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文章はタイパが悪い?

(ℹ️当アカウントは私こと「おかん」が晩ご飯を食べながら、恋愛ジャンルを始め、さまざまなことに関して考察・お喋り発信しております。)

4,576文字 / 10分前後で読めます📖

 皆様お疲れ様でございます。
 今日の夜ご飯は豚しゃぶサラダ定食!
 夏の終わりに、サッパリいきましょ🥗✨

 さっ手洗ったら座って座って🫴


 最近、立ち止まって文章を読むことが、以前よりちょっと苦手になってきたように思う。

 時間に追われてるせいもあるかもしれないが、それ以上に「集中力」がまるっきり機能していない感覚がある。

 それもそのはず。生活の中に誘惑が増えすぎた。
 スマホを開くと、SNSやYouTubeに自然と手が伸びる。
 次から次へと新しい情報や刺激が飛び込んでくる。

 私のおでこの奥の前頭葉には、動画中毒でだらしないおかんが棲みついていて、ソファに腹を出して横たわっている。
 片手にはポテチ・足元には無数の飲みかけのペットボトルの残骸が転がっている。

 そして私が長い文章を読み始めると、もっと刺激を寄越せと催促してくる。
 
 「で、結局なに?」「それ、面白いの?」
 「タイパ意識してぇ〜〜!!!」
っという具合に。


 文章って、動画みたいに頻繁に場面が切り替わる事がない。
 結論だって最初から提示されるとは限らないし、最後まで読まないと、何を言いたいのか分からないことだってある。

 小説などでは、一文一文を目で拾って、自分の頭の中で意味を組み立てていく。
 その一冊に詰め込まれた世界観を味わうための文字の羅列。
 自分の頭の中で、もう一度その世界を作る作業である。

 そりゃ、時間もかかる。
 時間効率なんて、フルシカト。総スカン。どうでもいいまである。

 それに比べて、昨今のショート動画は、出来上がった視覚情報として入ってきて、楽である。

 今の時代、情報を得るだけなら、長い文章を読むよりもっと早い方法はいくらでもある。
 動画で見ればいいし、音声で聞けばいい。
 AIに要約してもらえばいい。

 それなのに、このnoteというプラットフォームのユーザー数は増え続けているという。
 私たちは今も文章を書き、文章を読む。

 noteと出会った時、私こと、おかんの正直な感想は「・・・今この時代に、あえて文章??」だった。

 今日は、
 そんな昨今の人々と文章との付き合い方や、なぜ今もnoteには文章が集まり読まれているのかについて、少し調べてみた。

 ゆっくりしてってや〜〜〜🍵

増えた文章ツール

 「最近の人は、本を読まなくなった。」
 「活字離れが進んでいる」ということは、おかんが子供の頃から、よく言われていた。

 実際、文化庁の「令和5年度 国語に関する世論調査」では、1か月に本を1冊も読まない人が62.6%。「以前より読書量が減った」と答えた人も69.1%いる。
 ところが、本を読まない人に「本以外の文字・活字情報」を読む機会がどのくらいあるか尋ねたところ、75.3%が「ほぼ毎日ある」と答えている。(SNSやインターネット上の記事なども含まれる。)
 また、2015年の調査では、紙+電子の文字消費時間の合計が20代で全年代中もっとも多かった。

 東京大学の橋本良明氏が「日本人の情報行動調査」を5年ごとに追って、1995年から2015年までの文字情報の消費時間を分析した論文によると、
 「現代の若者の文字の消費量は、有史以来、最高のレベルにあると言っても過言ではない。」
と結論づけられている。

引用:令和5年度「国語に関する世論調査」の結果の概要/文化庁
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94111701_02.pdf?utm_source=chatgpt.com
   文字の消費時間の推移と文字消費に関するタイポロジー /「日本人の情報行動調査」から
(特集 現代社会におけるメディア研究)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jajls/20/1/20_5/_pdf/-char/ja

 つまり、本を読む量は減ったが、文字そのものから離れているわけではない。

 しかも今は、文字に触れる場所そのものが多い。
 テレビ、パソコン、スマホ。
 そして、LINE、SNS、ニュースサイト、検索、AIとのチャット。

 私たちは一日の中で、思っている以上に文字を目にしている。
 でも、文字に触れる機会は増えてるかもしれないけど、文章は短くなっていない?

 LINEなら、
 「今日どうする?」「19時で!」「りょ。」
 これで会話が成立するし、
 SNSなら、数行の文章に写真や動画を添えて発信もできる。

 ニュースだって、まず目に飛び込んでくるのは見出しだ。
 「結論を早く。」「要点だけ。」「短くまとめて。」
 そんな文章との付き合い方が、いつの間にか当たり前になっている。

 つまり私たちは、文章から離れたわけではない。
 文章を使う機会はむしろ増えた。ただ、「長い文章を、じっくり読む」という機会は、以前より少なくなっているのかもしれない。

 そもそも「活字離れ」は、そんなに嘆かわしいものなのか。
私たちは、文章に何を求めているんだろう。

文章の役割

 今回はわかりやすく、文章の役割を大きく二種類に分けて考えてみる。

 ひとつは、「伝達する為の文章」
 集合日時。引き継ぎ。
 ニュースの見出しだってそう。
 必要な情報を、できるだけ早く正確に届ける。
 短く、分かりやすく、結論は早く。

 そして、もうひとつ。
 「体験させるための文章」
 小説やエッセイなんかが、そうだと思う。

 例えば、
 「主人公が朝、窓を開けた。」
 ただそれだけの出来事を、何行にもわたって描写することがある。

 読者は文字を目で追いながら、風の冷たさや差し込む光、遠くから聞こえる音を想像する。主人公の声や表情を思い浮かべ、書かれていないことまで、自分の中で補っていく。

 作者が作った世界を、自分の頭の中でもう一度作る。
 だから、時間がかかる。
 そして、こっちはタイパが良すぎたら困る。

 もしAIさんが「この本は、主人公は幼なじみと再会し、紆余曲折を経て恋人になりました。」と要約してくれたとして、それで小説を「読んだ」と言えるだろうか。
 私たちが欲しいのは、結末という「情報」だけではない。そこに至るまでの時間そのものを味わいたいのだ。


 ・・・こんなこと言ってるけど、
最近のおかんの脳みそは、長文を読むのが中々難しくなっとるけどな。

人は、書く(描く)ことで自分を知り、読むことで自分に出会う。

 私は絵を描くと、頭の中がスッキリする。
 別に、上手な絵を描いているわけじゃないし、誰かに見せるためでもないけど。

 自分の中にあるものって全体像が見えない。
 広くて暗い空間の中で、小さい懐中電灯を片手に歩き回るけど、中々全体像が見えてこない。

 それを断片的に吐き出して、紙の上に置いていくと、「ああ、私ってこんな物を頭に持っていたんだ。」と分かり、デトックスに近いような感覚になる。

 文章を書くのも、たぶん似ている。絵も文章も決して上手ではない。
 頭の中ではなんとなく分かっていたつもりのことも、文字にしてみると「あれ?私が言いたかったのって、こっちじゃないな」と気づいたりする。
 自分の未熟さにも気づけたりもする。
 書くというのは、頭の中にあるものを外に出す作業であると同時に、自分自身を見つける作業なのかもしれない。

 読むことも同じく、自分が見える。
 同じ文章を読んでも、心に引っかかる場所は人によって違う。
 そして、その「どこに引っかかったか」には、自分がいる。
 「なんで私は、この一文がこんなに気になるんだろう。」

 そう考えた瞬間、読んでいたはずの文章が、いつの間にか自分自身を映す鏡になっている。
・・・ような気がする。

noteってめっちゃ面白い

 そう考えると、
 noteって、いろんな人が自分の中から拾い上げたものを、文章にして置いてある場所に違いない。

 誰かの日常だったり、仕事のことだったり、昔の思い出だったり、誰にも言えなかったことだったり。

 普段の生活では、なかなか見ることのできない「その人の頭の中」が、文章になって置いてある。

 しかも、面白いのは、同じテーマを書いていても、みんな全然違うこと。

 同じ「子育て」の話でも、着目するところが違う。
 同じ出来事でも、感じ方が違う。
 同じことを伝えていても、使う言葉が違う。

 文章って、書く人によってちゃんと「味」が出る。
 おかんはnoteを始めて、それに気づいた。

 そもそも、おかんは文章を書くことにちょっと苦手意識があった。
 「文章って、ちゃんと書かなきゃいけないもの」だと思っていたからだ。
 起承転結があって、分かりやすくて、きれいな文章を書かなければいけない。
 私には分からんけど、なんや、作法があるんやろ?ぐらいに思ってた。

 でも、noteを彷徨っているうちに、どうやらそんなこともないらしいと気づいた。

 短くても長くてもいい。
 写真を添えてもいい。
 詩でもいい。
 日記でもいい。
 くだらない話を延々と書いたっていい。
 叙情詩的な文章も素人が書いたっていいよね。

 もちろん、読まれるための工夫はあるのかもしれない。
 でも、「文章って、こんなに自由でいいんだ」と知った。

 そして、その自由な文章の中には、その人にしか書けないものがちゃんとある。

 誰かの文章を読んで、「私も同じことを考えてた」と思うこともある。
 逆に、「そんな考え方があるのか」と、自分にはなかった視点をもらうこともある。

 全く違う人生を垣間見ることもできたり、
 たまに、なぜか妙に腹が立つ文章もある。

 でも、それも面白い。

 「なんで私は、この文章にこんなに引っかかるんだろう?」
 そう考えると、他人の文章を読んでいるはずなのに、結局また自分のことを発見する。

 そして、たまに「この人の文章、なんか好きだな」と思う人に出会う。
 その人が何を書いているのか気になって、また読みに行く。
 その人の「好き」や「違和感」や「考えたこと」に触れる。
 そして、ときどき自分の中にあるものまで見つけてしまう。

 そんな場所だから、面白いのかもしれない。

 文章を読んでいるのに、いつの間にか人を見ている。
 文章を読んでいるのに、いつの間にか自分を見ている。

 そう考えると、
 noteって、なかなか面白い場所じゃないか。




とりあえず、私が作ったアホほどタイパ悪いnote置いとく

 せっかくなので、ここまで読んでくださった皆さまに、おかんが作った「クソほどタイパの悪い作品」を置いておきます。
 何時間もかけて、別に誰かに頼まれたわけでもないのに、どうでもいいところまで考えて、くだらないことを一生懸命文章にする。

 そんな、おかんの「時間をドブに捨てた作品」を、よかったら読んでいってください😂
 あなたの貴重な時間を、ほんの少しだけお借りします。


今日も最後まで聞いてくれてありがとさん🍵
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また、ご飯食べにきてや〜〜〜!

おかん  

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