【随筆】残像と、残響と、残骸と、そして残香心。
朝風呂に浸かっていた。
湯船の縁に腰をかけて、
足を外に出し、
風呂壁にもたれさせて、
ぼんやりしていた。
特に考え事をしていたわけでもない。
ただ、何もしていない時間だった。
しばらくして、
足を下ろした。
すると白い壁に、
さっきまでそこにあった足の形が、
影のように、
しばらく残っていた。
あれ、と思う。
残像だろうか。
何度か同じことをやってみた。
やっぱり残る。
極度の近視だから、
そう見えただけかもしれない、
とも思った。
試しに、
手を壁のほうに伸ばしてみる。
同じように、
影が残るかどうか。
でも、手は残らなかった。
手のひらは、
壁に届いていない。
足は、
ちゃんと触れていた。
距離の違い。
接触の有無。
どうやらそれだけのことらしい。
それでも、
白い壁に残ったあの形を見ながら、
ぼんやり考えていた。
人の心や、
人の営みにも、
こんなふうな「残り」があるな、と。
遠くから眺めただけのものは、
あとには残らない。
考えただけの言葉や、
言いかけてやめた優しさも、
たいていは、そのまま消える。
でも、
近づいて、
触れて、
同じ場所にしばらく居て、
体温みたいなものを
分け合ったものだけが、
あとから、ふっと残る。
それは、
はっきりした形じゃない。
残像というほど派手でもなく、
残骸というほど重くもない。
ただ、
そこに「いた」
という痕跡みたいなもの。
足をどかしたあとに
白壁に残っていた、
あの薄い影のように。
残そうとしていないのに、
なぜか残ってしまう。
人の営みって、
だいたい、
そんなふうに出来ている気がした。
