて、のたうち回りながら泣き叫んで。もう人生終わった、私狂った。本気でそう思いました。
次の日、社長に話をしに行ったら「お前すぐ休め。その代わり病院行け」って言われて。紹介されたのは心療内科。そこで、うつ病・パニック障害と診断されました。
診察中、私はずっと大声で号泣してました。よっぽどひどかったんやと思います。
社会復帰まで、およそ3年
正直に言うと、この3年間の記憶はほとんどありません。覚えてるのは、目の前の景色がずっと灰色だったことと、食べ物が全部、砂利の味がしたこと。
一人暮らしやったから、生きていくためにバイトはしてました。でも全然続かないし、転々とするし、住むところも転々としたし。本当に暗黒の時代です。思い出したくないのと、覚えてないのと、両方です。
でも、30になる年。ある日突然、ふっと「もうええかな」って思ったんです。もう浮き上がってもええかな、って。
そこから、どん底からふわっと浮き上がって、一つ一つ社会復帰をしていくようになりました。もともと夜の仕事しか知らなかった私が、普通に昼の仕事をして、友達が増えていって。少しずつ少しずつ、社会に戻っていきました。
ただ、病気が治ったわけでは全然なかったです。良くなったと思ったらまた落ちる。ちょっと良くなったと思ったらまた落ちる。それをずっと繰り返してました。
40歳、社労士を目指した理由
そんなこんなで35、6歳で結婚して。社労士を目指したのは、40歳になるときです。
当時、住んでた大阪から愛知に引っ越してきたばかりで、友達がいない、仕事がない、いろんな理由もありました。でも一番の理由は、これです。
自分を変えたい。負け犬人生で終わりたくない。
負け犬っていうのは、もともとの自分の性分もあったけど、やっぱり病気のこともありました。これに打ち勝って、本当に強い自分になりたい。そう思って必死に勉強して、合格しました。
それでもね、社労士になってからメンタルがすぐ強くなったかっていうと、全然そうじゃなくて。まだまだブレブレで、本当に定期的に落ちてました。薬こそ飲まなかったけど、メンタルは弱かったです。
それが少しずつ少しずつ、個人事業主としてやっていく中で強くなっていって。いろいろ考えて、悩んで。そうしているうちに、実はもう今に至る。そういう表現しか、今の私にはできません。
今年、私は50歳になります。40歳から50歳のこの10年間、社労士としてやってきて、本当に一つ一つ階段を上ってきて、今の私が出来上がりました。
突然変異みたいに、病気だった頃からパーンと今のゆかねぇに生まれ変わった、なんてことは絶対にないです。ずーっと続いてきて、上がったり下がったりしながら、今の私が出来上がってます。
私が得た教訓
特にこの病気の3年間、そしてそこから立ち直るにあたって、ずっと考えながら来たことがあります。
自分を守れるのは、自分だけ
これを本当に思いました。特にこの3年間で。
私はやっぱり、会社に甘えてた部分もあったと思います。でも、いざ降格になったら誰も助けてくれませんでした。当たり前の話です。当たり前の話なんですけど、当時の私はそれに気づいてなかった。
だから私は、病気から立ち直るときに決めました。
世界中の人間が私を嫌いになっても、私だけは自分のことを好きでいよう。
それが自分を守ることやと思ってます。今でも、これは強く強く思っています。誰かに精神的にも肉体的にも害されそうになったとき、自分がやばいと思ったら、自分を徹底的に守るようにしてます。自分しか、自分を守れないから。
朝の来ない夜はない
これも、病気から立ち直るときにすごく思いました。病気のときも、ずっと思ってました。
最初に言ったみたいに、私が覚えている景色は全部灰色です。何なら真っ暗と言ってもいい。みんなの服が喪服に見えました。本当にそうでした。真っ黒だったんです。
でも、その時は信じ続けてました。必ず朝が来る。だからずっとやってこれた。今はただ夜なだけで、絶対に夜明けがやってくる。それを信じて、ずっと耐えてました。
そして実際、夜明けが来たんです。
何か辛いことがあった。落ち込むことがあった。それでも、いつか朝がやってくる。いつか光が見えてくる。そう思って頑張れるようになったのは、やっぱり病気を経験したからやと思います。
人生に無駄なことは何もない
私はこれ、一時期座右の銘にしてました。今は違いますけど、本当にそう思います。
私は、うつ病とパニック障害になって良かったと今は思ってます。これがなければ、今の私はなかった。そうも思います。
もしこの病気を経験してなかったら、私、もっと傲慢でもっとわがままで、もっと嫌なヤツやったと思います。この病気を経験したから、人の痛みとか苦しみとかがわかるし、自分がブレた時にも立て直せる。そうなったのは、病気のおかげです。
もし人生をやり直せるんだったら、多分もう一回同じことやって、同じ病気になります。それぐらいこの経験が、私にとっては今、大きな糧になってます。
今、伝えたいこと
私の発病から社労士になるまで、そして私が得た教訓をお伝えして、いろいろ感じてもらったかもしれません。でも、今の私が皆さんに一番伝えたいことは、これです。
頑張らなくていい。逃げてもいい。でも、自分からだけは絶対に逃げないでほしい。
こういった病気になられる方って、頑張りすぎなんですよ。頑張れって言わなくても頑張っちゃう。だから自分で抱えて、潰れちゃう。
頑張らなくていいです。頑張れないときは、人生誰だってあるし、特に病気のときに頑張れるわけがない。頑張らなくていいです。
そして、逃げていいです。他人は無責任に傷つけてきます。勝手に自分の境界に入り込んできます。逃げてください。全然逃げていいです。そして耳を塞いで、目を閉じて、とにかく自分を守り抜いてください。それができるのは、自分だけです。
でも、逃げてほしくないのは、自分から。
私はいろいろ辛いこともあった。本当にどん底の人生の時代もあった。でも、ずっと自分と向き合ってきた。それだけは言えます。辛いなら辛いなりに、でも自分はどうしたいか、何を考えているのか。常に自分の心の声を聞いて、自分と向き合って、戦って、ここに来てます。
今日の明日で解決する話じゃないです。だって私、25年かかってるんです。25年かかって、やっとここまで来たんです。
遅いと思います。時間がかかったと思います。それはわかってる。けれども、この時間がないと、私は今の自分にはなれなかった。もちろん、この病気がないと、今の自分になれなかった。
だから、みんなも。
早く良くなりたい、早く社会復帰して活躍したい。いろんな思いがあると思います。必ず戻れます。時間がかかっても、必ずみんなは元気になって、社会で活躍することができる。自分らしい人生を歩むことができる。
だから、絶対に自分からだけは逃げないでほしいんです。どんな辛い時も、自分と向き合って、自分と戦って、それで自分らしい人生を歩んでほしいと思います。
みんななら、必ずできる。私はそう信じてます。
というわけで、今日はちょっと踏み込んだ話をしました。
うつ病やパニック障害の話って、なかなか人に話せへんし、話したところで「わかってもらえへんかも」って思ってしまうこともあると思います。でも、25年かけてここまで来た一人の人間として、同じように苦しんでる人、かつての私みたいな人に、少しでもこの言葉が届いたらうれしいです。
半世紀生きた女からの、血と涙のメッセージでした。
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